昨日は上京しておりました。メインの目的は、講談「夏の太陽講談会 読めなかった講釈を読もう〜」の拝聴でした。

会場は御茶ノ水のスカイルーム太陽さん。すぐ近くにはニコライ堂さん。
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真打・一龍斎貞橘さんがメインで、午前中から3部に分けての公演。3部それぞれに「助演」ということで、田辺いちかさん、神田伊織さん、そして一龍斎貞奈さんと、二ツ目の方々がワキを固めました。さらに当方が拝聴した第3部では前座(来月二ツ目に昇進されるそうですが)の宝井小琴さん。
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第1部から通しで聴かれた方もいらしたそうですが、当方は第3部のみ拝聴。助演の一龍斎貞奈さんがオリジナルの新作「高村智恵子の恋」を演じられるということで。

初演は8月9日(土)、日本橋社会教育会館で開催された「一龍斎貞奈 入門10周年記念公演〜昭和100年特集〜」でしたが、その際は当方、宮城県女川町での第34回女川光太郎祭に参列しておりまして、聴けませんでした。で、「再演してくれないかな」と思っておりましたところ、さっそく再演。「これはありがたい」と、馳せ参じた次第です。

ちなみに帰ってから調べましたところ、貞奈さん、午前中にも向島の墨亭さんという寄席で「高村智恵子の恋」を演じられていたそうで、そのパワフルさには驚きました。
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もう一つ「ありゃま」がありまして、「夏の太陽講談会」の方、日比谷松本楼さんでの今年の第69回連翹忌の集い、それから先月、中野区の産業振興センターさんで開催した「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」で、「智恵子抄」からの朗読をしていただいたフリーアナウンサーの早見英里子さんもいらっしゃり、隣に座らせていただきました。

さて、開演。

まずは宝井小琴さんによる新作、江戸川乱歩の「黄金の塔」。お馴染み名探偵・明智小五郎や少年探偵団の小林少年と、怪人二十面相との知恵比べ。こういうものも講談のモチーフになるんだ、という感じでした。

続いて一龍斎貞橘さん。演目は「一心太助~楓の皿」。もはや若い皆さんには「ご存じ一心太助」とは言えないでしょうが、太助が魚屋となるまでの顛末。貞橘師匠はこの後の「高村智恵子の恋」の後の大トリで、正統派の「源平盛衰記」から採った「宇治川の先陣争い」も演じられました。意味がぱっと解りにくい古典の文章も、声に出して読むことで非常にリズミカルに聞こえ、細かな意味まで解らなくともそれでいいのだろう、という感じでした。

そして貞奈さんによる「高村智恵子の恋」。

元々、野田秀樹氏脚本・大竹しのぶさん主演の「売り言葉」をご覧になっての着想だそうで、「光太郎の妻」という刺身のツマ扱いではなく、自らの信念に従って自分の足で立とうとする女性であった智恵子を描こうという意図が充ち満ちていました。しかし、智恵子の前にさまざまな困難が立ちはだかってなかなか思うように行かず、それでもへこたれることなく……というわけで。

智恵子の評伝等の類にもあたられてかなり勉強されたようで、感心いたしました。冒頭近くに智恵子の福島高等女学校時代の同級生・大熊ヤスが登場したり(二人の福島弁での掛け合いがユーモラスでした(笑))、この手の二次創作ではほとんど扱われない宮崎与平・渡辺文子との三角関係(光太郎と知り合う前の)なども紹介されたりと。それらや、日本女子大学校での一年先輩・平塚らいてうとのテニス勝負の場面、光太郎と知り合ってからも、駒込林町のアトリエ竣工祝いにグロキシニアの鉢植えを持って行くシーンなどなど、高座卓から身を乗り出さんばかりの熱演。

余談ですが、当会事務所兼自宅のグロキシニア、まだ花を咲かせ続けています。
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そして、連翹忌会場ともさせていただいている日比谷松本楼さん、智恵子が光太郎を追って行った犬吠埼等々のエピソードへと進み、大正3年(1914)の二人の結婚まで。およそ40分程の構成でした。

終演後、早見さんともども、既にお着替えを終えられた貞奈さんと少しお話をさせていただきました。
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その後の光太郎智恵子の、俗世間とは極力交渉を絶って「都会のまんなかに蟄居した」というような生活、智恵子の心の病、そして死、さらに詩集『智恵子抄』といったあたりについては、続編として「高村智恵子の」ならぬ「高村智恵子の」として構想中だそうです。期待大ですね。
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関係の皆さんの、今後のますますのご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

叡智は描形(デシネ)する。が肉づけするのは心だ。

光太郎訳ロダン「断片」から 大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「描形」は構想、「肉づけ」が実際の制作という意味でしょうか。どんなに頭を使って構想を練ってもそれだけでは不十分だし、実作する過程でいろいろなものが付け足されたり、逆に不要なものが削り取られたり、そういうものだというロダンの信念でしょう。

造型芸術に限らず、文学や音楽、講談なども含めた舞台芸術等にも言えることだと思います。