光太郎詩をモチーフにした作品もおありだった版画家で、千葉県ご在住であらせられた土屋金司氏が、8月11日(月)に逝去されたそうです。
8月23日(土)に、調べもののため土屋氏の地元の千葉県旭市にある県立図書館の分館・東部図書館さんに行った帰り、街なかで氏の名が書かれた通夜/葬儀の案内の捨て看を運転する車中から見て、「あれっ!」。その時点では氏のお名前が「金司」だったか「金治」だったか「金二」だったか自信がありませんでしたし、「金司」としても同姓同名の別人の可能性もあるな、と思っておりました。
帰ってからネットで調べたところ、お知り合いの方のSNS投稿で、やはり版画家の土屋氏ご逝去と知り、残念に思いました。
土屋氏の光太郎モチーフ作品は、旭市の北・銚子市でかつて拝見しました。
まず、一昨年に廃業してしまった光太郎智恵子ゆかりの宿・ぎょうけい館さんのロビーに常設されていて、何度も拝見した作品。
他にも太郎をモチーフとした作品がおありで、それらは平成30年(2018)に銚子の飯沼観音さんで開催された「仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展」で展示されました。
また、その関連行事として「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」も開催されました。
その際には土屋氏もいらして、お話をさせていただきました。
地元地方紙『千葉日報』さんあたりに訃報が出なかったかと、先週、また東部図書館さんに行き、同紙のバックナンバーを調べましたが見つかりませんでした。同紙には、地方紙でよくある半ページくらい割いての「お悔やみ欄」的なコーナーがありませんで。
東部図書館さんに隣接する東総文化会館さんギャラリーでは、土屋氏と、書家の依知川伸一氏のコラボ作品展が開催中でして、そちらも拝見して参りました。
当初、先月末までの予定だったのですが、氏のご逝去を受けての措置でしょう、今月末まで会期延長だそうです。お近くの方などぜひどうぞ。
改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
最微なる或は最大なる実在、例へば大洋、雲嶽、草木、昆虫の精霊を窺視し得たる日本の芸術は又吾が踏む道なり。
雑誌『白樺』の「ロダン号」刊行に際し、ロダンから光太郎の朋友・有島生馬に送られた書簡の一節です。この当時の欧州の芸術家達の例にもれず、ロダンもジャポニスムの影響を受けていました。
「大洋、雲嶽、草木、昆虫の精霊を窺視し得たる日本の芸術」……土屋氏の版画にも通じるような気がしました。
8月23日(土)に、調べもののため土屋氏の地元の千葉県旭市にある県立図書館の分館・東部図書館さんに行った帰り、街なかで氏の名が書かれた通夜/葬儀の案内の捨て看を運転する車中から見て、「あれっ!」。その時点では氏のお名前が「金司」だったか「金治」だったか「金二」だったか自信がありませんでしたし、「金司」としても同姓同名の別人の可能性もあるな、と思っておりました。
帰ってからネットで調べたところ、お知り合いの方のSNS投稿で、やはり版画家の土屋氏ご逝去と知り、残念に思いました。
土屋氏の光太郎モチーフ作品は、旭市の北・銚子市でかつて拝見しました。
まず、一昨年に廃業してしまった光太郎智恵子ゆかりの宿・ぎょうけい館さんのロビーに常設されていて、何度も拝見した作品。
大正元年(1912)に光太郎智恵子がぎょうけい館さんの前身・暁鶏館に泊まって愛を誓った際、宿の下男をしていた知的障害のあった「長崎の太郎」こと阿部清助をモデルに書いた詩「犬吠の太郎」を版画にしたものです。
他にも太郎をモチーフとした作品がおありで、それらは平成30年(2018)に銚子の飯沼観音さんで開催された「仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展」で展示されました。
また、その関連行事として「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」も開催されました。
その際には土屋氏もいらして、お話をさせていただきました。
地元地方紙『千葉日報』さんあたりに訃報が出なかったかと、先週、また東部図書館さんに行き、同紙のバックナンバーを調べましたが見つかりませんでした。同紙には、地方紙でよくある半ページくらい割いての「お悔やみ欄」的なコーナーがありませんで。
東部図書館さんに隣接する東総文化会館さんギャラリーでは、土屋氏と、書家の依知川伸一氏のコラボ作品展が開催中でして、そちらも拝見して参りました。
当初、先月末までの予定だったのですが、氏のご逝去を受けての措置でしょう、今月末まで会期延長だそうです。お近くの方などぜひどうぞ。
改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
最微なる或は最大なる実在、例へば大洋、雲嶽、草木、昆虫の精霊を窺視し得たる日本の芸術は又吾が踏む道なり。
光太郎訳 ロダン「手紙」より 明治43年(1910)訳 光太郎28歳
雑誌『白樺』の「ロダン号」刊行に際し、ロダンから光太郎の朋友・有島生馬に送られた書簡の一節です。この当時の欧州の芸術家達の例にもれず、ロダンもジャポニスムの影響を受けていました。
「大洋、雲嶽、草木、昆虫の精霊を窺視し得たる日本の芸術」……土屋氏の版画にも通じるような気がしました。















