過日ご紹介しました福島県郡山市美術館さんでの「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」につき、内覧会を元にした報道が為されています。
地方紙『福島民報』さん。
地方紙『福島民報』さん。
福島県郡山市美術館の企画展「皇室を彩る美の世界 福島ゆかりの品々」は5日、開幕する。狩野永徳や俵屋宗達、尾形光琳らの近世絵画をはじめ、皇室に伝来した貴重な美術工芸品を展示する。8月31日まで。
同美術館と皇居三の丸尚蔵館の主催、文化庁などの特別協力。尚蔵館の収蔵品を中心として横山大観や東山魁夷による近代日本画、高村光雲や海野勝珉の彫刻・工芸作品が並ぶ。福島県関連では郡山市出身の渡辺晨畝の絵画をはじめ、幕末の会津藩主松平容保の孫で、昭和天皇の弟の秩父宮雍仁親王に嫁いだ秩父宮妃勢津子さまゆかりの品々を紹介する。
開幕に先立ち4日、美術館で開会式を行った。椎根健雄市長や島谷弘幸皇居三の丸尚蔵館長らがテープカットを行った。5日午後2時から、皇居三の丸尚蔵館の研究員が講演する。
観覧料は一般1200円、高校生・大学生・65歳以上は900円。問い合わせは美術館へ。
同じく『福島民友』さん。 郡山市立美術館の企画展「皇室を彩る美の世界 福島ゆかりの品々」は5日、同美術館で開幕する。皇室に受け継がれた美術工芸品を保存する皇居三の丸尚蔵館の貴重な収蔵品や福島県ゆかりの品を展示する。8月末まで。
文化庁や読売新聞社などの特別協力で開催。狩野永徳や俵屋宗達の屏風(びょうぶ)絵や尾形光琳の絵巻など近世の作品のほか、磐梯山の噴火を描いた山本芳翠の油彩画「磐梯山破裂之図」、横山大観の絹本墨画、高村光雲の木彫など、近代の記録画や美術を紹介。また現在の郡山市出身の渡辺晨畝(しんぽ)(1867~1938)の孔雀(くじゃく)画、会津松平家から秩父宮雍仁親王に嫁いだ「勢津子妃」ゆかりの品なども並ぶ。
4日は、内覧会と開会式が行われ、皇居三の丸尚蔵館の島谷弘幸館長が「皇室ゆかりの展示品を見て、福島とのつながりを感じていただきたい」とあいさつした。
企画展は8月3日までを前期、作品を一部入れ替え、同5~31日を後期として開催。一般1200円、高校・大学生、65歳以上900円、中学生以下、障害者手帳のある人は無料。午前9時半~午後5時。問い合わせは同美術館(電話024・956・2200)へ。
二紙ともに光太郎の父・光雲の名を出して下さっています。やはり目玉の一つと位置づけられているためでしょう。
出品作は「猿置物」(大正12年=1923)。猿本体は桜材、台の部分は桑の木だそうです。光雲円熟期の傑作の一つで、昭和天皇の弟君の秩父宮雍仁殿下から、母君の貞明皇后陛下に献上されたもの。「三番叟」とも称されます。秩父宮雍仁親王の奥方・勢津子妃殿下が会津藩主・松平容保の令孫ということで、「福島ゆかり」と位置づけられたのでしょうか。
秩父宮ご夫妻と光太郎にも、僅かながら縁が。
秩父おろしの寒い風。
勘違い。/女川から中継。
上高地の常さん。
閑話休題。「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
小生校歌といふものを書いた経験がないので、まるで分りません、経験のある人におたづねになるのが正しいでせう。
宛先住所が「群馬県吾妻郡嬬恋村立西中学校」。おそらく宮崎正男という人物は、そこの校長先生か何かで、光太郎に校歌作詞を依頼したのではないかと思われます。光太郎、歌曲の作詞自体にあまり興味がありませんでしたし、特に校歌は自由に作れないということで、結局、一篇も作りませんでした。
ただ、校歌ならぬ団体歌は二篇だけ作詞しています。断り切れなかった感じです。
まず昭和17年(1942)、岩波書店の「店歌」として「われら文化を」。作曲は「海ゆかば」等で有名な信時潔でした。もう1曲は、「初夢まりつきうた」(昭和25年=1950)。こちらは正式な団体歌というわけではありませんし、詳しい経緯が不詳なのですが、おそらく花巻商工会議所などからの依頼で作った、いわば「商店街の歌」的なものです。邦楽奏者・杵屋正邦により作曲されています。

秩父宮ご夫妻と光太郎にも、僅かながら縁が。
秩父おろしの寒い風。
勘違い。/女川から中継。
上高地の常さん。
閑話休題。「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
小生校歌といふものを書いた経験がないので、まるで分りません、経験のある人におたづねになるのが正しいでせう。
昭和29年(1954)12月19日 宮崎正男宛書簡より 光太郎72歳
宛先住所が「群馬県吾妻郡嬬恋村立西中学校」。おそらく宮崎正男という人物は、そこの校長先生か何かで、光太郎に校歌作詞を依頼したのではないかと思われます。光太郎、歌曲の作詞自体にあまり興味がありませんでしたし、特に校歌は自由に作れないということで、結局、一篇も作りませんでした。
ただ、校歌ならぬ団体歌は二篇だけ作詞しています。断り切れなかった感じです。
まず昭和17年(1942)、岩波書店の「店歌」として「われら文化を」。作曲は「海ゆかば」等で有名な信時潔でした。もう1曲は、「初夢まりつきうた」(昭和25年=1950)。こちらは正式な団体歌というわけではありませんし、詳しい経緯が不詳なのですが、おそらく花巻商工会議所などからの依頼で作った、いわば「商店街の歌」的なものです。邦楽奏者・杵屋正邦により作曲されています。

