昨日は高速道路5本を乗り継ぎ、北関東三県を廻っていました。レポートいたします。
まずは千葉県北総地域の自宅兼事務所を出、茨城県の鉾田ICから東関東自動車道に。茨城町JCTで北関東自動車道、栃木都賀JCTで東北自動車道に入り、栃木ICで下道に下りまして、栃木市立文学館さんへ。こちらで「『歴程』と逸見猶吉、岡安恒武」展を拝見しました。
こちらは初めての訪問でしたが、館の建物は旧栃木町の役場庁舎を保存活用しているもので、古建築好きにはたまりませんでした。大正10年(1921)竣工だとのことですが、なんと平成26年(2014)まで現役の町役場・市役所庁舎として使われていたそうで。取り壊しを惜しんで移築、文学館として再利用というわけで、素晴らしいと思いました。
『歴程』は当会の祖・草野心平主宰でしたが、初代の編輯兼発行人は逸見猶吉。岡安恒武も後に同人に加わりました。共に栃木出身の二人にスポットを当てるということで、地方文学館ならではの取り組みですね。『歴程』には光太郎もたびたび寄稿していますし、逸見・岡安、ともに光太郎と交流がありましたので、足を運んだ次第です。
まずは千葉県北総地域の自宅兼事務所を出、茨城県の鉾田ICから東関東自動車道に。茨城町JCTで北関東自動車道、栃木都賀JCTで東北自動車道に入り、栃木ICで下道に下りまして、栃木市立文学館さんへ。こちらで「『歴程』と逸見猶吉、岡安恒武」展を拝見しました。
こちらは初めての訪問でしたが、館の建物は旧栃木町の役場庁舎を保存活用しているもので、古建築好きにはたまりませんでした。大正10年(1921)竣工だとのことですが、なんと平成26年(2014)まで現役の町役場・市役所庁舎として使われていたそうで。取り壊しを惜しんで移築、文学館として再利用というわけで、素晴らしいと思いました。
『歴程』は当会の祖・草野心平主宰でしたが、初代の編輯兼発行人は逸見猶吉。岡安恒武も後に同人に加わりました。共に栃木出身の二人にスポットを当てるということで、地方文学館ならではの取り組みですね。『歴程』には光太郎もたびたび寄稿していますし、逸見・岡安、ともに光太郎と交流がありましたので、足を運んだ次第です。
逸見と岡安の稿の載った『歴程』などが中心の展示でした。その中には光太郎の素描を表紙に使った号も(そうである旨のキャプションが為されて居らず残念でしたが)。それから、光太郎も寄稿した歴程同人によるアンソロジー『歴程詩集 紀元貳千六百年版』(昭和16年=1941)、光太郎が序文を書いた石川善助詩集『亜寒帯』なども並んでいました。
二人に充てた書簡類の展示があって、そこに光太郎からのものなど含まれていないかと淡い期待をしていたのですが、やはりそれはありませんでした。帰りけに訊いてみたところ、所蔵もされていないとのことでした。
再び栃木ICから東北道、岩舟JCTで北関東道、高崎JCTで関越道に入り北上、前橋ICで下りて、次なる目的地・群馬県立土屋文明記念館さんへ。第127回企画展「愛の手紙-友人・師弟篇-」が開催中で、セコい話ですが、昨日は群馬県民の日で入場無料ということで、昨日を狙いました(笑)。
他にもメジャーどころの文豪たち。
光太郎の書簡は2通、ともに親友だった水野葉舟に宛てたものでした。同館所蔵のものが出ているかと思っていたのですが、駒場の日本近代文学館さんからの貸与でした。他の作家のそれを含め、今回の展示品は7割方が日本近代文学館さんの所蔵品、残りの2割が土屋文明記念文学館さん、1割がこおりやま文学の森資料館さんといった感じでした。
で、葉舟に宛てた2通の書簡。ともに昭和9年(1934)のもので、『高村光太郎全集』では連続して掲載されています。1通めが5月9日、2通めは5月16日。智恵子の心の病が昂進し、千葉の九十九里浜に移り住んでいた智恵子の母・センと妹夫婦のところに智恵子を預けた直後のものです。翌年には智恵子は南品川ゼームス坂病院に入院します。
『智恵子抄』の裏面史、といったキャプションとなっていましたが、そのとおりですね。ちなみに現在、花巻の高村光太郎記念館さんで展示されている中原綾子宛の書簡群もそうした一面を持っています。
他の書簡群も興味深く拝見いたしました。やはり書簡という私的なものなので、文学史上の裏面史といった部分が色濃く出ていますし、「この人はこういう字を書くんだ」的な意味でも面白く感じました。
図録は発行されていませんでしたが、それに代わる感じで、日本近代文学館さん編の『愛の手紙 友人・師弟篇』という書籍が販売されていて、購入してきました。平成15年(2003)刊行のデッドストックですが、存じませんでした。今回展示されている書簡で日本近代文学館さんからの貸与品のうち、その殆どが掲載されているようです。

撮影は昭和2年(1927)、芥川の死の年です。
それからロビーでは、他の文豪達が写し出される約15分の動画。
改造社が大正15年(1926)から刊行を始めた「日本文学全集」(いわゆる「円本」)のプロモーションのために制作したものだそうで、徳富蘇峰、菊地寛、さらに光太郎と縁の深かった佐藤春夫や武者小路実篤などが登場していました。佐藤に関しては光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の動画で老境に入った頃の動く姿を見たことがありますが、こちらはまだ30代で「若っ」という感じでした。
同全集では第37篇の『現代日本詩集 現代日本漢詩集』、第38篇の『現代短歌集 現代俳句集』に光太郎の作品も多数掲載されていますが、残念ながらプロモーション動画への光太郎出演はなかったようです。
さて、同館を後に、再び前橋ICから関越道に乗り、埼玉県の東松山ICまで。最後の目的地、同市の総合会館さんへ。こちらでは例年の催しとして、光太郎に私淑していた彫刻家・高田博厚の作品を集めた「彫刻家 高田博厚展2025―Vitrail(ヴィトロー)―「窓」から見る高田博厚」が開かれています。
一気にそこまで書いてしまおうかとも考えましたが、長くなりましたし続きも長くなりますので、明日に廻します。
【折々のことば・光太郎】
細部は全体と一致する様に肉づけせられねばならない。面を重んずる事は肉づけの正確を余儀なくさせる。一つのものは他のものから出てゐる。前者は後者を生む。
二人に充てた書簡類の展示があって、そこに光太郎からのものなど含まれていないかと淡い期待をしていたのですが、やはりそれはありませんでした。帰りけに訊いてみたところ、所蔵もされていないとのことでした。
再び栃木ICから東北道、岩舟JCTで北関東道、高崎JCTで関越道に入り北上、前橋ICで下りて、次なる目的地・群馬県立土屋文明記念館さんへ。第127回企画展「愛の手紙-友人・師弟篇-」が開催中で、セコい話ですが、昨日は群馬県民の日で入場無料ということで、昨日を狙いました(笑)。
他にもメジャーどころの文豪たち。
光太郎の書簡は2通、ともに親友だった水野葉舟に宛てたものでした。同館所蔵のものが出ているかと思っていたのですが、駒場の日本近代文学館さんからの貸与でした。他の作家のそれを含め、今回の展示品は7割方が日本近代文学館さんの所蔵品、残りの2割が土屋文明記念文学館さん、1割がこおりやま文学の森資料館さんといった感じでした。
で、葉舟に宛てた2通の書簡。ともに昭和9年(1934)のもので、『高村光太郎全集』では連続して掲載されています。1通めが5月9日、2通めは5月16日。智恵子の心の病が昂進し、千葉の九十九里浜に移り住んでいた智恵子の母・センと妹夫婦のところに智恵子を預けた直後のものです。翌年には智恵子は南品川ゼームス坂病院に入院します。
『智恵子抄』の裏面史、といったキャプションとなっていましたが、そのとおりですね。ちなみに現在、花巻の高村光太郎記念館さんで展示されている中原綾子宛の書簡群もそうした一面を持っています。
他の書簡群も興味深く拝見いたしました。やはり書簡という私的なものなので、文学史上の裏面史といった部分が色濃く出ていますし、「この人はこういう字を書くんだ」的な意味でも面白く感じました。
図録は発行されていませんでしたが、それに代わる感じで、日本近代文学館さん編の『愛の手紙 友人・師弟篇』という書籍が販売されていて、購入してきました。平成15年(2003)刊行のデッドストックですが、存じませんでした。今回展示されている書簡で日本近代文学館さんからの貸与品のうち、その殆どが掲載されているようです。

それから、テレビモニターを使った動画の上映が2箇所で為されていました。展示室では芥川龍之介(約2分)。智恵子や南品川ゼームス坂病院などにも触れられた平成25年(2013)刊行の『脳病院をめぐる人びと 帝都・東京の精神病理を探索する』で紹介されていたものですし、一昨年には「NHKスペシャル 映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 後編」の中で放映されました。

それからロビーでは、他の文豪達が写し出される約15分の動画。
改造社が大正15年(1926)から刊行を始めた「日本文学全集」(いわゆる「円本」)のプロモーションのために制作したものだそうで、徳富蘇峰、菊地寛、さらに光太郎と縁の深かった佐藤春夫や武者小路実篤などが登場していました。佐藤に関しては光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の動画で老境に入った頃の動く姿を見たことがありますが、こちらはまだ30代で「若っ」という感じでした。
同全集では第37篇の『現代日本詩集 現代日本漢詩集』、第38篇の『現代短歌集 現代俳句集』に光太郎の作品も多数掲載されていますが、残念ながらプロモーション動画への光太郎出演はなかったようです。
さて、同館を後に、再び前橋ICから関越道に乗り、埼玉県の東松山ICまで。最後の目的地、同市の総合会館さんへ。こちらでは例年の催しとして、光太郎に私淑していた彫刻家・高田博厚の作品を集めた「彫刻家 高田博厚展2025―Vitrail(ヴィトロー)―「窓」から見る高田博厚」が開かれています。
一気にそこまで書いてしまおうかとも考えましたが、長くなりましたし続きも長くなりますので、明日に廻します。
【折々のことば・光太郎】
細部は全体と一致する様に肉づけせられねばならない。面を重んずる事は肉づけの正確を余儀なくさせる。一つのものは他のものから出てゐる。前者は後者を生む。
光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃
一つの彫刻作品でもそうですが、栃木と群馬で様々な文学者達の相関についての展示を見て、人間関係などにも言えることのような気がしました。個々の作家を単体で見るのでなく、幅広い人間関係の中で位置づけることの大切さ、とでもいいましょうか。
再来月になりますが、明星研究会さんでの研究発表を依頼されまして、主に明治末から大正前半の光太郎の立ち位置について、考えているところです。
再来月になりますが、明星研究会さんでの研究発表を依頼されまして、主に明治末から大正前半の光太郎の立ち位置について、考えているところです。











