昨日は茨城県取手市にて「藝大取手コレクション展 2025」を拝観して参りました。

会場は東京藝術大学大学美術館取手館さん。
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同館の開館30周年記念、さらに隣接して大きな収蔵庫が竣工した記念を兼ねて、ということでした。
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出品目録。
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無料のパンフレット。A3判両面印刷二つ折りです。
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三章構成で、入ってすぐは藝大さん名物の一つ、卒業制作の自画像。大正14年(1925)、昭和50年(1975)、平成5年(1993)、そして今年と、四つの元号にまたがるものでした。

続いても卒業/修了制作で、古いものは昭和35年(1960)の一色邦彦(高村光太郎賞受賞者)、同59年の千住博、それ以外は平成・令和のものでした。
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そして最も見たかったのが、第三章「過去に学ぶ:未来へ繋ぐ教育資料」。明治/大正のものが中心です。

こちらに光太郎の卒業制作「獅子吼」(明治35年=1902)の石膏像。
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360°見て廻れるように展示して下さっていました。ありがたし。
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彫刻科のうちの木彫専攻で入学した光太郎ですが、在学中に粘土や石膏を使ったモデリングの授業も始まり(塑造専攻も設けられました)、転籍はしなかったものの、卒業制作はこの塑像でした。
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台座に彫られた「獅子吼」の文字。若き光太郎の気概がこういうところにも見て取れます。

これを拝見するのは平成29年(2017)に上野キャンパスで開催された「東京藝術大学創立130周年記念特別展  藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」以来2度目(ブロンズは数知れず)でしたが、その生々しさに圧倒されます。

石膏原型といえば、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の石膏原型も同大に所蔵されています。そちらは見たことが無く、またの機会にはぜひ出品していただきたいものだと思いました。

他に、ともに光太郎の父・光雲に学んだいわば光太郎の兄弟弟子、新納忠之介板谷波山のレリーフ。
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新納は仏像修復、板谷は陶芸と、それぞれ彫刻とは異なる道で名を成しましたが、それぞれそのバックボーンには光雲に学んだ木彫のメチエあってこそだったんだなと改めて思いました。

教材としての手板の手本。石膏かと思ったら大理石でした。
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もしかすると光雲の手になるものかもしれません。明治26年(1893)の時点では、彫刻科の教授陣は光雲、竹内久一、石川光明、山田鬼斎、林美雲、後藤貞行、藤田文蔵でした。また、この頃には石彫教場も存在し、明治27年(1894)には俵光石が助手に雇われたと記録にあります。

光太郎入学時の校長だった岡倉天心が使っていたと伝わる椅子。
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上野キャンパスに鎮座する平櫛田中作の天心像が腰かけているのもこの椅子だそうで。

「日本最古のオルガン」。
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東京音楽学校との関連もありますが、外装の部分が才田光則という指物師の手になることにも注目されています。

こんな感じで、それほど出品点数は多くないものの、実に興味深い展示でした。同大には膨大な数の歴史的に貴重な収蔵品が存在しますので、今後も手を変え品を変え、この手の展示が為されることを期待します。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。会期は今月いっぱいです。

【折々のことば・光太郎】

芸術に於て、われわれは何を生命と呼ぶか。君達のすべての感覚を通して君達に話しかけるものの事だ。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 芸術家の一日」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

120年以上経った「獅子吼」からも「生命」を確かに感じました。