新刊、といっても2ヶ月半経ってしまいましたが……。
発行日 : 2025年10月10日(金)
著者等 : 松本和也
版 元 : 思文閣出版
定 価 : 7,000円+税
明治後期に流れこんだ印象派は、日本の洋画界に新たな波をもたらした。なかでも「日本のモネ」と称された洋画家・山脇信徳は、その絵画表現によって注目を集め、印象派の是非をめぐる論争の渦中に立った。第三回文展で褒賞となった《停車場の朝》や、その数年後に描かれた《夕日》などの山脇作品は、画壇・文壇を横断した二度の大論争を巻き起こす。それは、印象派以降の西洋美術が日本に受容される際に生じる反発や葛藤の、いわば象徴的事例であった。
モネやルノワールなど、日本人がこよなく愛する印象派は、どのようにして日本の美術界に受け容れられてきたのか?
明治後期に流れこんだ印象派は、日本の洋画界に新たな波をもたらした。なかでも「日本のモネ」と称された洋画家・山脇信徳は、その絵画表現によって注目を集め、印象派の是非をめぐる論争の渦中に立った。第三回文展で褒賞となった《停車場の朝》や、その数年後に描かれた《夕日》などの山脇作品は、画壇・文壇を横断した二度の大論争を巻き起こす。それは、印象派以降の西洋美術が日本に受容される際に生じる反発や葛藤の、いわば象徴的事例であった。
本書では、山脇信徳とその絵画表現を結節点として、齋藤輿里、高村光太郎、岸田劉生、そして白樺派など、時代のキーパーソンの言論を丹念に読み解きながら、西洋美術の新潮流が日本にもたらした文化的衝突、そしてそれがしだいに「日本化」され超克されていくさまを明らかにしていく。
★★★編集からのひとこと★★★
今でこそ多くの日本人に愛される印象派。その独特の重ね塗りは「筆触分割」という技法によるものらしいのですが、それが「醜い」とさえ評されていた時代がありました。何が美しく、何が美しくないのか。あるいは何が芸術とそれ以外とを隔て得るのか。それは現代のアートシーンにも通底する問いであり、その意味で時代は絶えず繰り返されているのかもしれません。
本書では、明治晩年の日本で、絵画の新技法が反発を招きながらも、次第に受け入れられていった過程を跡付けていきます。その議論を通して、時代を越えて鑑賞者・批評者に突き付けられる問いにも迫る1冊です。
特に絵画に注目し、西洋美術の新潮流がどのように日本に受容されていったのか、それも明治末から大正初めに重きを置いて、印象派やポスト印象派の影響が中心に論じられています。
完全な書き下ろしではなく、『大衆文化』『人文学研究所報』などに掲載された論文をベースにされた章もありますが、「大幅な加筆修正を施してある」そうで、多少、繰り返しになる部分はあるものの、ほぼきちんと一本の流れになっています。300ページ超の労作です。
また、人名索引がきちんとつけられているのがありがたいところですね。
論じられているのは、ちょうど光太郎が明治39年(1906)から同42年(1909)の3年半に亘る欧米留学から帰朝し、実際に肌で触れてきた新しい芸術を日本に根づかせようと、画廊・琅玕洞やヒユウザン会(のちフユウザン会)などの活動に取り組んでいた時期です。そこで光太郎の名はほぼ初めから終わりまで出ずっぱり。章の題名としては「第三章 帰朝する新進洋画家――パイオニアとしての有島生馬・齋藤與里・高村光太郎」のみですが、他の全ての章にその名が刻まれています。
最も注目されているのが、山脇信徳。現在では一般には忘れられかけている存在ですが、明治42年(1909)の第3回文部省美術展覧会(文展)に出品された「停車場の朝」が物議を醸しました。
光太郎と親しかった石井柏亭は「こんな色彩は日本の風景には存在しない」。光太郎は「作者がそういう色に見えるならそれは作者の自由だ」。いわゆる「地方色論争」です。そこから有名な光太郎の評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)が生み出されました。
残念ながら「停車場の朝」そのものはモノクロ画像が伝わっているだけですが、同時期の山脇の作品を見れば、ほぼどんな感じだったかは想像がつきます。ちなみに本書のカバーにあしらわれているのは山脇の「夕日」と題する作品。明治43年(1910)のものです。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・智恵子】
人間は根本が間違つてさへゐなければお互に其精神の根を信じて、あとの細々した事はすべてゆるしあひ、いたはりあつてゆく外ありません。
とかく排外主義に陥りがちで不寛容な現代人にこそ贈りたい一節です。
目次
はじめに 日本の印象派
Ⅰ
第一章 山脇信徳へのアプローチ――洋画史・〝日本のモネ〟・言説史
第二章 西洋美術の新傾向をめぐる言説史――印象派、ポスト印象派を中心に
第三章 帰朝する新進洋画家――パイオニアとしての有島生馬・齋藤與里・高村光太郎
Ⅱ
第四章 「生の芸術」論争・再考――「DAS LEBEN」/「地方色」からみた山脇信徳《停
車場の朝》
車場の朝》
第五章 山脇信徳作品展覧会をめぐる「絵画の約束」論争・再考――「自己」か「公衆」
か
か
第六章 山脇信徳「断片」の歴史的意義──フォーヴィスム/エキスプレッショニズムへ
Ⅲ
第七章 「自然」と「生活」をめぐる岸田劉生の芸術論――白樺派言説を補助線として
第八章 ヒュウザン会(フュウザン会)展覧会の同時代評価──印象派以降の展開
第九章 「心的印象」を象徴的に描くこと──萬鐵五郎の「新しい原始時代」
結論 印象派の超克
初出一覧
あとがき
著者・編者略歴
1974年生。立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了、博士(文学)。現在、神奈川大学国際日本学部教授。日本近現代文学・演劇・美術。著書に、『昭和一〇年代の文学場を考える 新人・太宰治・戦争文学』(立教大学出版会、2015)、『文学と戦争 言説分析から考える昭和一〇年代の文学場』(ひつじ書房、2021)、『戦時下の〈文化〉を考える──昭和一〇年代〈文化〉の言説分析』(思文閣出版、2023)ほか。論文に、「萱野二十一「道成寺」同時代受容分析」(『国語国文』2024. 9)、「見えにくい世界/新しい景色──宮永愛子のオペレーション」(『人文研究』2024. 9)ほか。
特に絵画に注目し、西洋美術の新潮流がどのように日本に受容されていったのか、それも明治末から大正初めに重きを置いて、印象派やポスト印象派の影響が中心に論じられています。
完全な書き下ろしではなく、『大衆文化』『人文学研究所報』などに掲載された論文をベースにされた章もありますが、「大幅な加筆修正を施してある」そうで、多少、繰り返しになる部分はあるものの、ほぼきちんと一本の流れになっています。300ページ超の労作です。
また、人名索引がきちんとつけられているのがありがたいところですね。
論じられているのは、ちょうど光太郎が明治39年(1906)から同42年(1909)の3年半に亘る欧米留学から帰朝し、実際に肌で触れてきた新しい芸術を日本に根づかせようと、画廊・琅玕洞やヒユウザン会(のちフユウザン会)などの活動に取り組んでいた時期です。そこで光太郎の名はほぼ初めから終わりまで出ずっぱり。章の題名としては「第三章 帰朝する新進洋画家――パイオニアとしての有島生馬・齋藤與里・高村光太郎」のみですが、他の全ての章にその名が刻まれています。
最も注目されているのが、山脇信徳。現在では一般には忘れられかけている存在ですが、明治42年(1909)の第3回文部省美術展覧会(文展)に出品された「停車場の朝」が物議を醸しました。
光太郎と親しかった石井柏亭は「こんな色彩は日本の風景には存在しない」。光太郎は「作者がそういう色に見えるならそれは作者の自由だ」。いわゆる「地方色論争」です。そこから有名な光太郎の評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)が生み出されました。
残念ながら「停車場の朝」そのものはモノクロ画像が伝わっているだけですが、同時期の山脇の作品を見れば、ほぼどんな感じだったかは想像がつきます。ちなみに本書のカバーにあしらわれているのは山脇の「夕日」と題する作品。明治43年(1910)のものです。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・智恵子】
人間は根本が間違つてさへゐなければお互に其精神の根を信じて、あとの細々した事はすべてゆるしあひ、いたはりあつてゆく外ありません。
昭和3年(1928)4月4日長沼セン宛書簡より 智恵子43歳
とかく排外主義に陥りがちで不寛容な現代人にこそ贈りたい一節です。


