今日、10月10日は光太郎の父・光雲の忌日です。昭和9年(1934)、数え83歳で、息子の光太郎より10年近く長命だったことになります。最期は胃ガンでした。
その光雲の名が、先週の『山陽新聞』さんに。ただし、弟子の平櫛田中を紹介する中でのものでしたが。
タイトル「燃ゆる鏡獅子―平櫛田中、木彫に捧ぐ血潮」(5分40秒)は、歌舞伎の六代目尾上菊五郎をモデルに田中が22年の歳月をかけ86歳で鏡獅子を完成させた道のりを描いている。
1~4年の部員30人は昨秋以降、平櫛田中美術館(井原市)を何度も訪れ、鏡獅子に見入った。「今にも動き出しそうな躍動感や圧巻の存在感…。学生たちが深い感銘を受け、田中さんをテーマに創作を思い立った」と小澤尚子監督。関連資料を読み込み、大学に歌舞伎役者を招いて動きを教わりながら振り付けやストーリーを仕上げたという。
はかま姿の田中ときらびやかな鏡獅子を中心に、血潮のごとく真っ赤な衣装の部員たちが躍動する。歌舞伎の見えを切るポーズや部員を担ぎ上げるリフト技、鏡獅子の豪快な毛振りを随所に取り入れ、終盤にはアクロバティックな空中交差を披露。全国優勝経験のある強豪・井原高新体操部出身の波多地陸人さん(19)、福田悠斗さん(18)の両1年生は「井原の偉人に関する作品で技を出せたのは光栄」と口をそろえる。
フェスティバルには24校が出場。特別賞は最優秀など四つの賞に次ぐ位置づけで、環太平洋大を含む4校が受賞した。主将の4年荻野清純さん(22)は「田中さんの名言「わしがやらねばたれがやる」の思いで一人一人が練習した結果、美術館をはじめ多くの方々の協力のおかげで受賞できた」と感謝している。
ズーム 平櫛田中 近代彫刻の第一人者・高村光雲に師事し、伝統的な木彫に西洋の写実性を加える技術を磨いた。1962年に文化勲章を受章。最晩年まで創作を続け、107歳で亡くなるまで現役を全うした。「鏡獅子」は36年に着手し、戦争の激化などによる一時中断を経て58年に完成。高さ2㍍超の威容や木肌の質感で田中芸術の集大成とされる。国立劇場(東京)の建て替えに伴い平櫛田中美術館に「里帰り」している。
地元の偉人、歌舞伎の演目(映画「国宝」がロングラン中ですし)と、着眼点が素晴らしいですね。演舞そのものも高評価を得たのでしょうが。ちなみに公式サイトによれば、「クロスカルチャーへの新しい挑戦」という枠組みでの特別賞受賞だとのこと。
先の話ですが、今回の受賞を受けて、井原市の平櫛田中美術館さんで開催中の企画展「彩色の世界―色から読み解く鏡獅子―」の関連イベントとして、同市での公演が開催されるそうです。
光太郎智恵子をモチーフとした舞踊も、これまでにぽつりぽつりと公演がありましたが、ごく最近は聞きません。また演じられてほしいものです。ちなみにこのブログの「舞踊」カテゴリ、最新の記事は昨年の4月、上野桜木町の旧平櫛田中邸で行われた「旧平櫛田中邸 de タコダンス」でした。たまたま田中旧邸での公演で、内容的には関連がありませんでしたが。
田中ついでにもう1件。ダンスの話題は田中の故郷・岡山井原でしたが、こちらは田中が版円の晩年の10年を過ごした東京都小平市から。
皆様もぜひご協力ください。
【折々のことば・光太郎】
――要するに、美は到る処にあります。美がわれわれの眼に背くのでは無くて、われわれの眼が美を認めそくなふのです。
「そくなふ」は「そこなう」の古語です。
その光雲の名が、先週の『山陽新聞』さんに。ただし、弟子の平櫛田中を紹介する中でのものでしたが。
大学創作ダンスの国内最高峰の大会、「全日本大学ダンスフェスティバル」(8月・神戸市)で、環太平洋大(岡山市東区瀬戸町観音寺)ダンス部が2年連続の特別賞に輝いた。井原市出身で日本近代彫刻の巨匠・平櫛田中の傑作「鏡獅子」から着想を得て、田中の生きざまや鏡獅子の迫力をダンスで表現し、高い評価を受けた。
タイトル「燃ゆる鏡獅子―平櫛田中、木彫に捧ぐ血潮」(5分40秒)は、歌舞伎の六代目尾上菊五郎をモデルに田中が22年の歳月をかけ86歳で鏡獅子を完成させた道のりを描いている。
1~4年の部員30人は昨秋以降、平櫛田中美術館(井原市)を何度も訪れ、鏡獅子に見入った。「今にも動き出しそうな躍動感や圧巻の存在感…。学生たちが深い感銘を受け、田中さんをテーマに創作を思い立った」と小澤尚子監督。関連資料を読み込み、大学に歌舞伎役者を招いて動きを教わりながら振り付けやストーリーを仕上げたという。
はかま姿の田中ときらびやかな鏡獅子を中心に、血潮のごとく真っ赤な衣装の部員たちが躍動する。歌舞伎の見えを切るポーズや部員を担ぎ上げるリフト技、鏡獅子の豪快な毛振りを随所に取り入れ、終盤にはアクロバティックな空中交差を披露。全国優勝経験のある強豪・井原高新体操部出身の波多地陸人さん(19)、福田悠斗さん(18)の両1年生は「井原の偉人に関する作品で技を出せたのは光栄」と口をそろえる。
フェスティバルには24校が出場。特別賞は最優秀など四つの賞に次ぐ位置づけで、環太平洋大を含む4校が受賞した。主将の4年荻野清純さん(22)は「田中さんの名言「わしがやらねばたれがやる」の思いで一人一人が練習した結果、美術館をはじめ多くの方々の協力のおかげで受賞できた」と感謝している。
ズーム 平櫛田中 近代彫刻の第一人者・高村光雲に師事し、伝統的な木彫に西洋の写実性を加える技術を磨いた。1962年に文化勲章を受章。最晩年まで創作を続け、107歳で亡くなるまで現役を全うした。「鏡獅子」は36年に着手し、戦争の激化などによる一時中断を経て58年に完成。高さ2㍍超の威容や木肌の質感で田中芸術の集大成とされる。国立劇場(東京)の建て替えに伴い平櫛田中美術館に「里帰り」している。
地元の偉人、歌舞伎の演目(映画「国宝」がロングラン中ですし)と、着眼点が素晴らしいですね。演舞そのものも高評価を得たのでしょうが。ちなみに公式サイトによれば、「クロスカルチャーへの新しい挑戦」という枠組みでの特別賞受賞だとのこと。
先の話ですが、今回の受賞を受けて、井原市の平櫛田中美術館さんで開催中の企画展「彩色の世界―色から読み解く鏡獅子―」の関連イベントとして、同市での公演が開催されるそうです。

田中ついでにもう1件。ダンスの話題は田中の故郷・岡山井原でしたが、こちらは田中が版円の晩年の10年を過ごした東京都小平市から。
平櫛田中彫刻美術館は作品展示をする展示館と、平櫛田中が実際に暮した旧宅(記念館)の二館併設の美術館です。昭和43年(1968)に竣工した記念館は、老朽化が著しく、令和元年より実施した耐震診断で基準を大きく下回る結果となりました。それを受けて令和5年度には耐震補強・改修工事の設計を行ない、翌6年度より工事を実施しています。令和7年度には工事を完了し、再び一般公開できるようつとめてまいります。近代彫刻の巨匠が暮した記念館を後世へ保存し再び活用するため、皆様のご協力をお願いいたします。
寄附について
募集期間:令和7年10月1日(水曜)~12月29日(月曜)
目標金額:200万円 一口1円より寄附いただけます。ただし、インターネットサイト「ふるさとチョイス」で寄附される場合は、最低金額は2,000円になります。なお、税額控除は2,000円以上から発生します。
寄附金募集の目的:平櫛田中の旧宅(記念館)の耐震補強・改修工事を実施するとともに芸術文化振興の活性化を図る
(注)寄附金が目標額に達しなかった場合、いただいた寄附金は工事をするために必要な費用の一部に充てさせていただきます。
寄附の手続き方法
[1]インターネットでの寄附
ふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」のページ(準備中)より寄附いただけます。上記の期間中にご覧ください。
[2]納付書での寄附
小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾)(PDF 197.1KB)に必要事項をご記入いただき、小平市役所財政課にご提出ください。後日、納付書をお送りしますので、金融機関または郵便局にてお支払いください。
[3]現金書留による寄附
小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾)(PDF 197.1KB)に必要事項をご記入いただき、現金書留に同封し小平市役所財政課に郵送ください。
[4]現金持参による寄附
平櫛田中彫刻美術館または小平市役所財政課にお越しいただき、小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾)に必要事項をご記入のうえ、現金にてお支払いください。美術館に来館された方にはその場で預り証と返礼品(対象者のみ)をお渡しいたします。
PDFデータはこちら小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾(PDF 197.1KB))、小平市寄附申請書記入例(PDF 224.1KB)
Excelデータはこちら小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾(Excel 33.1KB))
送付先 〒187-8701 東京都小平市小川町2-1333 小平市役所 企画政策部 財政課 財政担当
(注)申請書を郵送いただく場合、郵送料はご負担いただきます。
問合せ先 小平市役所 企画政策部 財政課 財政担当 042-346-9504
返礼品について
寄附金額にあわせて返礼品をお渡しします。金額ごとの返礼品は以下の通りです。
1万円以上 図録等(美術館が発行する作品集や、過去の特別展の図録等)
5千円以上 エコバッグ・封筒・一筆箋・クリアファイル大のセット
2千円以上 絵はがきセット・クリアファイル大のセットまたは手ぬぐい
(注1)小平市在住の方には返礼品をお渡しできません。
(注2)美術館へお越しの方は、その場でお渡しします。
それ以外でご寄附いただいた方には、後日郵送いたします。
それ以外でご寄附いただいた方には、後日郵送いたします。
返礼品の内容
返礼品の対象となる図録等は、記念館記録集(2025年刊行予定)、「彫刻コトハジメ」(2018年)、「ロダンと近代日本彫刻」(2016年)、「ジャパニーズ・ヴィーナス彫刻家・藤井浩祐の世界」(2014年)、「仏像インスピレーションー仏像に魅せられた彫刻家たちー」(2008年)、「石井鶴三展」(1999年)です。
「ジャパニーズ・ヴィーナス彫刻家・藤井浩祐の世界」と「石井鶴三展」は、いずれも「平櫛田中作品集」とセットになります。絵はがき、クリアファイル、一筆箋、手ぬぐいの柄は選べません。
昨年、第2弾が行われ、当会として微力ながら協力させていただきました。こちらでも光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存運動を行っておりますので、他人事ではないなという感じで。今回も現金書留にて送る予定です。皆様もぜひご協力ください。
【折々のことば・光太郎】
――要するに、美は到る処にあります。美がわれわれの眼に背くのでは無くて、われわれの眼が美を認めそくなふのです。
光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃



