会期残りわずかとなってしまって申し訳ありませんが、福岡から写真展の情報です。

Fixtyle Portrait Fukoka 8th

期 日 : 2025年11月20日(木)~11月24日(月・振休)
会 場 : 久留米市美術館1階ギャラリー 福岡県久留米市野中町1015
時 間 : 10:00~17:00(最終日 16:00まで)
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

PASHA STYLEアンバサダーのUGタナカユウジさんが主宰するグループ写真展『Fixtyle Portrait Fukuoka 8th』が、今年も久留米市美術館で開催される。

「Fixtyle」は“自分らしさを固定する”という想いを込めた造語で、2018年の開始以来、個性豊かなフォトグラファーが集う発表の場として成長してきた。今回も学生からプロまで幅広い参加者が集まり、国内外で活躍するアーティストの作品も図録に掲載される。

会場は第7回に続き久留米市美術館1Fギャラリー。美しい展示空間がポートレート作品を一層引き立てる。会期中は写真機材メーカーによる最新機材展示やライブセミナーなど、来場者が楽しめる関連イベントも予定されている。

Fixtyle Portrait Fukuokaは年々規模を拡大し、西日本を代表するポートレート写真展へと進化を続けている。ぜひ会場で、表現の多様性と作品に込められた“スタイル”を感じてほしい。
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「ポートレート展」と謳われていますので、風景写真等ではなく人物中心と思われます。

出品者のうち、Yasuyuki Ibaraki氏という方が、「智恵子抄」オマージュの作品を出展なさっています。

氏のx(旧ツィッター)投稿から。
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今回の展示テーマ
 高村光太郎著 智恵子抄 レモン哀歌のオマージュです
 芸術を志す高村夫婦が生活に困窮し智恵子さんは家事に追われ創作は諦めざるをえなくなります。辛く希望も少ない日々に智恵子さんは少しずつ壊れてしまう。結果心と身体の病に臥してしまった病床の智恵子さんが、光太郎が手渡したレモンをかじった瞬間、壊れたはずの智恵子さんが一瞬健やかだった頃の意識を取り戻してから逝ってしまった瞬間を、光太郎さんが詩に綴ったものです。
 どの程度表現できているかは分かりませんが、少しでも感じていただけたら嬉しいです😌

氏は昨年の同展でも「智恵子抄」所収の「狂奔する牛」(大正14年=1925)がらみの作品を出展なさったそうですが、そちらは存じませんでした。

「智恵子抄」からインスパイアされた二次創作は実に多岐に亘り、文学、音楽、舞台芸術、食品香水、そして写真も含む造型美術など、まさに五感それぞれに訴えかけるさまざまなものが生み出されていて、ありがたいかぎりです。それだけ「智恵子抄」の世界観が人々に訴えかける何かを持っているということの証しだと思われますが。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生曰く

 はじめこの詩集は光太郎の一方的な思いこみにすぎず、光太郎の声だけしか聞こえない単なる幻想の産物だと批判した者もあった。しかし智恵子に関する資料が徐々に発掘され、智恵子が肉声で語りはじめるにつれて、その生の軌跡はますますリアリティを加え、文学としての評論、創作はもとより、ドラマ、オペラ、歌曲、舞踊、邦楽等々芸術のあらゆる分野の作者、演技者を動かし、それぞれがそれぞれの思いを込めて、その問いかけに答えようとする。 
  (『芸術夢紀行シリーズ 智恵子抄アルバム』 芳賀書店 平成7年=1995)

今後とも、様々な分野の方に「智恵子抄」を取り上げていただきたいものです。ただし、そこにリスペクトの精神を以て、ですが。

さて、「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」。明後日までとなっています。ご都合の付く方、ぜひどうぞ。
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余談ですが、久留米というと、光太郎の遺作「倉田雲平胸像」。倉田は倉田はツチヤ地下足袋(現・ムーンスターさん)の初代社長で、久留米出身でした。そこで久留米の「つきほし歴史館」さんに「倉田雲平胸像」が展示されていて、今回の会場に近い場所なら「ついでに足をお運び下さい」と書くつもりでいましたが、改めて調べたところ、同館は令和2年(2020)に閉館していました。「ありゃま」という感じです。所蔵されていた「倉田雲平胸像」、どうなったのかご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけると幸いです。

【折々のことば・光太郎】

幾何学は、実際、自然の到る処に存在します。してみれば、腕を挙げたり、又脚をわれ知らず動かしたりする事に其が無くてどうしませう。髪を梳く女は美しい調和――最高度の優美――を構成するリヅムある動勢の連続を行つてゐるのです。身体の全リヅムは理法によつて支配される。


光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

人体大好きのロダンならではの言ですが、光太郎もこうした考えにがっつり影響されたようです。

ちなみに「動勢」の語は訳出の上での光太郎の造語です。