今年度の文化勲章/文化功労者の発表がありました。
時事通信さん。
時事通信さん。
王貞治さんら8人文化勲章 功労者に野沢雅子さんら、声優初
政府は17日、2025年度の文化勲章を、元プロ野球選手・監督で現ソフトバンク球団会長の王貞治氏(85)、ノーベル化学賞受賞が決まった京都大特別教授の北川進氏(74)ら8人に贈ると決めた。 文化功労者にはアニメ「ドラゴンボール」シリーズの孫悟空役などで知られる声優の野沢雅子=本名塚田雅子=氏(88)、漫画家の竹宮恵子氏(75)、建築家の坂茂氏(68)ら計21人を選んだ。声優の文化功労者は初で、女性の功労者は過去最多だった昨年度と同じ6人。文化勲章を受ける北川氏は同時に功労者にも選ばれた。
文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同4日に東京都内のホテルで行われる。
文化勲章を受けるのは他に、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門=本名片岡孝夫(81)▽心臓血管外科学の川島康生(95)▽民俗学の小松和彦(78)▽ファッションデザイナーのコシノジュンコ=本名鈴木順子(86)▽美術評論の辻惟雄(93)▽有機合成化学の山本尚(82)の各氏。
他の功労者は、美術家のイケムラレイコ=本名池村玲子(74)▽陶芸家の伊勢崎淳=本名伊勢崎惇(89)▽落語家の柳家さん喬=本名稲葉稔(77)▽小説家・評論家の水村美苗=本名岩井美苗(74)▽柔道の上村春樹(74)▽泌尿器科学の垣添忠生(84)▽文化人類学の小長谷有紀(67)▽高分子化学の沢本光男(73)▽日本料理家の高橋英一(86)▽舞踊家の田中泯=本名田中捷史(80)▽新内節三味線の新内仲三郎=本名角田富章(85)▽演劇の野田秀樹(69)▽レスリングの福田富昭(83)▽半導体デバイス工学の三浦道子(76)▽感染症学の満屋裕明(75)▽文化人類学の山下晋司(76)▽政治学の渡辺浩(79)の各氏。
ノーベル賞受賞が決まった人は、文化勲章・功労者に選ばれるのが慣例。今年、生理学・医学賞に選ばれた大阪大特任教授の坂口志文氏(74)は2017年に功労者となり、19年に文化勲章を受章している。
このうち、文化勲章を受章される片岡仁左衛門氏は、本名の「片岡孝夫」で活動されていた昭和48年(1973)、NHKさんの「銀河テレビ小説 生きて愛して」(全30回)で、主役の光太郎役を演じられました。
第1回放映冒頭部分は、花巻郊外旧太田村という設定でした。上画像は蟄居生活を送っていた山小屋(高村山荘)で、当会の祖・草野心平(前田吟さん)に、沈痛な面持ちで戦時中の翼賛活動を悔いる話をしているという場面。一転して朗らかな笑顔の下画像は、山小屋近くの分教場で、子供たちを相手にしているシーン。当然と言えば当然ですが、この二つの表情のギャップだけでも演技の幅がしのばれますね。
ちなみに「銀河テレビ小説 生きて愛して」、ヒロインの智恵子役は大空真弓さん、他に荻原守衛役は寺田農さん、まだ新人だった水沢アキさんが、智恵子の妹・セキの役でした。さらにいうなら、仁左衛門さんのお嬢さん・片岡京子さんは平成12年(2000)、津村節子氏原作の舞台「智恵子飛ぶ」で、智恵子役を演じられました。元々、某大物女優が智恵子役だったところ、その女優が身内の薬物事件逮捕で急遽降板し、セキ役だった京子さんが智恵子役に抜擢という事情がありましたが、それでも父子で時を経て光太郎智恵子役を演じたという稀有な例でした。
仁左衛門さんインタビュー等。やはり時事通信さんから(以下同じ)。
野田氏は登場人物が智恵子のみの一人芝居で、最近も全国各地で様々な劇団や個人の方によって上演され続けている「売り言葉」を書かれました。初演は平成14年(2002)、大竹しのぶさんが智恵子でした。
「『芝居が好き』という一心で作品を作ってきた」。劇作家の野田秀樹さん(69)は、文化功労者の決定を受けてコメントを出し、演劇人としての半世紀を振り返った。
坂氏は、光太郎ゆかりの地にして、毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅駅舎を東日本大震災後の平成27年(2015)に設計されました。
「住環境で困っている人がいたら、それを改善するのは当たり前の責任」。文化功労者に選ばれた建築家の坂茂さん(68)は、世界の著名建築を手掛ける一方、仮設住宅の建設など被災地支援をライフワークとしてきたことで知られる。
意外と下積み時代の長かったロダンならではの言です。光太郎もそうでしたし。
今回受賞が決まった方々の中にも、世に認められるまでけっこうかかったという方もいらっしゃるような気がします。
このうち、文化勲章を受章される片岡仁左衛門氏は、本名の「片岡孝夫」で活動されていた昭和48年(1973)、NHKさんの「銀河テレビ小説 生きて愛して」(全30回)で、主役の光太郎役を演じられました。

ちなみに「銀河テレビ小説 生きて愛して」、ヒロインの智恵子役は大空真弓さん、他に荻原守衛役は寺田農さん、まだ新人だった水沢アキさんが、智恵子の妹・セキの役でした。さらにいうなら、仁左衛門さんのお嬢さん・片岡京子さんは平成12年(2000)、津村節子氏原作の舞台「智恵子飛ぶ」で、智恵子役を演じられました。元々、某大物女優が智恵子役だったところ、その女優が身内の薬物事件逮捕で急遽降板し、セキ役だった京子さんが智恵子役に抜擢という事情がありましたが、それでも父子で時を経て光太郎智恵子役を演じたという稀有な例でした。
仁左衛門さんインタビュー等。やはり時事通信さんから(以下同じ)。
「子孫への置き土産に」 文化勲章の片岡仁左衛門さん
文化勲章に選ばれた歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(81)は、柔和な笑みを浮かべて喜びを語った。
1998年、大病を克服し十五代目仁左衛門を襲名。「神さまが命を下さった責任感」を胸に、芸の伝承に尽くしてきた。「お客さまに受け入れられている空気が伝わってきたときはうれしい」と芝居の醍醐味(だいごみ)を口にする。
「菅原伝授手習鑑」の菅丞相をはじめ多くの当たり役を持つが、「役を掘り下げるといまだに発見がある」と強調。「文化勲章の質を落とさないよう、なお一層精進する」と力強く語った。
片岡 仁左衛門氏(かたおか・にざえもん、本名片岡孝夫=かたおか・たかお)歌舞伎俳優。人気と実力を兼ね備えた俳優として長年優れた成果を挙げ、関係団体でも要職を歴任するなど歌舞伎界の振興に貢献。06年紫綬褒章、15年人間国宝。大阪府出身。81歳。
文化勲章と同時に発表された文化功労者には、今年2月に発表された日本芸術院の新会員に続き、脚本家の野田秀樹氏と建築家の坂茂氏も選出されました。片岡 仁左衛門氏(かたおか・にざえもん、本名片岡孝夫=かたおか・たかお)歌舞伎俳優。人気と実力を兼ね備えた俳優として長年優れた成果を挙げ、関係団体でも要職を歴任するなど歌舞伎界の振興に貢献。06年紫綬褒章、15年人間国宝。大阪府出身。81歳。
野田氏は登場人物が智恵子のみの一人芝居で、最近も全国各地で様々な劇団や個人の方によって上演され続けている「売り言葉」を書かれました。初演は平成14年(2002)、大竹しのぶさんが智恵子でした。
「芝居が好き」の一心で 文化功労者の野田秀樹さん
「『芝居が好き』という一心で作品を作ってきた」。劇作家の野田秀樹さん(69)は、文化功労者の決定を受けてコメントを出し、演劇人としての半世紀を振り返った。 東京大在学中の1976年に劇団「夢の遊眠社」を結成し、80年代の小劇場ブームをけん引。奇想天外な物語と躍動感あふれる舞台で観客を魅了した。解散後は、海外の演劇人との共作や歌舞伎など他ジャンルの創作にも精力的に取り組む。
独特な言葉遊びが野田戯曲の妙味。「『文化功労者=ぶんかこうろうしや』が、頑迷な『文化殺し屋=ぶんかころしや』にならないよう」精進するとユーモラスにつづった。
野田 秀樹氏(のだ・ひでき)劇作家・演出家・俳優。ジャンルを超えた多彩な創作を展開し、劇作、演出、演技全てで傑出した才能を発揮。演劇における国際交流の業績でも高い評価を得た。11年紫綬褒章。長崎県出身。69歳。坂氏は、光太郎ゆかりの地にして、毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅駅舎を東日本大震災後の平成27年(2015)に設計されました。
「住環境の改善が責任」 文化功労者の坂茂さん
「住環境で困っている人がいたら、それを改善するのは当たり前の責任」。文化功労者に選ばれた建築家の坂茂さん(68)は、世界の著名建築を手掛ける一方、仮設住宅の建設など被災地支援をライフワークとしてきたことで知られる。避難所の間仕切りを、安価で丈夫な「紙管」で開発するなどの活動を続けてきた。阪神大震災の避難所で「被災者が雑魚寝する悲惨な状況を見た」のがきっかけだった。
来年度中の設置が見込まれる「防災庁」の行方が気がかりという。「僕ほど世界の被災地を見てきた建築家はいないと思う。絶対に必要な省庁で、お手伝いして何とか良いシステムをつくりたい」と強調した。
坂 茂氏(ばん・しげる)建築家。リサイクルや焼却が可能な紙製パイプ「紙管」を活用するなど、特徴的な建築で国際的に注目を集めた。災害時には建築の知見を生かした支援活動も展開し、世界から称賛を受けている。14年プリツカー賞、17年紫綬褒章。東京都出身。68歳。
他の受賞者の皆さんを含め、関係の方々の今後のますますのご活躍を祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
――自分が何かをやる事さへ確かなら、少し位待つたつて何でも無い。たつたひとつの彫像でも押し出せる。
坂 茂氏(ばん・しげる)建築家。リサイクルや焼却が可能な紙製パイプ「紙管」を活用するなど、特徴的な建築で国際的に注目を集めた。災害時には建築の知見を生かした支援活動も展開し、世界から称賛を受けている。14年プリツカー賞、17年紫綬褒章。東京都出身。68歳。
他の受賞者の皆さんを含め、関係の方々の今後のますますのご活躍を祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
――自分が何かをやる事さへ確かなら、少し位待つたつて何でも無い。たつたひとつの彫像でも押し出せる。
光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃
意外と下積み時代の長かったロダンならではの言です。光太郎もそうでしたし。
今回受賞が決まった方々の中にも、世に認められるまでけっこうかかったという方もいらっしゃるような気がします。

