京都の書画骨董店・新古美術わたなべさんから新しい目録が届きました。同店には、令和3年(2021)、富山県水墨美術館さんで開催され、当方もいろいろとお手伝いした「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」の際に随分とお世話になりました。
光太郎の色紙揮毫が掲載されています。書かれている文言は「美ならざるなし」。「この世界には美しくないものは存在しない」「この世界の全てのものが美を包摂している」といった意味合いですね。美術評論家でもあった光太郎のポリシーを端的に表現しています。
昭和26、27年(1951、52)頃書かれた評論の題名にもなっています。その一節。
自然に醜はない。人間をも含めた自然の中に醜なるものは存在しない。悉く美である。醜は人工の中にある。
光太郎が好んで揮毫した文言の一つで、複数の作例が確認出来ています。おそらくすべて、ほぼ同時期のものと思われます。
花巻高村光太郎記念館さん所蔵のもの。
他の揮毫でも、平仮名の「し」をやたら長く書くのが光太郎書の一つの特徴。この「し」の書体が真贋を見極める一つのポイントです。もっとも、贋作作者もそれをわかっていて似せようとするのでしょうが。
そういう人をだまくらかそうとする人間の営みこそ「醜」ですね。
【折々のことば・光太郎】
ギリシヤの彫像には生命そのものが、脈うつ筋肉を活かし、暖めてゐるのに官学派芸術のだらしのない人形は死んで氷のやうです。
アカデミズム彫刻は、「自然」を写そうとしても観察が不十分でそれが出来ておらず、「死んで氷のやう」な「人形」だと、辛辣です。
光太郎も留学からの帰朝後、日本のアカデミズム彫刻系には同様の評を下しています。
光太郎の色紙揮毫が掲載されています。書かれている文言は「美ならざるなし」。「この世界には美しくないものは存在しない」「この世界の全てのものが美を包摂している」といった意味合いですね。美術評論家でもあった光太郎のポリシーを端的に表現しています。
昭和26、27年(1951、52)頃書かれた評論の題名にもなっています。その一節。
自然に醜はない。人間をも含めた自然の中に醜なるものは存在しない。悉く美である。醜は人工の中にある。
光太郎が好んで揮毫した文言の一つで、複数の作例が確認出来ています。おそらくすべて、ほぼ同時期のものと思われます。
花巻高村光太郎記念館さん所蔵のもの。
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した後の昭和27年(1952)、雑誌の対談の会場となった料亭・紀尾井町の福田家に贈ったもの。
ここの女将は、光太郎が花巻郊外旧太田村で蟄居生活を送っていた頃、まったく面識がないにもかかわらず「高村先生、大変でしょう」と、大量の食糧を送ってくれました。たまたま対談の会場がその女将の店とわかり、この書を書いて持参したわけです。
もう1点。これも最近売りに出たもので、都内の美術専門古書店・えびな書店さんが扱われています。

以上四点、すべて色紙揮毫ですが、花巻高村光太郎記念館さんでは、色紙ではない幅のもの、さらにやはり色紙ですが、「義にして」とつけたものも所蔵しています。
もう1点。これも最近売りに出たもので、都内の美術専門古書店・えびな書店さんが扱われています。


そういう人をだまくらかそうとする人間の営みこそ「醜」ですね。
【折々のことば・光太郎】
ギリシヤの彫像には生命そのものが、脈うつ筋肉を活かし、暖めてゐるのに官学派芸術のだらしのない人形は死んで氷のやうです。
光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃
アカデミズム彫刻は、「自然」を写そうとしても観察が不十分でそれが出来ておらず、「死んで氷のやう」な「人形」だと、辛辣です。
光太郎も留学からの帰朝後、日本のアカデミズム彫刻系には同様の評を下しています。


