京都府の老舗書画骨董店・思文閣さん。年に数回、「大入札会」という形での販売もなさっています。昨年のこの時期には、歌人の中原綾子旧蔵の光太郎色紙が2点出て、そのうち、綾子詩集『灰の詩』に口絵として画像が出た七五調四句の今様形式の詩「観自在こそ……」を揮毫したものを落札させていただきました。そちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の特別展「中原綾子への手紙」で展示中です。

先週、また目録が届きました。
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同入札会、光太郎の父・光雲の木彫が出ることがしばしばありまして、今回も。ただし、今回出ているのは工房作のようです。不動明王が制多迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子を脇侍に従えた三尊像です。
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像高20㌢程の小品で、共箱の箱書きに依れば昭和4年(1929)の作。金彩が施されていますが、截金(きりかね)ではなく金泥を塗布してあるようです。

今日から京都で下見会が開催されます。

令和7年9月 思文閣大入札会 下見会

期 日 : 2024年9月8日(月)~9月14日(日)
会 場 : ぎゃらりい思文閣 京都市東山区古門前通大和大路東入ル元町386
時 間 : 10:00~18:00 最終日は17:00まで
料 金 : 無料

 蒐集された美術品には、コレクターの眼差しと心が宿るもの。今回は、複数のコレクター様より、その人となりまでも感じさせるような作品の数々をお預かりいたしました。
 洗練された構図で気品に溢れる上村松園《都の春》を筆頭に、横山大観の若年期と円熟期の作品、そして迫力ある棟方志功の大首絵や中川一政の油彩の薔薇など、近代絵画の優品をそろえたコレクション。また、竹内栖鳳の壮年期の一作である《秋瓢双鶏》、冨田渓仙の見返り鹿図など、深いこだわりを感じさせる日本画をご出品賜り、その方には、お道具にも貴重な作品を多数出品いただいております。加えて、富岡鉄斎による歴史人物画、軽妙な水墨画のコレクションもお預かりしました。最後の文人画家とも称される鉄斎、その深い教養に裏付けられた多彩な画業をぜひご堪能ください。
 そのほか、近世絵画においては、謎多き鷹描きの絵師・藤原正吉の一幅といった珍品や、円山応挙、狩野探幽ら名高い絵師の佳品もございます。どうぞお見逃しのないようご覧くださいませ。

 お道具の冒頭では、近代日本美術史において、工芸の新地平を切り拓いた高村光雲と板谷波山の作品をご紹介いたします。高村光雲は近代木彫の第一人者であり、後進の育成にも力を入れたことで知られる彫刻家。《木彫 不動三尊》は彼が門下の職人と共に制作したとみられる作品です。東美校時代、光雲の指導を受けたという板谷波山は、陶芸に転向し、陶芸家として初めての文化勲章受章者となりました。今回出品された茶碗では、波山がこだわった端正な造形と釉薬の窯変をお愉しみください。
 花器には、有田焼をはじめ、日本有数の窯業地として名高い佐賀県ゆかりの人間国宝である13代今泉今右衛門、14代酒井田柿右衛門、中島宏、井上萬二の作品が並びました。
 また盃、菓子鉢、向付、塗盆など食器類にも多様な出品を賜りました。皆様の暮らしを彩る「うつわ」をぜひこの機会に見つけていただければ幸いです。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

私はいつでも自分の彫刻では非常に科学的です。しかし、科学に、「趣味」を加へなくてはいけません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

ここでロダンが言う「趣味」とは、「感性」「造型的感覚」といった意味だと思われます。

光太郎は欧米留学からの帰朝後、父・光雲を頂点に戴く日本彫刻界とは距離を置くようになりました。旧態依然の徒弟制度や、水面下のどろどろなどが原因です。

昭和20年(1945)の談話筆記「回想録」から。

 父は、私にいろいろ直接に話をするやうなことはなく、お客のある時は私にお茶を持つて来させるのである。母も心得てゐて客のところへは必ず出されたものだ。私は其処に坐つて話をきいてゐた。父は客と雑談を交しながら、或は半ば私に聞かせる積りのやうな場合もあつたやうである。私はよく其処へ呼ばれて行つて、迷惑を感じて厭になつたこともあるし、聞きながら憤慨を禁じ得なかつたことも少くない。彫刻界や美術界の受賞の掛引きなど、なかなか弟子達の間にあつて、金賞、銀賞の振合がどうだとか、此度はこれで我慢しておけとか、そしてこの次には何を出さうが金賞になることが前から決つてゐるといふやうな、そんな話が交されたことも屡々(しばしば)である。

これは留学前の話ですが、帰ってきてからもこうした状況は一向に変わっていませんでした。

しかし、一方では光雲の語る言葉にロダンのそれと通じる内容を感じて感心したりもし、この時期の光雲に対する見方は、ある意味、滅茶苦茶でした。