昨日は港区で開催された東京青森県人会さん主催の「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演しておりました。
明治期に十和田湖の景勝美を広く世に紹介し、国立公園指定の礎を築いた大町桂月没後100年を記念してのもので、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が、元々は国立公園指定15周年、桂月ら「十和田の三恩人」を顕彰するモニュメントであることから、当方にも「乙女の像」についてしゃべれという依頼があった次第です。
会場は赤坂見附の赤坂区民センターさん。
当方も出演させていただいたトークイベントは3階ホールで14:15からでしたが、その前に13:00から4階会議室で展示品の公開が行われました。
桂月の書幅。
十和田湖を紹介した桂月の紀行文「奥羽一周記」が載った『太陽』(明治41年=1908)。
桂月没後に、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が桂月をモチーフに詠んだ歌の幅。
桂月は晶子の「君死に給ふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判しましたが、論争が終われば遺恨はさらりと流し、晶子は桂月を偲ぶ歌を詠んだりもしたわけです。
この幅は大阪堺の与謝野晶子記念館さんからお借りしたものだそうですが、こちらが展示されるという情報は事前に得ていませんでしたので驚きました。ちなみに会場に入って数㍍先に下がっているこれを見た瞬間にキャプションを見ずとも「あ、晶子だ!」とわかりまして、自分を褒めたくなりました(笑)。まぁそれほど独特な筆跡だからなのですが。
そして、光太郎作の「大町桂月メダル」。「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)に際し150個が鋳造され、関係者に配付されたもので、光太郎最後の完成作となったものです。
14:15、3階ホールでトークイベント開幕。
2部構成で、第1部は4人の方々がお一人ずつ十和田湖や桂月、光太郎などについて語られました。
明治期に十和田湖の景勝美を広く世に紹介し、国立公園指定の礎を築いた大町桂月没後100年を記念してのもので、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が、元々は国立公園指定15周年、桂月ら「十和田の三恩人」を顕彰するモニュメントであることから、当方にも「乙女の像」についてしゃべれという依頼があった次第です。
会場は赤坂見附の赤坂区民センターさん。
当方も出演させていただいたトークイベントは3階ホールで14:15からでしたが、その前に13:00から4階会議室で展示品の公開が行われました。
桂月の書幅。
十和田湖を紹介した桂月の紀行文「奥羽一周記」が載った『太陽』(明治41年=1908)。
桂月没後に、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が桂月をモチーフに詠んだ歌の幅。
桂月は晶子の「君死に給ふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判しましたが、論争が終われば遺恨はさらりと流し、晶子は桂月を偲ぶ歌を詠んだりもしたわけです。
この幅は大阪堺の与謝野晶子記念館さんからお借りしたものだそうですが、こちらが展示されるという情報は事前に得ていませんでしたので驚きました。ちなみに会場に入って数㍍先に下がっているこれを見た瞬間にキャプションを見ずとも「あ、晶子だ!」とわかりまして、自分を褒めたくなりました(笑)。まぁそれほど独特な筆跡だからなのですが。
そして、光太郎作の「大町桂月メダル」。「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)に際し150個が鋳造され、関係者に配付されたもので、光太郎最後の完成作となったものです。
14:15、3階ホールでトークイベント開幕。
2部構成で、第1部は4人の方々がお一人ずつ十和田湖や桂月、光太郎などについて語られました。
トップバッターは環境省自然環境局国立公園課長の長田啓氏。そもそもの国立公園というシステムについてや、十和田湖畔の事務所で勤務されていた際のお話、十和田湖周辺の現状など。続いて十和田市議・中尾利香氏。ご実家が桂月と交流がおありだったそうで。
お三方め、山本隆一氏。現在の肩書きは「十和田湖畔乙女の像研究会代表」とのことですが、定年退職される前は十和田市役所や十和田奥入瀬観光機構にお勤めで、『十和田湖乙女の像のものがたり』の刊行や「十和田湖観光交流センターぷらっと」での展示などなどで十数年来お世話になっている方です。最後にお会いしたのが令和4年(2022)の1月で、久闊を叙させていただきました。
ちなみに上記画像のQRコード、詳細な資料へのリンクとなっていますので、御覧下さい。スマホで読み取ってそちらで見るか、PCに転送するかですね。
第1部最後はインテリアデザイナーの小坂竜氏。「乙女の像」制作に際し光太郎の助手を務めた彫刻家・小坂圭二(野辺地町出身)の子息です。
ちなみに上記画像のQRコード、詳細な資料へのリンクとなっていますので、御覧下さい。スマホで読み取ってそちらで見るか、PCに転送するかですね。
第1部最後はインテリアデザイナーの小坂竜氏。「乙女の像」制作に際し光太郎の助手を務めた彫刻家・小坂圭二(野辺地町出身)の子息です。
右上画像は「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)の際の記録動画の一コマ。光太郎の背後で光太郎と佐藤春夫(光太郎と青森県の仲介役でした)に傘を差し掛けているのが父君です。ここに父君が映っていたというのは当方も気がついていませんでした。
休憩後、第二部。
第一部に引き続き長田氏、十和田市の「大町桂月を語る会」谷川妙子事務局長、桂月の故郷・高知で桂月の名を冠した日本酒を製造販売されている土佐酒造代表取締役・松本宗己氏、米国ご出身で比較文化研究家のシエナ・ラッチ・デイリー氏、そして当方が登壇。モデレータで主催団体の山田安秀氏の進行でした。当方は「乙女の像」について語らせていただいたのですが、何せ時間が短く、意を尽くし得ませんでした。平成29年(2017)には十和田市でたっぷり時間をいただいて講演をすることができましたが、またそうした機会がどこかであれば、と祈念いたしております。
当方、桂月や国立公園のシステムなどについてはそれほど詳しいわけではありませんでしたので、谷川氏、松本氏の桂月がらみのお話、シエナ氏によるアメリカのnational parkと日本の国立公園の相違など、こちらも興味深いかぎりでした。
最後に桂月令曾孫の大町芳通氏による謝辞。
いずれYoutubeでイベントの模様がアップされるそうですので、またその際にはお伝えいたします。
閉幕後は、近くの中華料理店で懇親会。この際には小坂氏や、芳通氏とは別の桂月令曾孫と同じテープルに着かせていただき、またいろいろな話で盛り上がりました。
さらに小坂氏からは貴重な書籍をいただいてしまいました。山本氏にいただいたものやイベントの配付資料ともども、明日ご紹介いたします。
十和田湖、それから同一地域といえる奥入瀬渓流や蔦温泉、旅行ブームの最盛期と比較すると人出はかなり減ったとのこと。さらに近年はコロナ禍が追い打ちをかけました。しかしその後回復傾向にあり、また、長田氏のお話では、周辺の廃墟と化したエリアの整備も少しずつ進んでいるとのこと。皆様方にはぜひ現地に足をお運びになり、「乙女の像」を御覧いただきたいものです。
ちなみにイベント前日の一昨日、NHK Eテレさんで全国放映された「東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」、NHK ONEさんで配信されています。併せて御覧下さい。
【折々のことば・智恵子】
少なくも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。
智恵子が唯一『青鞜』に寄せた文章の一節です。幸い、この号を入手することができました。表紙は前年の創刊号と同じ、智恵子によるもの(ウイーン分離派の画家、ヨーゼフ・エンゲルハルト作品の模写)です。
「マグダ」はズーダーマン作、島村抱月が翻訳した脚本で、松井須磨子主演、文芸協会の第3回公演として有楽座で上演されました。オペラ歌手・マグダがかつて自分と子供を捨てた男に復縁を迫られ、「家の名誉」的な発想でマグダの父親がマグダに復縁か死か、どちらかを選べと迫るというストーリー。結局、マグダはどちらも拒否します。この内容が「風紀紊乱」ということで、内務省から上演禁止の警告。抱月は終末部分を公演中に改変して上演継続の許可を取りつけました。
制作サイドは自立した新しい女性を描く意図でしたが、この程度の選択はごくあたりまえのこと(「田子作のおかみ」云々)に過ぎない、と、智恵子。さらにこの程度で上演禁止とは何事か、という意図も見え隠れします。
休憩後、第二部。
第一部に引き続き長田氏、十和田市の「大町桂月を語る会」谷川妙子事務局長、桂月の故郷・高知で桂月の名を冠した日本酒を製造販売されている土佐酒造代表取締役・松本宗己氏、米国ご出身で比較文化研究家のシエナ・ラッチ・デイリー氏、そして当方が登壇。モデレータで主催団体の山田安秀氏の進行でした。当方は「乙女の像」について語らせていただいたのですが、何せ時間が短く、意を尽くし得ませんでした。平成29年(2017)には十和田市でたっぷり時間をいただいて講演をすることができましたが、またそうした機会がどこかであれば、と祈念いたしております。
当方、桂月や国立公園のシステムなどについてはそれほど詳しいわけではありませんでしたので、谷川氏、松本氏の桂月がらみのお話、シエナ氏によるアメリカのnational parkと日本の国立公園の相違など、こちらも興味深いかぎりでした。
最後に桂月令曾孫の大町芳通氏による謝辞。
いずれYoutubeでイベントの模様がアップされるそうですので、またその際にはお伝えいたします。
閉幕後は、近くの中華料理店で懇親会。この際には小坂氏や、芳通氏とは別の桂月令曾孫と同じテープルに着かせていただき、またいろいろな話で盛り上がりました。
さらに小坂氏からは貴重な書籍をいただいてしまいました。山本氏にいただいたものやイベントの配付資料ともども、明日ご紹介いたします。
十和田湖、それから同一地域といえる奥入瀬渓流や蔦温泉、旅行ブームの最盛期と比較すると人出はかなり減ったとのこと。さらに近年はコロナ禍が追い打ちをかけました。しかしその後回復傾向にあり、また、長田氏のお話では、周辺の廃墟と化したエリアの整備も少しずつ進んでいるとのこと。皆様方にはぜひ現地に足をお運びになり、「乙女の像」を御覧いただきたいものです。
ちなみにイベント前日の一昨日、NHK Eテレさんで全国放映された「東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」、NHK ONEさんで配信されています。併せて御覧下さい。
【折々のことば・智恵子】
少なくも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。
散文「マグダに就て」 明治45年(1912) 智恵子27歳
智恵子が唯一『青鞜』に寄せた文章の一節です。幸い、この号を入手することができました。表紙は前年の創刊号と同じ、智恵子によるもの(ウイーン分離派の画家、ヨーゼフ・エンゲルハルト作品の模写)です。
「マグダ」はズーダーマン作、島村抱月が翻訳した脚本で、松井須磨子主演、文芸協会の第3回公演として有楽座で上演されました。オペラ歌手・マグダがかつて自分と子供を捨てた男に復縁を迫られ、「家の名誉」的な発想でマグダの父親がマグダに復縁か死か、どちらかを選べと迫るというストーリー。結局、マグダはどちらも拒否します。この内容が「風紀紊乱」ということで、内務省から上演禁止の警告。抱月は終末部分を公演中に改変して上演継続の許可を取りつけました。
制作サイドは自立した新しい女性を描く意図でしたが、この程度の選択はごくあたりまえのこと(「田子作のおかみ」云々)に過ぎない、と、智恵子。さらにこの程度で上演禁止とは何事か、という意図も見え隠れします。























