12月7日(日)、地方紙『岩手日日』さんに載った記事です。ご執筆は東京国立近代美術館(MOMAT)さんの主任研究員・成相肇氏。ネット上に見当たらず、同紙独自なのか、よくある通信社等の配信記事なのか判然としませんが。

手は物語る…1 高村光太郎「手」 和と洋、静と動 感じる彫刻

000 東京国立近代美術館のコレクションの中から、「手」にまつわる作品を紹介していきましょう。時代や表現方法を問わずさまざまに表されてきた手の図像の中に、美術の魅力の手掛かりを探ります。
 ちょうど新聞紙片面の横幅くらいの高さの大きなブロンズ製の手。詩人として も知られる高村光太郎(1883~1956年)の彫刻です。あるとき自身の左手をじっと見ていると「自分の手でないやうな気が」して、「何か大きなものの見えない手が不意に形を現はした」かのように思えた。そして、おもむろに「施無畏印(せむいいん)」(奈良の大仏と同じポーズ)の形にしたときに感じた「自分の手の威厳」と「霊光」をどうにか再現しようと思った、と光太郎は述べています。
 実際、この作品のてのひらに正対して眺めてみると、仏像のように穏やかで落ちついた印象です。そういえば光太郎の父・光雲は江戸時代に仏師からキャリアを始めた彫刻家でした。
 この作品で何より興味深いのは、台座に対して手が少し横を向いている点です。この台座は作者が彫った木ですから、角度にも意図が込められています。そこで今度は台座に対してまっすぐ向き合ってみると、たちまち緊張した指の筋肉が際立ち、ダイナミックな動きが立ち現れます。光太郎は近代彫刻の祖とされるオーギュスト・ロダンを日本に紹介した人物でもありました。この手の力強いひねり、張り詰めた劇的な筋肉の動きは、まさしくロダンからの影響といえるでしょう。
 「霊光」はこのひねりにこそ宿っています。すなわちこの作品には、一点において和と洋が、静と動が、同居しているのです。ほんのわすかな角度の差で、洋の東西が大きくシフトする。真横から見ると鳥のような優美な形をしたこの「手」は、まさしく近代の彫刻が飛躍しようとする一瞬を凝縮した作品なのです。
 当館ウェブサイトでは、本作のブロンズ部分を台座から引き抜いてみる解説動画や、作品を全方向から見られるデータも公開しています。自宅でも、ぐるぐるといろんな角度から眺めて楽しんでみてください。

前半に引用されている「自分の手でないやうな気が」「何か大きなものの見えない手が不意に形を現はした」などは、大正8年(1919)1月25日発行の雑誌『芸術公論』第3巻第1号に載った光太郎の「手紙」と題する散文の一節です。筑摩書房『高村光太郎全集』にもれていたものですが、「手」に関して最も多くが語られており、しかもほぼ制作リアルタイムのもので、これを参照しなければ「手」の考察は不可能と言っていいくらいのものです。MOMATさんでも気づいて下さったかという感じでした。

その後の「角度」の話や「和と洋」「動と静」といった解釈、確かにその通りですね。ただ、同じ光太郎生前鋳造の「手」でもMOMATさんのもの(有島武郎・秋田雨雀旧蔵)と朝倉彫塑館さん所蔵のもの(朝倉文夫が購入したもの)では微妙に角度が異なり、そのあたり詳細な考察が為されることを期待します(或いは既に為されているかもしれませんけれど)。それを言えば、台座の形状、ブロンズの仕上げ(つやの有無)もかなり異なります。

最後に「当館ウェブサイトでは、本作のブロンズ部分を台座から引き抜いてみる解説動画や、作品を全方向から見られるデータも公開しています」とありますが、「台座から引き抜いて……」はこちら、「全方向から見られるデータ」はこちらをご参照下さい。

「手」は、同じ型から鋳造されたものが数多く存在します。ぱっと思いつくだけで、 国立東京近代美術館(MOMAT)さん、朝倉彫塑館さん、髙村家、碌山美術館さん、花巻高村光太郎記念館さん、島根県立美術館さん、たましん美術館さん、呉市立美術館さん、岩手大学さん、千葉県立美術館さん、山口県宇部市さん(なぜか中国地方に多いのが不思議です)。その他の公的機関でもまだ所蔵があるような気もしますし、オークションに出たこともあります(ただ、中には「レプリカ」と断られているものもあるようで)。

各地で「手」をご覧になる方、上記のような点に注意して観て下さい。ちなみに当方、また明後日、花巻で観て参ります。

【折々のことば・智恵子】

あなた御自身、如何なる方向、如何なる境遇、如何なる場合に処するにも、たゞ一つ内なるこゑ、たましひに聞くことをお忘れにならないやう。この一事(いちじ)さへ確かならあらゆる事にあなたを大胆にお放ちなさい。 それは最も旧く最も新しい、生長への唯一の人間の道と信じます故。

アンケート「新時代の女性に望む資格のいろいろ」より
 大正15年(1926) 智恵子41歳

この一節も、智恵子の言葉としてはよく引用されるものの一つです。

結局、智恵子は「あらゆる事にあなたを大胆にお放ち」出来なかったと思われますが……。