まだまだ情報収集力が足りないようで、事前に気づかなかった展覧会がさらにありまして、昨日は実地に拝見して参りました。
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ちなみに建物の設計は前川國男だそうで。
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展覧会詳細。

特別展 大名と菩提所

期 日 : 2025年10月11日(土)~11月24日(月・振休)
会 場 : 埼玉県立歴史と民俗の博物館 さいたま市大宮区高鼻町4-219
時 間 : 9:00 ~16:30
休 館 : 月曜日(ただし11/24は開館)
料 金 : 一般600円 高校生・学生300円

 埼玉県立歴史と民俗の博物館では令和7年10月11日(土)から、特別展「大名と菩提所」を開催します。
 江戸時代の埼玉県域には忍・岩槻・川越に城郭が存在し、いずれも江戸近郊の要所の守りを固めるため、城主には幕府の要職に就いた譜代大名らが任ぜられました。
 これらの大名たちは、参勤交代や転封(てんぽう)を繰り返すなかで江戸と国許(くにもと)の両方に菩提寺を持ったり、転封に伴い菩提所を変えたり、一貫した墓域を形成したりと、菩提所や墓の在り方は「家」ごとに異なりました。
 そもそも菩提所とは、菩提を弔(とむら)う場所のこと、すなわち先祖の供養(くよう)を行う場のことを指します。江戸時代の大名たちにとって先祖を供養し、子として親の葬儀を執行することは、正当な後継者としての立場を表明する重要な場でもありました。
 本展では260余年の泰平の世を支えた大名が眠る菩提所に注目します。
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江戸時代、主に現在の埼玉県内に領地を与えられていた大名家の「菩提所」にスポットを当てた展覧会です。当時の文書や図絵、刀剣やら甲冑やらのゆかりの品々、古写真などなど。

で、光太郎の父・光雲作の木彫が一体出ていると数日前に知り、馳せ参じた次第です。
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現在の行田市にあたる忍(おし)城、や川越城の城主で、老中も務めた「知恵伊豆」こと松平伊豆守信綱の坐像です。伊豆守というと、島原の乱で幕府軍の総大将としてキリシタン虐殺を行った人物ということもあり、あまり良いイメージはないのですが……。
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像高1尺はないかという小さな像で、厨子に収められていました。似たような感じとしては、今年特別開帳が行われている鎌倉覚園寺さんの後醍醐天皇像。時期的にも同じ頃(明治中期)と思われます。ただ、あちらは白木でしたが、こちらは彩色が施されています。驚いたのは、厨子の上部に設(しつら)えられた帳(とばり)。これも木彫でした。

外側は黒漆塗り、内側に金箔を貼った厨子も見事な造作でした。蝶番(ちょうつがい)も精緻な彫金が施されています。ただし、この手の仕事は分業制が通常で、厨子は厨子、彫金は彫金で、それぞれ専門の職人の手になるものでしょう。そのあたり、光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に記述があります。

所蔵は新座市の金鳳山平林寺さん。こちらにこの像が納められていることは以前から存じ上げていましたが、寺院の場合、こういった像が平時に公開されているとは限らず、無駄足になってはと思い、これまで足を運んだことがありませんでした。その意味でもこの機会に、と思った次第です。
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これ以外に「おっ」と思ったのが、芝増上寺の「台徳院殿霊廟」関連。広大な面積を持った徳川二代将軍・秀忠の墓所ですが、現物は太平洋戦争の空襲で焼失してしまいました。しかし、それ以前の明治43年(1910)、イギリスで開催された日英博覧会にその10分の1スケールの精巧模型が作られて出品されました。手がけたのは東京美術学校、監督が光雲でした。

模型は当時の英国王・ジョージ5世に献上されましたが、平成25年(2013)に日本に里帰り。現在は平成27年(2015)にオープンした増上寺さんの宝物展示室に展示されています。

そのオリジナルの霊廟も描かれた屏風絵。
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霊廟自体の絵図面。
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こちらに関する出品物もあるとは思っていなかったので、望外の喜びでした。

帰りがけ、図録(1,300円也)を購入。
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おまけ。駐車場にいたにゃんこ(笑)。
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光雲木彫を間近で見られる機会はそう多くありません。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

「自然」をして唯一の神たらしめよ。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンは無神論者というわけでもありませんでしたが、キリスト教の教義に縛られる「××を表す時にはこうするのが決まりだ」的な暗黙のルール等はほとんど無視していました。