光太郎も寄稿した戦前の地方詩誌の復刻です。

詩誌 門 【復刻版】

発行日 : 近日刊行(2025年10月)
著者等 : 【解題】外村彰(安田女子大学文学部教授)
版 元 : 三人社
定 価 : 30,000円+税

敗戦の年、ビルマの野戦病院に没した詩人・高祖保。18歳で編んだ稀覯誌『門』は高祖の作風模索の経緯を教えてくれるのと同時に、高村光太郎や三好達治をはじめとした既成詩人たちの寄稿も多く眼を惹く。シンプルな装幀かつ誌面構成で、純粋な詩世界を希求せんとする高祖の篤実な姿勢がよく伝わる。総じて同誌は、当時の地方同人詩誌の高い水準を保った達成例を示すものと云えるであろう。高祖が関わった詩誌三誌を附録につけて、若き詩魂の証をここに復刻する。

体裁/A5判、上製、布装 総約510頁
巻末・附録/解題・総目次・執筆者索引、文芸誌『湖光る』創刊号、詩誌『処女地』第6年第1輯、詩誌『声』第壱輯、第参輯、叢書4(『湖光る』『処女地』は表紙・目次・高祖関連の作品および奥付等を部分収録。『声』第2輯は未見)
原誌提供/彦根市立図書館

執筆者一覧
 相川俊孝 
明石染人 麻生恒太郎 安西冬衛 生田花世 井口廸夫 石川善助 石田象夫
 岡崎清一郎 尾形亀之助 喜志邦三 木俣修 黒部政二郎 高祖保 後藤八重子 近藤東
 佐後淳一郎 佐藤清 澤田勇二良 白鳥省吾 高村光太郎 竹内勝太郎 角田竹夫
 外山卯三郎 中西悟堂 南江二郎 野口米次郎 野長瀬正夫 野村吉哉 春山行夫
 平木二六 堀場正夫 峰専治 三好達治 村野四郎 百田宗治 森田恵之介 渡邊修三
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高祖保は岡山県出身の詩人。少年時代に滋賀県の彦根に引っ越し、旧制彦根中学時代から詩に親しんで、今回復刻される『門』なども彦根で刊行しました。昭和18年(1943)には光太郎の年少者向け翼賛詩集『をぢさんの詩』の編集実務を担当、光太郎にいたく感謝されました。このあたり、子息の宮部修氏が書かれた高祖の評伝『父、高祖保の声を探して』に記述があります。最期はビルマ(現・ミャンマー)で戦病死しています。

確認出来ている限り、『門』への光太郎寄稿は2回。創刊号(昭和3年=1928)に「その詩」という詩、終刊号(昭和5年=1930)には「詩そのもの」という散文を寄せています。その他、よくあるケースで、きちんとした作品ではなく、寄稿者から送られた書簡をそのまま巻末の編集後記的なページに転載する例があり、もしかすると光太郎のそれも有るかも知れませんが、未確認です。

『門』への寄稿者、上記にあるとおりですが、なかなかのメンバーの名が並んでいます。このうち、光太郎と交流のあった面々も10名以上です。

今回の版元の三人社さん、京都の書肆ですが、この手の戦前・戦後の地方詩誌などの復刻を多く手がけられていました。例えば上記内容見本画像の下の方にも記述がありますが、『椎の木』。こちらにも光太郎がたびたび寄稿しています。ただ、こちらの内容見本には光太郎の名が無く、復刻されているのを存じませんでした。

こういう地方の詩歌誌で、光太郎が寄稿したことがわかっていながら、国会図書館さん、日本近代文学館さん、その他各地の図書館さんや文学館さんなどに所蔵が確認出来ず、復刻も為されていないため『高村光太郎全集』にもれている作品がけっこうあります。中には題名や出版年月日まで分かっているのに見つからないものもあります。「よっしゃあ、見つけたぁ!」と思って閲覧させてもらったら、光太郎のページだけ切り取られていて見られなかったことも(笑)。

そういった知られざる作品を掘り起こすのがライフワークの一つとなっていますが、その意味では、今回のような復刻はありがたいことです。実際、それで探していたものを見つけたとか、不明だった詳しい初出誌情報等が判明したということも少なくありませんし。

なかなか商業的には成り立ちにくい企画とは存じますが、こういうことの灯を絶やさないでほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

レムブラントはルーヴルで模写をする事によつて会得されはしません。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

レンブラントに限らず、過去の巨匠の作品を模写(彫刻なら模刻)するだけでは、その精神を真に理解するのは不可能ということです。模写(模刻)によって分かることも少なからずありましょうが、それで制覇した気になっては駄目だよ、ということでしょう。