8月9日(土)、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町での第34回女川光太郎祭に参加して参りました。レポートいたします。
まず午前10時、平成3年(1991)に当時の海岸公園に建てられたへの献花。当方、センターを務めさせていただき、光太郎に、それから碑の建立やその後の女川光太郎再開催に尽力され、平成23年(2011)の東日本大震災の津波で亡くなった貝(佐々木)廣氏に、そして碑文の一部を揮毫され、かつては毎年光太郎祭で講演をなさっていた当会元顧問・北川太一先生にという思いで、万感の思いを込めて献花いたしました。
午後からの式典会場・まちなか交流館さんに移動、セッティング。
会場内には、かつての光太郎祭パンフレットや写真など。
無理だと思われつつも開催された、震災の年の光太郎祭の様子も。
北川先生は御健康上の理由でこの頃には欠席なさっていましたが、翌年からまた車椅子でのご参加。その頃から考えると、女川の町の復興もかなり進んだことに感慨深い思いでした。
今年2月、県から授与された「住みよいみやぎづくり功績賞」の賞状。
さて、午後1時、開幕。
まずは黙祷。
この後、オープニングアクト的に当方の講演。今年は光太郎の彫刻について、ひとくさり語らせていただきました。カーヴィングとかモデリングとか、制作手法についてがメインでした。
その後、いよいよ本番となり、主催者・女川光太郎の会の須田勘太郎会長のご挨拶。
須田善明女川町長のご祝辞。
午前中の文学碑への献花の模様を撮影した動画をプロジェクタで投影し、その後、メインアクトの町内外の皆さんによる光太郎詩文朗読。
海外の方も。
例年通り、ギタリスト・宮川菊佳氏が伴奏。
朗読して下さった皆さん。
「献奏」ということで、宮川氏。
初期のころから毎年いらして歌われていたオペラ歌手・本宮寛子氏は、今年、膝の手術をなさった直後ということで残念ながらご欠席。代わりに、というか、本宮氏の伴奏をなさる予定だった石巻ご在住の田代雅美さんによるピアノ演奏。
女川光太郎の会事務局で、貝(佐々木)廣の奥様・英子さんによる締めのご挨拶。
終了後、近くの町中華さんでの打ち上げ。
まず午前10時、平成3年(1991)に当時の海岸公園に建てられたへの献花。当方、センターを務めさせていただき、光太郎に、それから碑の建立やその後の女川光太郎再開催に尽力され、平成23年(2011)の東日本大震災の津波で亡くなった貝(佐々木)廣氏に、そして碑文の一部を揮毫され、かつては毎年光太郎祭で講演をなさっていた当会元顧問・北川太一先生にという思いで、万感の思いを込めて献花いたしました。
午後からの式典会場・まちなか交流館さんに移動、セッティング。
会場内には、かつての光太郎祭パンフレットや写真など。
無理だと思われつつも開催された、震災の年の光太郎祭の様子も。
北川先生は御健康上の理由でこの頃には欠席なさっていましたが、翌年からまた車椅子でのご参加。その頃から考えると、女川の町の復興もかなり進んだことに感慨深い思いでした。
今年2月、県から授与された「住みよいみやぎづくり功績賞」の賞状。
さて、午後1時、開幕。
まずは黙祷。
この後、オープニングアクト的に当方の講演。今年は光太郎の彫刻について、ひとくさり語らせていただきました。カーヴィングとかモデリングとか、制作手法についてがメインでした。
その後、いよいよ本番となり、主催者・女川光太郎の会の須田勘太郎会長のご挨拶。
須田善明女川町長のご祝辞。
午前中の文学碑への献花の模様を撮影した動画をプロジェクタで投影し、その後、メインアクトの町内外の皆さんによる光太郎詩文朗読。
海外の方も。
例年通り、ギタリスト・宮川菊佳氏が伴奏。
朗読して下さった皆さん。
「献奏」ということで、宮川氏。
初期のころから毎年いらして歌われていたオペラ歌手・本宮寛子氏は、今年、膝の手術をなさった直後ということで残念ながらご欠席。代わりに、というか、本宮氏の伴奏をなさる予定だった石巻ご在住の田代雅美さんによるピアノ演奏。
女川光太郎の会事務局で、貝(佐々木)廣の奥様・英子さんによる締めのご挨拶。
終了後、近くの町中華さんでの打ち上げ。
生前の貝(佐々木)廣氏と懇意にされていた方が、氏から送られてきた絵手紙などをごっそりお持ち下さり、当方も氏とのさまざまな思い出を胸に拝見し、胸が熱くなりました。
このような気のおけない集まりです。来年以降も末永く続くことを祈念いたしておりますし、これまで以上の多くの皆さんのご参加をお待ち申し上げております。
【折々のことば・光太郎】
もとより、自然は人の眼を避けない。人間は見さへすればよいのである。
「ヹヌス」はヴィーナス。かの「ミロのヴィーナス」を見てのロダンの感想から。いかに自然を自然に見ることが大切か、光太郎はロダンから学びました。
このような気のおけない集まりです。来年以降も末永く続くことを祈念いたしておりますし、これまで以上の多くの皆さんのご参加をお待ち申し上げております。
【折々のことば・光太郎】
もとより、自然は人の眼を避けない。人間は見さへすればよいのである。
光太郎訳「ロダン手記 ヹヌス――「ミロのヹヌスへ」――」より
大正4年(1915)訳 光太郎33歳
「ヹヌス」はヴィーナス。かの「ミロのヴィーナス」を見てのロダンの感想から。いかに自然を自然に見ることが大切か、光太郎はロダンから学びました。























