光太郎第二の故郷・花巻の高村光太郎記念館さんで開催中の「智恵子のエプロン復刻展示」について、2紙が報道して下さっています。

まず『読売新聞』さん、岩手版。

智恵子のエプロン再現 高村光太郎の妻 花巻南高 華やか更紗「酒袋」使用

001 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956)の妻・智恵子がデザインし、実際に使っていたエプロンを、県立花巻南高の家庭クラブが再現し、新たに制作した。21日まで、花巻市太田の高村光太郎記念館で展示されている。
 エプロンは、雑誌「婦人之友」の第18巻第7号(1924年7月)で取り上げられた。編集者が光太郎宅を訪れた時、智恵子が「面白い前掛」をしていたと紹介。「厚地の渋い茶色に印度更紗(いんどさらさ)を取り合わせてある、めずらしい形」として、作り方も添えられていた。
 胸当て部分は三角形で、中央に大きなポケットがある。布には酒を搾る時に使った「酒袋」が使われており、智恵子の実家である福島県内の造り酒屋から持ち帰ったとされる。
 製作のきっかけは、一昨年に同館で行われた小山弘明さん(高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会代表)の講演。小山さんが記事を紹介し、「誰か作ってくれないかな」と話したところ、聴いていた同校文芸部の生徒が、別の部活動の家庭クラブに相談し、実現した。
 同クラブの生徒たちは、小山さんの協力を得て、雑誌にあった素材や型紙を参考に製作。酒袋はなかなか見つからず、インターネットで探して入手したという。同クラブの小原優羽奈さん(2年)は「難しいデザインではなかったが、酒袋が硬くてミシンの針が折れた」と明かす。色華やかな紋様があしらわれた更紗が部分的に使われており、菅原美優さん(同)も「今でも通用するデザイン。身近にあった酒袋を使うなど、自然を大事にした智恵子の暮らしを感じた」と振り返る。
 智恵子といえば、光太郎の詩集「智恵子抄」にある「智恵子は東京に空が無いといふ(あどけない話)」が知られているが、小山さんは「大正末は、まだ女性は和装が中心と思われ、エプロンからは画家を目指した智恵子のクリエイティブな一面が感じられる」と話す。


続いて地元紙「岩手日日」さん。

智恵子のエプロン 生徒が復刻 高村光太郎記念館で展示

 花巻市太田の高村光太郎記念館で、ミニギャラリー「智恵子のエプロン復刻展示」が開かれている。花巻ゆかりの彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956)の妻智恵子がデザインし、実際に使用していたエプロンを県立花巻南高校家庭クラブの生徒が復刻。制作過程などと合わせて紹介している。21日まで。
 智恵子は、1886年に福島県二本松市の酒造家長沼家に生まれ、日本女子大学校卒業後、画家・芸術家として活躍。女性運動家・平塚らいてうの「青鞜」の表紙を描いたことで知られる。1914年に29歳で光太郎と結婚し、38年に53歳で病没した。
 復刻は、2023年に同校文芸部の生徒が高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会代表の小山弘明氏による講座を聴講したことがきっかけ。「高村夫妻が理想とした暮らしの様子を具体的に思い浮かべたい」と同高家庭クラブへ制作を依頼した。
 高村夫妻が寄稿していた雑誌「婦人之友」には、智恵子がデザインしたエプロンの図案が残っており、同クラブの小原優羽奈さんと菅原美優さん(ともに2年)が掲載されていた作り方や素材、型紙などを参考に制作。実際のエプロンと同じ「酒袋」を再利用した。
 2人によると、エプロンの制作には、構想を含めて約1ヶ月かかった。また、同クラブや文芸部の生徒は、光太郎が愛用した「キョウケチ染め」のしおりを手作り。4日に同館を訪れ、来館者にプレゼントした。
 小原さんは、「展示を通じてより光太郎と智恵子の暮らしぶりについても知ってもらいたい、菅原さんは「展示を見て2人を知ってもらい、自分でも調べて考えてもらえたらいい」とそれぞれ語った。
 開館時間は午前8時30分~午後4時30分。入館料は一般350円、高校生・大学生250円、小中学生150円。問い合わせは同館=0198(28)3012=へ。
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ちなみに同校のサイトにも高村光太郎記念館さんでの展示を行っている旨の記事が出ています。
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展示は明後日まで。もう少し長期間でもいいような気もしますが、おそらく月末には同校の文化祭「花南祭」が開催されるので、その関係ではないかと思われます。

現在、復刻されているのは一点のみ。そこでその一点が、今年4月から5月にかけては、「高村智恵子生誕祭」に合わせて福島県二本松市の智恵子記念館で展示され(下記画像)、先月から明後日にかけては花巻高村光太郎記念館さんでの展示。
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出来うることならもう1~2点作っていただければ、両館での常設展示と言うことも考えられなくはありませんね。

型紙も大正期の『婦人之友』に掲載されましたので、そちらを使っていただければスキルのある方なら制作可能。大量生産で商品化ということも夢物語ではないかもしれません。ご興味おありのかた、ご一考を。

【折々のことば・光太郎】

「叡智」を地(ぢ)(背景)にした「精神」。


光太郎訳ロダン「断片」から 大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

光太郎の心の師・ロダンの目指す「創造」を為すための心の在り方です。

無理くりですが、秀逸なデザインを持つ智恵子のエプロンなども、「叡智」を背景としているように思えます。このポテンシャルが油絵の方面でも存分に発揮できていれば、後の悲劇は訪れなかったのに……と思われます。