一昨日の『毎日新聞』さんの連載「旅する・みつける」から。枕の部分で光太郎。

旅する・みつける 千葉・成田 三里塚 御料牧場の往時しのぶ 貴重な資料、防空壕公開も 空港近くに記念館

 「三里塚の春は大きいよ。」。詩人の高村光太郎は1924年、訪れた三里塚(千葉県成田市)の情景を詩「春駒」で描いた。成田空港ができる前、三里塚には宮内庁の「下総御料牧場」が置かれ、「桜と馬の牧場」として親しまれていた。多くは空港用地となったが、跡地の一部に三里塚記念公園(同市三里塚御料)が整備され、「三里塚御料牧場記念館」で牧場の往時をしのぶことができる。
 成田空港のA滑走路と並行する県道沿いに、記念公園の入り口がある。赤レンガの門を入ると、マロニエの並木道の奥に記念館が見える。
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三里塚記念公園のマロニエ並木の奥に建つ三里塚御料牧場記念館

 建物は19(大正8)年に建設された牧場の事務所を再現した。公園内には皇族の宿舎などに使われた「貴賓館」が保存され、桜広場などとともに名残をとどめている。 

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貴賓館の外見は木造かやぶきの和風だが、内部は和洋折衷様式になっている

  かつて牧場では、皇室が使う馬が育成され、牛乳、各種の肉などが生産された。66年に成田空港建設が閣議決定されたことに伴い、栃木県高根沢町へ移転している。
 牧場の歴史は古い。明治維新後の1875年、内務卿(きょう)の大久保利通の発案で、綿羊の国内育成を進めることになり、下総牧羊場と取香種畜場が創設される。日本獣医学の発祥の地になるなど畜産振興に重要な役割を果たした。明治天皇の意向もあって85年に宮内省(当時)の直轄牧場となる。外交官らを招いてジンギスカンをふるまうなど、外交の場にも活用された。
 牧場の面積は1969年の閉場時で東京ドーム90個分を超える約440ヘクタールあったという。それだけ広大な国有地があったことが、三里塚が国際空港の建設地に選ばれた理由の一つにもなった。公園は開港後の81年に成田市が整備した。
 記念館には、皇族の随伴員が乗った馬車「供奉(ぐぶ)車」(09年製作)や牧場長の大礼服などを展示。牧場から宮内庁に牛乳瓶を運ぶ際に使われた輸送箱などの資料とともに、三里塚と牧場の歩みも紹介されている。
 また、空港に関連し、71年に昭和天皇が欧州訪問した際に搭乗した航空機「お召し機」で使われた調度品も展示されている。西陣織のシートが敷かれた座席やテーブル、ベッドなど実際に使われた品々だ。
 公園内には戦中に皇太子(現上皇)のために地下に建設されたコンクリート製の防空壕(ごう)も残され、2011年から一般公開されている。 記念館ガイドの山口美佐子さんは「空港建設前の御料牧場の存在は今ではあまり知られなくなっている。三里塚に残された貴重な歴史に触れてほしい」と話す。
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左: 1941年に皇太子(現上皇)のために建設された防空壕の主室。コンクリート壁の上には約3・5メートルの盛り土がされている
右: 交差する梁と柱で十字架を表現した三里塚教会

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この後、画像だけは載せておきましたが、吉村順三設計の「三里塚教会」について書かれているものの、長くなるので割愛します。

光太郎は、親友だった水野葉舟が関東大震災後に御料牧場近くに移り住んだため、何度か足を運びました。御料牧場と光太郎、詩「春駒」(大正13年=1924)については、以下をご参照下さい。

 成田三里塚記念公園。
 「春駒」。
 企画展「下総御料牧場の記憶 ~第9代下総御料牧場長・田中二郎の残したアルバムを中心に~」。
 「お別れの会」二件。
 水野清氏お別れの会/佐藤進氏訃報。
 三里塚の春は大きいよ! 三里塚を全国区にした『幻の軽便鉄道』展。
 佐倉市立志津図書館 SHIZUギャラリー 芝山千代田駅からマイクロツーリズム ~成田市三里塚記念公園~御料牧場記念館と皇室(東宮)避難用防空壕。
 千葉県立東部図書館文学講座「高村光太郎・智恵子と房総」。
 千葉県立東部図書館文学講座「高村光太郎・智恵子と房総」レポート。
 佐方晴登写真展「壊死するフウケイ/ Landscape of death」。
 成田三里塚レポート。
 旧下総御料牧場貴賓館、国登録有形文化財に。
 『日本のことばずかん いきもの』。

下の画像は、今年に入ってから入手した古絵葉書です。戦前のものですね。サイドカーに乗っているのは軍人でしょう。
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「三里塚駅前」とありますが、成田駅からこの附近を通る軽便鉄道がかつて存在しました。敷設は明治44年(1911)。おそらく光太郎も成田駅からこの路線を使ったのでしょう。しかし昭和19年(1944)にはレールを金属供出するため廃線となってしまいました。

つい先日、地元の方から電話がありました。秋には近くの公民館的な施設で「春駒」などに関するミニ展示をなさるとのこと。お話の中で、御料牧場の歴史が市民に忘れられているというお嘆きも。ごもっとも、と思いました。

というわけで、三里塚御料牧場記念館とその周辺、ぜひ足をお運びください。隣町ですので、何ならご案内いたします(笑)。

【折々のことば・光太郎】

山口もなかなかあついでしようが、そのかわり、ことしはすべて豊年でしよう。お米や畠の作物が山のようにとれるでしよう。それを考へるとうれしくなります。来月はお盆になりますからみなさんもごちそうをたくさんたべるでしよう。

昭和30年(1955)7月23日
山口小学校五六年生皆さま宛書簡より 光太郎73歳

山口小学校は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった小学校。光太郎もよく足を運び、先生方や児童さんたちと交流していました。

遠く東京の病床にあって、何かにつけ思い起こすのは太田村の自然豊かな風景でした。