一昨日、館から郵送で案内が届くまで気づきませんでした。既に昨日始まっています。
期 日 : 2025年7月8日(火)~9月23日(火)
会 場 : メナード美術館 愛知県小牧市小牧五丁目250番地
時 間 : 10:00-17:00
休 館 : 月曜日(祝休日の場合は直後の平日)
料 金 : 一般 1,000円(800円) 高大生 600円(500円) 小中生 300円(250円)
( )内は20名以上の団体料金
絵画や彫刻などの美術作品の中には、漢字やひらがな、アルファベットといったさまざまな文字を見つけることができます。画中のモティーフとして登場する街角のポスターや書籍、コラージュされた印刷物、歌仙絵に記された歌、陶作品の文字模様など、作品の中の文字はテーマや舞台、モティーフの意味について、私たちの想像力をかきたてます。また、絵の片隅やカンヴァスの裏に書かれた画家の個性豊かなサインや数字、保管箱の箱書きは、作者や時代、伝来などの貴重な情報を伝え、その字には画家や所蔵者といった作品にかかわる人々の思いまで表れているかのようです。
本展では、絵画、彫刻、工芸など文字に焦点を当てて選んだ約70点に加えて、箱や軸などの付属品を交え、展示します。美術を取り巻くさまざまな文字から、コレクションを読み解きます。
展示構成 文字もよう/絵の中の文字/書と画の交流/芸術家たちの記した文字
光太郎木彫の優品の一つ、「鯰」(昭和6年=1931)が出品されています。
展示構成中の「芸術家たちの記した文字」のパートの目玉の一つで、公式サイトでは「文筆家でもあった彫刻家・高村光太郎は自身の作品に詩をつけることがあり、木彫《鯰》には作品を包む帛紗に短歌が記されました。」と紹介されています。
光太郎は、この手の木彫の場合、そのほとんどに智恵子手縫いの帛紗(ふくさ)か袋を付け、そこに作品のモチーフに関連する短歌を認(したた)めました。
この「鯰」が入れられた帛紗はこちら。これも展示されるということですね。
揮毫された短歌は「あながちに悲劇喜劇のふたくさの此世とおもはず吾もなまづも」。「あながちに」は形容動詞「あながちなり」の連用形。あえて現代語訳すれば「この世の中というものは、「悲劇」と「喜劇」との二種類にむりくり分類できるものだとは思わないよ、私も、そしてこの鯰も」とでもいったところでしょうか。「禍福はあざなえる縄のごとし」を地で行っている感じがします。また、「悲劇喜劇」といえば、太宰治の『人間失格』に出てくる有名な「トラ」と「コメ」のエピソードが思い浮かびます。
『人間失格』の方がずっと後ですが。
閑話休題、「なつやすみ所蔵企画 えともじ展 文字で読み解く美術の世界」、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
帰朝当時、「秀才文壇」「女子文壇」其他の雑誌にあるものは、大てい記者などが勝手に筆記したものを小生の名で出してゐるので危険です、中には文学女給などが代筆したものもあります、
光太郎生前からその文筆作品の集成を図っていた、当会顧問であらせられた故・北川太一先生に宛てた葉書から。
「記者などが勝手に筆記したものを小生の名で出してゐる」は、意外と戦後まで続いているようです。「勝手に」とまではいかないものの、講演や談話の筆録などで。
「文学女給」は、おそらく浅草雷門前のカフェ「よか楼」のお梅でしょう。「代筆」というより口述筆記でしたが。
展示構成中の「芸術家たちの記した文字」のパートの目玉の一つで、公式サイトでは「文筆家でもあった彫刻家・高村光太郎は自身の作品に詩をつけることがあり、木彫《鯰》には作品を包む帛紗に短歌が記されました。」と紹介されています。
光太郎は、この手の木彫の場合、そのほとんどに智恵子手縫いの帛紗(ふくさ)か袋を付け、そこに作品のモチーフに関連する短歌を認(したた)めました。
この「鯰」が入れられた帛紗はこちら。これも展示されるということですね。

自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てつこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があつて然るべきだ、たとへば、汽船と汽車はいづれも悲劇名詞で、市電とバスは、いづれも喜劇名詞、なぜさうなのか、そのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでゐる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といつたやうなわけなのでした。
「いいかい? 煙草は?」
と自分が問ひます。
「トラ。(悲劇(トラジデイ)の略)」
と堀木が言下に答へます。
「薬は?」
「粉薬かい? 丸薬かい?」
「注射。」
「トラ。」
「さうかな? ホルモン注射もあるしねえ。」
「いや、断然トラだ。針が第一、お前、立派なトラぢやないか。」
「よし、負けて置かう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇(コメデイ)の略)なんだぜ。死は?」
「コメ。牧師も和尚も然りぢやね。」
「大出来。さうして、生はトラだなあ。」
「ちがふ。それも、コメ。」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになつてしまふ。ではね、もう一つおたづねするが、漫画家は? よもや、コメとは言へませんでせう?」
「トラ、トラ。大悲劇名詞!」
「なんだ、大トラは君のはうだぜ」
こんな、下手な駄洒落みたいな事になつてしまつては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗つて存しなかつた頗る気のきいたものだと得意がつてゐたのでした。
『人間失格』の方がずっと後ですが。
閑話休題、「なつやすみ所蔵企画 えともじ展 文字で読み解く美術の世界」、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
帰朝当時、「秀才文壇」「女子文壇」其他の雑誌にあるものは、大てい記者などが勝手に筆記したものを小生の名で出してゐるので危険です、中には文学女給などが代筆したものもあります、
昭和29年(1954)12月30日 北川太一宛書簡より 光太郎72歳
光太郎生前からその文筆作品の集成を図っていた、当会顧問であらせられた故・北川太一先生に宛てた葉書から。
「記者などが勝手に筆記したものを小生の名で出してゐる」は、意外と戦後まで続いているようです。「勝手に」とまではいかないものの、講演や談話の筆録などで。
「文学女給」は、おそらく浅草雷門前のカフェ「よか楼」のお梅でしょう。「代筆」というより口述筆記でしたが。





