監修させていただいた「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関係で、12月15日(月)・16日(火)と1泊2日で花巻に行っておりました。

14日(日)にちょっとした降雪があったそうで、郊外旧太田村の高村光太郎記念館さんはこんな感じ。
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入ってすぐ、「おっ!」と思ったのがこちら。まだ正式に展示が始まってはいなということですが、花巻南高校さん書道部の生徒さんたちの書。

追記:書道部さんではなく、授業で書道を選択された生徒さんたちだそうでした。
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すべて違う生徒さんの作品で、それぞれ思い思いに光太郎詩の一節を書いて下さっています。「卒業記念」的な意味合いもあるそうで。こういうのを見ると、不覚にもうるっときてしまいます(笑)。

同校の文芸部さんと家庭クラブさんにはいろいろとお世話になっていますが、今度は書道部さんも巻き込んだか、という感じでした(笑)。若い世代に光太郎を知ってもらうという意味でも、良い試みですね。

奥の企画展示室へ。
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花巻と光太郎を結びつけたキーパーソンである宮沢賢治との繋がりに焦点を当てました。
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2人が実際に顔を合わせたのは、大正15年12月のたった1度だけでした。しかし、2人の天才は、それぞれの作品を通してお互いを深く敬愛していましたし、残念ながら賢治が歿してからになりますが、その結びつきはより強固なものとなっていくことになります。

昭和8年(1933)に賢治が亡くなり、すぐ翌年には光太郎も編集者として名を連ねた『宮沢賢治全集』の刊行が始まります。光太郎が関わった賢治の全集は4種類。それらにより、生前は無名の地方詩人に過ぎなかった賢治の名が世に広く知られていくことになります。

そこで今回の展示では、光太郎が関与した4種類の全集にスポットを当て、それらの成立過程やさらに派生して刊行された書籍、それらに関わった人々の思いといったところを前面に押し出しました。

最初の文圃堂版全三巻(昭和9年=1934~同10年=1935)。
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それを補完する形で出された十字屋版(昭和14年=1939~昭和19年=1944)。
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『全集』とは冠されていませんが、戦後の日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』(昭和21年=1946~同24年=1949)。
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そして筑摩書房版(昭和30年=1955~同32年=1957)。
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装幀、題字揮毫は全て光太郎です。特に筑摩書房版は、光太郎のこの手の仕事の最後のものとなりました。

賢治作品を世に出す強い意志を持って臨んだ実弟の清六、賢治の親友だった藤原嘉藤治についても詳しく紹介されています。当会の祖・草野心平についても。
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テレビモニターでは、昭和11年(1936)、光太郎が碑文を揮毫した「雨ニモマケズ」碑除幕式の様子。碑の近くの桜地人館さんで常時上映されているものです。
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桜地人館さんでは、戦後の光太郎書も貸して下さいました。これまで門外不出だったものですが。
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右上は、藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏ご提供の写真。世に出るのは初めてではないかと思われるものです。

賢治の遺言で、没後に配付された「国訳妙法蓮華経」。
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なかなかに充実した展示でした。

その他、同時開催中の4月に始まった特別展「中原綾子への手紙」(2月28日(土)まで)。
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先月末まで開催されていた企画展「昔なつかし花巻駅」に出品されていたジオラマは、第一展示室に移動されていました。
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その後、隣接する高村山荘(光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋)へ。
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少し早かったのですが、寒いので(笑)、宿泊先の光太郎も愛した大沢温泉さんへ。
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最近は予約を取るのもけっこう一苦労です。

翌朝(昨日ですが)、再び高村光太郎記念館さんに。この日はNHKさんの取材ということで。余裕を持って行きましたので、まずまた山荘に。夜のうちに新たに雪が降り積もることもほぼなく、助かりました。
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さらに奥の「雪白く積めり」碑。この地下には光太郎の遺髯が埋まっています。
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碑の前の広場。熊の足跡でしょうか。
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明らかに狐や兎ではありません。

裏山の智恵子展望台からの眺め。
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記念館に戻り、取材を受けました。NHKさん以外に地方紙『岩手日日』さんにも。

NHKさんには、「民間通信員」という制度があり、業務委託された民間の方が取材、撮影なさり、放送局でそれを編集し放映するシステムになっています。今回いらしたのは旧知の北山公路氏。花巻のタウン誌『Machicoco』の編集・発行もなさっている方です。
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早速昨日のうちに夕方のローカルニュースで流れ、ネットにも出ました。

高村光太郎と宮沢賢治のつながり紹介する企画展 花巻

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 詩人で彫刻家の高村光太郎と花巻市出身の詩人で童話作家の宮沢賢治のつながりを紹介する企画展が、花巻市で開かれています。
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 花巻市の「高村光太郎記念館」で開かれている企画展では、光太郎が賢治の作品に出会って賢治の家族と交流を深め、賢治の死後に発行された全集の編集や装丁を手がけた過程などが、4種類の全集などとともに紹介されています。
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 また、賢治の作品を広めた、賢治の弟の清六や賢治の親友の藤原嘉藤治の功績も一緒に紹介されていて、昭和11年に市内に設置された「雨ニモマケズ」が刻まれた賢治の詩碑の除幕式を撮影した動画を見ることができます。
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 企画展を監修した高村光太郎研究者の小山弘明さんは「生前は無名だった賢治が世界的に有名になった過程に、光太郎が関わっていたことを広く知ってほしい」と話していました。
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 また、主催する花巻市生涯学習課の菊池功昇課長補佐は「賢治と花巻の関わりは広く知られているが、光太郎と花巻の関わりについても、もっと市民に知ってほしい」と話していました。
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 この企画展は、来年3月末まで開かれています。

次回は来年2月21日(土)、関連行事として、清六令孫にして林風舎代表取締役・宮沢和樹氏、藤原嘉藤治の顕彰を勧められている瀬川正子氏とのトークショーの際に参ります。

というわけで、皆様もぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・智恵子】

この福島がいゝ人もあるか知れませんが私には一向よくもありませんねー 住めばみやこの習にて人気少ない家郷の山川もしのぶの空にすむ身には降りしきる五月雨につけ何となうなつかしう存られ候

明治34年(1901)7月5日 安田卯作宛書簡より 智恵子16歳

安田卯作は智恵子の母校・油井村の油井小学校に勤務していた教師です。この年、同校高等科を卒業した智恵子は福島町(現・福島市)の町立高等女学校に進み、大熊ヤスら同級生とともに町内の弁護士方に下宿していました。3ヶ月程でホームシックになっていたようです。

「しのぶの空」は女学校近くの信夫山(しのぶやま)に関わります。『古今和歌集』や『小倉百人一首』に収められた源融(河原左大臣)の有名な歌「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」も背景にあるでしょう。

そして故郷の山川を「偲ぶ」と、信夫山の「しのぶ」の掛詞(かけことば)。智恵子少女の教養の高さが窺えます。また、その筆跡の見事さも。
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