昨日は神奈川県の北鎌倉に出向いておりました。明月院さん裏手のカフェ兼ギャラリー・笛さんで開催中の「回想「高村光太郎 尾崎喜八」詩と友情 その12」の拝観及び関連行事としての「詩の朗読会」でした。
笛さんのオーナーご夫人が光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫にあたり、またすぐ近くに光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫もお住まいということで、両家に伝わる品々が展示され(12回目)、さらに令和4年からは関連行事としての朗読会も行われています。
14:30頃に着き、まずは展示を拝見。
光太郎の書。色紙類はほとんどが複製ですが、一点のみ真筆。「此珠無価数」、中国の寒山詩の一節を揮毫したものです。
書簡系三通はオーナーご夫人の令祖父母に宛てたもので、こちらも真筆。昭和20年(1945)4月に本郷区駒込林町のアトリエ兼住居が空襲で全焼した直後、焼け跡から出てきた炭化した香木を「茶を点てるのにでも使って下さい」と贈った添え状、それから戦後、花巻郊外旧太田村の陋屋に蟄居してからの近況報告。
笛さんのオーナーご夫人が光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫にあたり、またすぐ近くに光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫もお住まいということで、両家に伝わる品々が展示され(12回目)、さらに令和4年からは関連行事としての朗読会も行われています。
14:30頃に着き、まずは展示を拝見。
光太郎の書。色紙類はほとんどが複製ですが、一点のみ真筆。「此珠無価数」、中国の寒山詩の一節を揮毫したものです。
書簡系三通はオーナーご夫人の令祖父母に宛てたもので、こちらも真筆。昭和20年(1945)4月に本郷区駒込林町のアトリエ兼住居が空襲で全焼した直後、焼け跡から出てきた炭化した香木を「茶を点てるのにでも使って下さい」と贈った添え状、それから戦後、花巻郊外旧太田村の陋屋に蟄居してからの近況報告。

尾崎の書も。こちらも一点を除いて複製だそうですが。
大正13年(1924)、尾崎と、光太郎の親友だった水野葉舟の息女・實子の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻の「聖母子像」。
書籍類。
大正13年(1924)、尾崎と、光太郎の親友だった水野葉舟の息女・實子の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻の「聖母子像」。
書籍類。
15:00となり、朗読会開始。
まずはオーナーご夫人による「妹に」(大正6年=1917)、「御前彫刻」(昭和22年=1947)。ともに光太郎が家族を謳った詩です。
「妹に」の「妹」はオーナーご夫人のおばあさまではなく、その下の妹・よし(喜子)ですが、オーナーご夫人、喜子にも会われたことがおありだそうで。ちなみに喜子は藤岡光田(こうでん)という木彫家に嫁ぎました。昭和20年(1945)4月の空襲の後、光太郎は約1ヶ月、近くにあって辛くも焼失を免れた藤岡家に世話になった後、花巻の宮沢賢治実家に疎開しました。
続いて、尾崎喜八・實子夫妻の息女、故・榮子さんの肉声による喜八詩の朗読を録音された音源で。榮子さんは当方が会ったことのある生前の智恵子を知る人物お二方のうちのお一人です。
次に、当方がお声がけしたお二人、フリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さん。
お二人には、今年の第69回連翹忌の集い、さらに7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」でも光太郎詩の朗読をお願いしました。
続いては、やはり録音された音源から音楽に造詣の深かった尾崎による「The wind from the west」。リコーダー演奏と歌唱でした。
光太郎実弟・豊周の令孫(オーナーご夫人とは「はとこ」)の櫻井美佐さんで、光太郎詩「鉄を愛す」(大正12年=1923)。尾崎夫人實子の父・水野葉舟に贈った詩です。
ここで、当方にもしゃべれというので、光太郎や尾崎、實子や榮子さんなどについてお話しさせていただきました。プログラムにその項が入っていることを、当日の朝まで存じませんでしたが(笑)。
尾崎令孫(母方では葉舟令曾孫)の石黒敦彦氏が尾崎について。
合間にはオーナーの山端夫妻による笛の合奏。ご夫婦でこういうことができるというのはいいですね。
プログラム的には以上でしたが、この後はNHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」で取り上げられたレモンコーヒー、智恵子の故郷・福島二本松の地酒(智恵子実家の銘酒の銘柄「花霞」の名を継いだもの)などが振る舞われました。
それから、これも恒例となりつつある、近くで採れた巨大な冬瓜(とうがん)の解体ショー(笑)。
さらに山端氏は店内所狭しと置かれている笛を代わるがわる手に取られて即興演奏。
17:00、終了。肩のこらないアットホームなひとときでした。
来年以降もこの時期に開催されるはずですので、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
真の芸術家は創造の原始的原理に透徹しなければならぬ。美しきものを会得することによつてのみ彼は霊感を得る。決して彼の感受性の出し抜けな目覚めからではなく、のろくさい洞察と理解とにより辛抱強い愛によつて得るのである。心は敏捷であるに及ばぬ。なぜといへばのろい進歩はあらゆる方面に念を押す事になるからである。
特に造型芸術に於いては、気の長い「のろい」取り組みも必要だというわけですね。その実践ともいえるでしょう、ロダンも光太郎も一つの作品に何年もかけることがありました。
まずはオーナーご夫人による「妹に」(大正6年=1917)、「御前彫刻」(昭和22年=1947)。ともに光太郎が家族を謳った詩です。
「妹に」の「妹」はオーナーご夫人のおばあさまではなく、その下の妹・よし(喜子)ですが、オーナーご夫人、喜子にも会われたことがおありだそうで。ちなみに喜子は藤岡光田(こうでん)という木彫家に嫁ぎました。昭和20年(1945)4月の空襲の後、光太郎は約1ヶ月、近くにあって辛くも焼失を免れた藤岡家に世話になった後、花巻の宮沢賢治実家に疎開しました。
続いて、尾崎喜八・實子夫妻の息女、故・榮子さんの肉声による喜八詩の朗読を録音された音源で。榮子さんは当方が会ったことのある生前の智恵子を知る人物お二方のうちのお一人です。
次に、当方がお声がけしたお二人、フリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さん。
お二人には、今年の第69回連翹忌の集い、さらに7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」でも光太郎詩の朗読をお願いしました。
続いては、やはり録音された音源から音楽に造詣の深かった尾崎による「The wind from the west」。リコーダー演奏と歌唱でした。
光太郎実弟・豊周の令孫(オーナーご夫人とは「はとこ」)の櫻井美佐さんで、光太郎詩「鉄を愛す」(大正12年=1923)。尾崎夫人實子の父・水野葉舟に贈った詩です。
ここで、当方にもしゃべれというので、光太郎や尾崎、實子や榮子さんなどについてお話しさせていただきました。プログラムにその項が入っていることを、当日の朝まで存じませんでしたが(笑)。
尾崎令孫(母方では葉舟令曾孫)の石黒敦彦氏が尾崎について。
合間にはオーナーの山端夫妻による笛の合奏。ご夫婦でこういうことができるというのはいいですね。
プログラム的には以上でしたが、この後はNHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」で取り上げられたレモンコーヒー、智恵子の故郷・福島二本松の地酒(智恵子実家の銘酒の銘柄「花霞」の名を継いだもの)などが振る舞われました。
それから、これも恒例となりつつある、近くで採れた巨大な冬瓜(とうがん)の解体ショー(笑)。
さらに山端氏は店内所狭しと置かれている笛を代わるがわる手に取られて即興演奏。
17:00、終了。肩のこらないアットホームなひとときでした。
来年以降もこの時期に開催されるはずですので、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
真の芸術家は創造の原始的原理に透徹しなければならぬ。美しきものを会得することによつてのみ彼は霊感を得る。決して彼の感受性の出し抜けな目覚めからではなく、のろくさい洞察と理解とにより辛抱強い愛によつて得るのである。心は敏捷であるに及ばぬ。なぜといへばのろい進歩はあらゆる方面に念を押す事になるからである。
光太郎訳 ロダン「ロダン手記 ゴチツクの線と構造」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃
特に造型芸術に於いては、気の長い「のろい」取り組みも必要だというわけですね。その実践ともいえるでしょう、ロダンも光太郎も一つの作品に何年もかけることがありました。























