テレビ放映の情報です。
地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59
宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)
出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのですが、7月29日だったはず。単純な間違いでしょうか? 当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。
今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。
光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
皆様もぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。 ――美しい……古代彫刻の様に美しい……
ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。
このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。
ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。
ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。
番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのですが、7月29日だったはず。単純な間違いでしょうか? 当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。
今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。
光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
皆様もぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。 ――美しい……古代彫刻の様に美しい……
光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳
ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。
このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。
ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。
ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。




