没後90年記念 岸田劉生展」会場の東京ステーションギャラリーさんをあとに、新宿へ向かいました。次なる目的地は中村屋サロン美術館さん。こちらでは伺った9月14日(土)から、開館5周年記念「荻原守衛展 彫刻家への道」が開催中です。

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同館、最近は現代アート系の企画展示が多く、当方、久しぶりにお邪魔しました。

光太郎の朋友・碌山荻原守衛の生涯をたどるというコンセプトで、現存が確認できている彫刻作品のほぼすべて、絵画やスケッチブック、書簡などが展示されていました。

守衛代表作にして絶作の「女」(明治43年=1910)は、中村屋さん所蔵のものでしたが、その他の彫刻のほとんどは安曇野市の碌山美術館さん所蔵のもの。同館では常設展示している現物以外に、新しく鋳造したものも持っており、それらを借り受けての展示でした。

パリ時代に光太郎が絶賛し、ぜひ石膏に取って持ち帰るようにと進言した「坑夫」(明治40年=1907)は、石膏原型とブロンズの両方が展示されていました。最近、こういう展示の仕方が流行です。

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光太郎作品が2点。

やはり中村屋さん所蔵の油絵で「自画像」(大正2年=1913)。

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こちらで、または過去の光太郎がらみの他館の企画展で何度も見ている作品ですが、何度見てもいいものです。

同様に、ブロンズ「腕」(大正7年=1918)。

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これほど力強い腕の彫刻を、当方、寡聞にして知りません。

図録を購入。コンパクトですがよくまとまっています。

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碌山美術館さんの武井敏学芸員ご執筆の「荻原守衛の生涯と芸術」など、最近発見された資料などに基づく新見も含まれ、興味深く拝読しました。

興味深く拝読、といえば、こんなものも。

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美術年鑑社さん発行の『新美術新聞』。旬刊のようで、最新号の9月11日号です。東京駅に着いたのが朝9時30分頃。まだ東京ステーションギャラリーさんが開館前でしたので、先に上野の東京都美術館さんに行き、ミュージアムショップで購入して参りました。

中村屋サロン美術館さんの太田美喜子学芸員(連翹忌にもご参加下さっています)による展示の紹介。残念ながら光太郎は柳敬助斎藤与里らとともに「留学中に知り合った仲間」と括られてしまっていますが(笑)。

斎藤与里と言えば、『新美術新聞』さんの9月1日号に、「斎藤与里とその時代⑤」という記事が載っており、守衛との交流の様子について触れられていまして、こちらも思わず購入してしまいました。

ネットでも購入可能ですし、都美さんなど、各地の美術館さんのミュージアムショップに置いてあるようです。ぜひお買い求め下さい。そして中村屋サロン美術館さんの展示にも足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

おやと思つてはね起きると 枕もとの窓かけに一ぱい日が当つてゐた。 お天気だ、 お天気だ、 とうとう雨がはれたのだ。

詩「かがやく朝」初出形より 大正10年(1921) 光太郎39歳

台風15号から3日目の午後、おやと思って天井を見ると、吊り下げたハロゲンランプに煌々と灯りがともっていました。電気だ、電気だ、とうとう停電が終わったのだ、と思いました。

千葉県内、未だに停電が続いている地域がありまして、或る意味、申し訳ない気も致しますが……。