まず東北の地方紙記事から3件ご紹介します。
最初は仙台に本社を置く『河北新報』さん、昨日の一面コラムです。
最初に紹介されている「わが詩をよみて……」は、昭和22年(1947)、連作詩「暗愚小伝」に組み込むつもりで書いたものの、結局はボツにした詩篇です。全文はこちら。光太郎の精神史を語る上では外せない一篇ではあります。
智恵子の「暴力は臆病の変形」は、コラムにある通り、大正12年(1923)の関東大震災後、光太郎も支援していた大杉栄と妻の伊藤野枝が、憲兵大尉・甘粕正彦によって虐殺された事件に対してのもの。全文はこちら。
その智恵子の故郷・福島二本松で顕彰を続ける智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会さんの講座については、改めて記事にするつもりでいましたが、ついでですのでご紹介してしまいます。
最初は仙台に本社を置く『河北新報』さん、昨日の一面コラムです。
詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の詩に<その詩を戦地の同胞がよんだ。人はそれをよんで死に立ち向つた>という一節がある。光太郎が戦後に書いた『わが詩をよみて人死に就けり』。光太郎は戦時中、戦意高揚の詩を量産した。その反省に立った詩だ▼光太郎の父は皇室をあつく敬い、光太郎も天皇崇拝は変わらなかった。1945年5月に岩手県花巻市に疎開したまま、戦後も7年間を花巻郊外の山小屋に暮らした光太郎には戦争協力への贖罪(しょくざい)意識があったとされる▼「妻智恵子が生きていたら、光太郎は戦争に協力しただろうか」。こんな疑問を抱くのは、智恵子の古里、福島県二本松市の熊谷健一さん(75)。20年前から智恵子顕彰活動に取り組む「智恵子のまち夢くらぶ」の代表を務める▼智恵子は関東大震災後に社会運動家の大杉栄らが憲兵に殺害された事件に関し、婦人雑誌のアンケートに「暴力は臆病の変形」と寄せた。智恵子が他界した38年に国家総動員法が制定され、光太郎も戦争に巻き込まれる。熊谷さんが想像を巡らせるゆえんだ▼くらぶは11月、智恵子没後の光太郎をテーマに講座を3回開く。戦争との関わりも考える。「事実から目をそらさずに学びたい」。熊谷さんの姿勢から2人への愛が伝わる。
最初に紹介されている「わが詩をよみて……」は、昭和22年(1947)、連作詩「暗愚小伝」に組み込むつもりで書いたものの、結局はボツにした詩篇です。全文はこちら。光太郎の精神史を語る上では外せない一篇ではあります。
智恵子の「暴力は臆病の変形」は、コラムにある通り、大正12年(1923)の関東大震災後、光太郎も支援していた大杉栄と妻の伊藤野枝が、憲兵大尉・甘粕正彦によって虐殺された事件に対してのもの。全文はこちら。
その智恵子の故郷・福島二本松で顕彰を続ける智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会さんの講座については、改めて記事にするつもりでいましたが、ついでですのでご紹介してしまいます。
期 日 : 2025年11月3日(月・祝) 11月16日(日) 11月24日(月・振休)
会 場 : 11/3・11/16 ラポートあだち 11/24 安達公民館
時 間 : 10:00~12:30
料 金 : 3,000円
講 師 : 熊谷健一(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会代表)
美の求道者として同志愛を貫いた高村光太郎と智恵子。智恵子亡き後の光太郎はどのように生き、どんな作品を残したのでしょうか。光太郎晩年の人生と芸術に肉迫します。
次に、光太郎第二の故郷・岩手の『岩手日日』さん。これも昨日掲載されました。講 師 : 熊谷健一(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会代表)
美の求道者として同志愛を貫いた高村光太郎と智恵子。智恵子亡き後の光太郎はどのように生き、どんな作品を残したのでしょうか。光太郎晩年の人生と芸術に肉迫します。
高村光太郎記念館の特別展「中原綾子への手紙」は、花巻市太田の同館で開かれている。同人の中原綾子に宛てた光太郎直筆の手紙が展示され、光太郎の人柄や当時抱えていた悩みなどを伝えている。2026年2月28日まで。
中原は与謝野晶子門下の歌人。文芸誌「明星」に作品を発表しており、同誌に作品を寄せていた光太郎とは交流があった。交流は光太郎が花巻に疎開してからも続き、1951年9月に山荘を訪れて光太郎を見舞うなど生涯にわたり古流を持つ間柄であつたとされる。
特別展では「智恵子抄」などの作品に通じる光太郎の心境を、中原に宛てた手紙でたどっている。手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できるが、直筆の手紙を展示するのは初という。
34年12月28日付の手紙には、「ちえ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽していますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります」とあり、統合失調症を患う妻智恵子に対する苦悩が赤裸々につづられている。
51年10月5日付の手紙では、体調が優れない中原に対し「食事の十分とれますまで酒タバコは一寸お休みになる方がいいかと存じます」と助言しており、2人の関係性や光太郎の人柄がうかがえる。
特別展を担当する花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「活字ではなく、光太郎直筆の手紙が見られる珍しい機会を通じて、光太郎の人柄や中原との関係性などを感じてほしい」と話す。
開館時間は午前8時30分~午後4時30分。問い合わせは同館=0198(28)3012へ。
4月から4期に分けて開催されている特別展「中原綾子への手紙」に関してです。4月から始まっているのに「なぜ今?」という感じなのですが、どうも岩手県ではこういう風習なのだと思われます。光太郎も岩手在住中、服の仕立を頼んだものの、その後梨のつぶてで困惑する記述を残していましたが、出来上がってみると実に丁寧な仕事で、文句の附けようもない、みたいな。
今回出品されている書簡に関しても、全文を翻字し、画像をつけて図録として出版という話で、原稿はとっくに送ってあるのですが、いつになるやら……という感じです。通常は会期が始まる前に作っておいて販売するものだと思うのですが……。
後は、記事に誤りがありますので訂正しておきます。「手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できる」とありますが、『高村光太郎全集』にもれている書簡も5通ほど。その意味でも図録の完成が待たれます。
続いて同じく花巻ネタで『岩手日報』さん。一昨日の掲載でした。
今後も地域住民とドライバーの憩いの場であり続けます――。県道盛岡和賀線沿いに位置し、今年開業5周年を迎えた花巻市轟木の道の駅はなまき西南(高橋有希駅長)は、地元の偉人にちなんだオリジナルメニューが好評を博している。
今回出品されている書簡に関しても、全文を翻字し、画像をつけて図録として出版という話で、原稿はとっくに送ってあるのですが、いつになるやら……という感じです。通常は会期が始まる前に作っておいて販売するものだと思うのですが……。
後は、記事に誤りがありますので訂正しておきます。「手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できる」とありますが、『高村光太郎全集』にもれている書簡も5通ほど。その意味でも図録の完成が待たれます。
続いて同じく花巻ネタで『岩手日報』さん。一昨日の掲載でした。
今後も地域住民とドライバーの憩いの場であり続けます――。県道盛岡和賀線沿いに位置し、今年開業5周年を迎えた花巻市轟木の道の駅はなまき西南(高橋有希駅長)は、地元の偉人にちなんだオリジナルメニューが好評を博している。 戦争空襲で宮沢賢治の実家を頼り、花巻市の旧太田村に疎開した高村光太郎(1883~1956年)に関連し、駅の愛称は「賢治と光太郎の郷(さと)」。光太郎の日記を基に再現し、毎月15日に10食限定で販売する地元食材が中心の月替わり弁当は常連客の人気商品だ。
ボリューム満点のランチを食べたい時は、 地元住民が愛してやまない焼き肉の老舗・味楽苑「道の駅店」へ。名物のささまホルモン(単品660円)は、貴重な豚の直腸を全国から厳選して仕入れている。自家製のみそダレが絶妙に絡み、ぽっべたが落ちそうだ。
近くに大型商業施設がなく、人口減少が進む太田・笹間地区を活気づけようと、住民の働きかけで2020年に開業。今年8月には来場者200万人を達成した。高橋駅長(38)は「ここにしかない歴史と『魅力』を届けたい。皆さんにとって居心地のよい場所になってもらえばうれしい」と願う。
売店の営業時間は午前9時~午後5時。年末年始は一部施設休業。
イチ押し しっとり塩あんぱん
はなまき西南限定の塩あんぱん(300円)を食べてほしい。花巻温泉の温泉ベーカリーとのコラボ商品。ぎっしり詰まった粒あんは、ほのかな塩気でしっとりした味わい。自動販売機で冷凍販売しており、解凍するのを待ちながら周囲の観光地を巡ってみよう。同温泉の日帰り入浴200円割引券付きのお得なセットで、心も体も「ほっと」一息ついてみてはいかが。
花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰をなさっているやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、毎月15日にさんのテナント・さんが販売されている豪華弁当に触れられています。
そのやつかの森さん、今月行われた土澤アートクラフトフェアなど、花巻南高校家庭クラブさんといろいろ共同でなさっている関係で、10月23日(木)には同市で開催された岩手県高等学校家庭クラブ研究発表大会に招聘され、光太郎に関わる寸劇を披露されたとのこと。
かなり概念的な表現ですが、ロダンはけっこう彫刻の本質的な在り方、制作方法のキモを言葉にしています。光太郎は一語一語を噛みしめながら翻訳し、自作に生かしていたようですし、後進の芸術家達も光太郎の訳によってその精神に触れ、各自がその実践を行おうとしていきました。
花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰をなさっているやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、毎月15日にさんのテナント・さんが販売されている豪華弁当に触れられています。
そのやつかの森さん、今月行われた土澤アートクラフトフェアなど、花巻南高校家庭クラブさんといろいろ共同でなさっている関係で、10月23日(木)には同市で開催された岩手県高等学校家庭クラブ研究発表大会に招聘され、光太郎に関わる寸劇を披露されたとのこと。
そんなこんなで、光太郎智恵子ゆかりの東北では、二人の顕彰活動が活発ですが、こういう動きが東北に留まらず、全国に広がって欲しいものです。
【折々のことば・光太郎】
量とは何か。其は物体が空気の中で位置を占める空間(スペース)の事です。芸術の本質的基礎は此の正確な空間を定める事です。此が始であり終であります。
【折々のことば・光太郎】
量とは何か。其は物体が空気の中で位置を占める空間(スペース)の事です。芸術の本質的基礎は此の正確な空間を定める事です。此が始であり終であります。
光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃
かなり概念的な表現ですが、ロダンはけっこう彫刻の本質的な在り方、制作方法のキモを言葉にしています。光太郎は一語一語を噛みしめながら翻訳し、自作に生かしていたようですし、後進の芸術家達も光太郎の訳によってその精神に触れ、各自がその実践を行おうとしていきました。








