大阪から演奏会情報です。

大阪コレギウム・ムジクム創立50周年記念 第131回大阪定期公演《現代(いま)の音楽 ~Music of Our Time~》

期 日 : 2025年7月27日(日)
会 場 : 住友生命いずみホール 大阪市中央区城見1丁目4-70
時 間 : 午後3:00開演(午後2:30開場)
料 金 : 全席指定 S席 ¥5,000 A席 ¥4,000 B席 ¥2,500
      学生 ¥1,800(当日¥2,000) 高校生以下 ¥800(当日¥1,000)

うたが生まれる ことばが生きづく
詩人がすくい取った言葉が音に刻まれ、新しいうたが生まれるとき、言葉は新たな生命を得て輝きます。凛として美しい原民喜の詩による寺嶋陸也氏の委嘱新作を始めとする、三人の作曲家のうたを、大阪コレギウム・ムジクムの確かなアンサンブルでお楽しみください。

【曲目】
 寺嶋陸也 《星の疼(うづき)》混声合唱のための【委嘱・世界初演】〔詩:原民喜〕
 新実徳英 「愛のうた ―光太郎・智恵子―」(2021年)男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために〔詩:高村光太郎〕
 千原英喜 女声合唱とピアノのための「良寛相聞」(2009年)〔詞:良寛・貞心尼〕

【出演者】
 指 揮 當間修一 ピアノ 木下亜子
 フルート 伏田依子(シンフォニア・コレギウムOSAKA)
 クラリネット 鈴木祐子(シンフォニア・コレギウムOSAKA)
 弦楽合奏 シンフォニア・コレギウムOSAKA
 合 唱 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団 大阪コレギウム・ムジクム合唱団

インターネットライブ配信(PIA LIVE STREAM)あり
 ※2025年8月10日(日)までアーカイブ視聴つき
 視聴期間:7月27日(日)14:30 ~ 8月10日(日)23:59
 発売期間:5月03日(土)10:00 ~ 8月10日(日)21:00
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新実徳英氏作曲の 「愛のうた ―光太郎・智恵子―男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」がプログラムに入っています。

初演は令和4年(2022)1月、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団さんの第146回定期演奏会で、委嘱作品でした。ほぼ同時に楽譜が全音楽譜出版社さんから刊行されています。

同年6月には初演時のライブ録画を収めたDVDもリリース。さらに9月には第4曲「レモン哀歌」、第5曲「元素智恵子」がNHK FMさんの番組「ビバ! 合唱」で流されました。
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初演以来、寡聞にして演奏されたという情報を得ていませんでした。おそらく本来フルート、クラリネット、弦楽オーケストラでの伴奏(最近はあまりこうした場合に「伴奏」と云わなくなりましたが)が必要なためでしょう。ただ、楽譜は練習用を兼ねるという意味合いもあってか、ピアノ2台での連弾譜として書かれています。そのまま使えば本番もオケ伴でなくピアノで出来てしまいます。まぁ、それでも2台で連弾となるとそれはそれで大変でしょうが。

総演奏時間は約35分。構成は「Ⅰ.山麓の二人」「Ⅱ.千鳥と遊ぶ智恵子」「Ⅲ.値(あ)ひがたき智恵子」「間奏曲-哀しみの淵へ-」「Ⅳ.レモン哀歌」「Ⅴ.元素智恵子」。この手の組曲としては、智恵子が心の病を顕在化させてからの詩篇のみを扱うというのも異色ですね。

ちなみに今回も出演される大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団さんは、昨年の東京公演で西村朗氏作曲の「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」を演奏して下さいました(平成24年=2012にも)。

今後とも、光太郎詩に曲を付けた作品を取り上げ続けていただきたいものです。もちろん他の合唱団さんでも、ですが。

【折々のことば・光太郎】

小生かねて(六月一日)花巻市を転出、東京都中野区に転入いたしましたにつき、今年昭和卅年度の国税は中野税務署に納付いたすべく、八月一日既にその手続きをとりました。即ち今年度以後花巻税務署へは納付いたしませぬ故右御了承願上げます

昭和30年(1955)8月1日 花巻税務署宛書簡より 光太郎73歳

『高村光太郎全集』にもれていた書簡で、平成26年(2014)、山形市の最上義光歴史館さんで開催された「第6回 市民の宝モノ2014」展で展示され、拝見して参りました。

この書簡の発見により、赤坂山王病院に入院中だったこの年6月1日に、それまで頑なに手に残しておいた住民票を都内に移したことが明らかにできました。いずれは花巻郊外旧太田村の山小屋に帰るか、それが無理でも中野のアトリエとの二拠点生活、と考えていたため住民票をそのままにしておいたのですが、もはやそれも不可能な病状と、自分でも覚悟したようです。

また、前年、花巻町などとの合併により太田村が消滅し、花巻市となったことも大きいような気がします。太田村時代には光太郎が村一番の高額納税者でしたが、もはや太田村は存在しない、となると、多額の税金を納めるのも何だかなぁという感じだったのでしょう。