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まず、10月29日(水)、IAT岩手朝日テレビさんのローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さいました。
まず、10月29日(水)、IAT岩手朝日テレビさんのローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さいました。
岩手県花巻市にある高村光太郎記念館には、昭和初期の花巻駅周辺を当時の映像を参考に再現したジオラマが展示されています。
花巻駅は、岩手軽便鉄道や花巻電鉄の開業とともに交通の要所として発展しました。
会場では、秘蔵の映像を見ることができます。
「昔なつかし花巻駅」と題したこの企画展は、11月30日まで開かれています。
同じ件を既に地方紙『岩手日日』さん、NHKさん、IBC岩手放送さんでもご紹介下さっていますが、こうして時間差で取り上げていただいたほうがありがたいところです。報道を見て「行ってみようか」という方がいらっしゃるでしょうし、それが一気にではなく、その都度ということになったほうが、と思われますので。
もう1件、番組の再放送情報です。
メインは中村彝。それから光太郎の親友だった荻原守衛にも触れられました。
そして同館所蔵の光太郎油彩画「自画像」(大正2年=1913)も。


「彼等」は官立美術学校の生徒たち。ロダンのアカデミズム嫌いは徹底していました。
ところで「よく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです」。ネット上の情報でもそうですね。むしろ現代ではコピペが容易に出来るので、そうなりがちです。
閉口しているのは、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についての次の記述がネット上に溢れていること。
まんまコピペしているサイト、多少の換骨奪胎がみられるものを含め、数十件見られますし、十和田湖に行かれた個人の方のブログなどでもあとからあとからこのフレーズ。見つけるたびに「またか」と頭を抱えています。
以前にも書きましたが、「乙女の像」は最後の作品ではありませんし(最後の作品は「乙女の像」除幕式で関係者に配付された記念メダル)、台座の石は福島産ではなく岩手産です。完成までにかかった時間は約半年ですし、「完成まで1年余りかかった」という書き方は「すごく長い時間をかけた」というニュアンスですが、逆にこの像は自らの死期の遠くないことを自覚していた光太郎が、異例の早さで仕上げたものです。
また改めてご紹介しますが、今月末に都内で開かれる「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」という催しで、パネルディスカッションのパネラーを仰せつかっており、ふと思い出した次第です。
同じ件を既に地方紙『岩手日日』さん、NHKさん、IBC岩手放送さんでもご紹介下さっていますが、こうして時間差で取り上げていただいたほうがありがたいところです。報道を見て「行ってみようか」という方がいらっしゃるでしょうし、それが一気にではなく、その都度ということになったほうが、と思われますので。
もう1件、番組の再放送情報です。
BS11(イレブン) 2025年11月3日(月) 01:05〜01:30
「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。
今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!
新宿の中村屋サロン美術館さんが取り上げられた回です。初回放映はTOKYO MXテレビさんで令和3年(2021)。BS11さんでは今年の7月2日(水)に放映がありました。出演者 片桐仁
メインは中村彝。それから光太郎の親友だった荻原守衛にも触れられました。
そして同館所蔵の光太郎油彩画「自画像」(大正2年=1913)も。


BS11さんでのこの番組、以前からなのか最近のことなのか、ちょっと把握できていませんが、いろいろな曜日のさまざまな時間帯に放映されています。メインは土曜の午前中という位置づけのようですが、再放送がてんでバラバラの曜日・時間帯。
他にも光太郎作品が取り上げられる回があり、今後も放映情報に注意してみます。
それはさておき、中村屋サロン美術館さんの回、ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
彼等は講義を聴く。或は実際の現実とは何の関係もない、曖昧な、抽象的な名辞のある術語で書かれた審美学の書物を読む。――其書物にはよく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです。かやうな有害な状態の下で何んな生徒が発達し得るでせう。
それはさておき、中村屋サロン美術館さんの回、ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
彼等は講義を聴く。或は実際の現実とは何の関係もない、曖昧な、抽象的な名辞のある術語で書かれた審美学の書物を読む。――其書物にはよく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです。かやうな有害な状態の下で何んな生徒が発達し得るでせう。
光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃
「彼等」は官立美術学校の生徒たち。ロダンのアカデミズム嫌いは徹底していました。
ところで「よく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです」。ネット上の情報でもそうですね。むしろ現代ではコピペが容易に出来るので、そうなりがちです。
閉口しているのは、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についての次の記述がネット上に溢れていること。
高村光太郎の最後の作品としても知られ、完成まで1年余りかかったと言われています。高さ2.1mの2人の裸婦が左手を合わせ向かい合っており、モデルは光太郎の愛妻で詩集「智恵子抄」で知られる智恵子夫人です。台座には婦人の故郷、福島産の黒御影石を利用しています。
まんまコピペしているサイト、多少の換骨奪胎がみられるものを含め、数十件見られますし、十和田湖に行かれた個人の方のブログなどでもあとからあとからこのフレーズ。見つけるたびに「またか」と頭を抱えています。
以前にも書きましたが、「乙女の像」は最後の作品ではありませんし(最後の作品は「乙女の像」除幕式で関係者に配付された記念メダル)、台座の石は福島産ではなく岩手産です。完成までにかかった時間は約半年ですし、「完成まで1年余りかかった」という書き方は「すごく長い時間をかけた」というニュアンスですが、逆にこの像は自らの死期の遠くないことを自覚していた光太郎が、異例の早さで仕上げたものです。
また改めてご紹介しますが、今月末に都内で開かれる「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」という催しで、パネルディスカッションのパネラーを仰せつかっており、ふと思い出した次第です。













