昨日は上京しておりました。

メインの目的は上野の東京文化会館さんでの「第18回二期会駅伝コンサート~喜怒哀楽~」の拝聴でしたが、その前に新宿まで足を伸ばし、東京オペラシティアートギャラリーさんで開催中の「難波田龍起」展を拝見。

洋画家・難波田龍起(明38=1905~平9=1997)は旧本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)にあった光太郎アトリエ兼住居のすぐ裏手に住み、光太郎の影響で芸術の道に入った人物です。はじめ詩作を志し、大正末には光太郎に詩稿を見てもらうなどしたものの、どうもそちらはものにならなかったようで(後々まで続けますが)、後に画家として立つことになります。智恵子も通っていた太平洋画会に一時加入しました。画の分野では川島理一郎、松本竣介、詩の方面では宮崎丈二など、その交友圏は光太郎とかなりの部分で重なっていました。光太郎との交流は光太郎最晩年まで続き、中野のアトリエを足繁く訪れた他、昭和28年(1953)に光太郎が花巻郊外旧太田村に一時帰村した際には同行しています。

そこで、「難波田龍起」展、「光太郎と交流の深かった画家」という点が前面に押し出されています。ただ、光太郎自身の作品等は展示されないということで、このブログでもご紹介せずにいました。
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出品リストが以下の通り。
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会場内。撮影可でした。
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初期の頃はそれほど特徴がない感じに見えましたが、戦後になって抽象の度合いが色濃くなると、豊かな個性の発露が感じられました。
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サイケなガシャガシャしたイメージではなく、静謐さも湛えているように見えるのは、色調が抑えられているせいかと思いました。

展示の終わり近くにスナップ写真などがケース内に並んでおり、光太郎も。見たことがあるような無いような写真でした。
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キャプションには「1953年」とありますが、光太郎日記を参照してみますと、どうも昭和29年(1954)1月5日のようです。

一月五日 火
晴温 終日在宅、難波田龍起氏子供さん3人同道来訪、リンゴ進呈、

一月十四日 木
晴、くもり、 ひる頃難波田さんくる、先日子供さんのとつた写真数枚もらふ、よくとれてゐる、

展覧会詳細は以下の通り。

難波田龍起

期 日 : 2025年7月11日(金)~10月2日(木)
会 場 : 東京オペラシティアートギャラリー 新宿区西新宿3-20-2
時 間 : 11:00~19:00
休 館 : 月曜日 (8月11日、9月15日は開館)
      月曜祝休日の翌火曜日(8月12日、9月16日) 8月3日[日](全館休館日)
料 金 : 一般1,600円[1,400円]/大・高生1,000円[800円] 中学生以下無料

 難波田龍起(1905-1997)は、戦前から画業を始め、戦後はわが国における抽象絵画のパイオニアとして大きな足跡を残しました。大正末期に詩と哲学に関心をもつ青年として高村光太郎と出会い、その薫陶を受けるなかで画家を志した難波田は、身近な風景やいにしえの時代への憧れを描くことで画業を開始します。戦後になると抽象へと大きく制作を進め、海外から流入する最新の動向を咀嚼しながらも情報に流されず、また特定の運動に属することもなく、独自の道を歩みました。その作品は、わが国における抽象絵画のひとつの到達点として高く評価されています。
 東京オペラシティアートギャラリー収蔵品の寄贈者である寺田小太郎氏が本格的な蒐集活動にのりだし、さらにコレクションを導くコンセプトのひとつである「東洋的抽象」を立てたのも、孤高の画家難波田龍起の作品との出会いがきっかけでした。難波田が東京オペラシティアートギャラリーの所蔵する寺田コレクションの中心作家となっていることは言うまでもありません。
 本展は難波田龍起の生誕120年を機に、当館収蔵品はもとより、国内の美術館の所蔵品、また個人蔵の作品などもまじえ、難波田の画業の全貌を四半世紀ぶりに紹介し、今日的な視点から検証するものです。
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ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

大変突然ですが 御預り願つておりました智恵子の紙絵を御送附いただきたく思います 手許で見たくなりましたので…永い間、御預りいただいてゐましたこと深謝にたへません。鉄道便箱づめにして御送り下さい。同封の送料で何卒よろしくお願いします。

昭和31年3月27日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎74歳

亡くなる6日前のもので、現存が確認できている光太郎最後の書簡です。『高村光太郎全集』には脱漏していましたが、現物が花巻高村光太郎記念館さんに収蔵されており、展示されたことも。

この時点では長い文面を自ら書き記す力はほとんど残っていなかったようで、借りていた貸しアトリエの大家である中西富江に代筆して貰っています。ただし、翌日には喀血・血痰が一旦治まり、散文「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚を自ら書き、周囲を驚かせました。

生涯最後の書簡が最愛の妻・智恵子や第二の故郷・花巻(佐藤は光太郎を花巻に招いた一人)であることに、何やら象徴的なものを感じます。