当会の祖・草野心平を祀る祭りです。
期 日 : 2025年7月12日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
雨天時は村民体育センター 川内村大字上川内字小山平15
時 間 : 午前11時~午後2時
料 金 : 1,000円
今年度、60回目の天山祭りを開催する運びとなりました。これもひとえに皆様方の御指導、御支援によるものと深く感謝申し上げます。
今年は60回目の節目の年であることから、原点に返り、飲食の提供を予定しておりますので、万障繰り合わせのうえ、ご参加いただきますようご案内申し上げます。
今年度、60回目の天山祭りを開催する運びとなりました。これもひとえに皆様方の御指導、御支援によるものと深く感謝申し上げます。
今年は60回目の節目の年であることから、原点に返り、飲食の提供を予定しておりますので、万障繰り合わせのうえ、ご参加いただきますようご案内申し上げます。
川内村はモリアオガエルの繁殖地・平伏(へぶす)沼を有し、「蛙の詩人」として名高い心平が愛した村です。心平は蔵書を村にごっそり寄贈、村では心平を名誉村民に認定、別荘の「天山文庫」を建ててやりました。その建設の際には、光太郎顕彰を通じて心平と交流の深かった光太郎実弟の髙村豊周も建設委員に名を連ねました。下画像、背景の建物が天山文庫、手前に座っているおっさんが心平です(笑)。
この天山文庫の前庭で行われる祭りには生前の心平もよく足を運んでは村人たちと交流、心平没後には心平を偲ぶ意味合いが加わり、さらに東日本大震災による福島第一原発の事故で余儀なくされた全村避難の解除後は、震災からの復興を確認するという目的も加わっています。
鉢巻きの心平、バカボンのパパのようですね(笑)。
内容的には地元の皆さんによる郷土芸能の披露、心平詩の朗読、それから心平が主宰していた詩誌『歴程』同人の皆さんも心平詩の朗読等にあたられるはずです。
コロナ禍前には特産の岩魚の塩焼きなどが入ったお弁当が饗され、舌鼓を打たせていただいておりましたが、近年はそれが無く、若干寂しいなと思っていたところ、今年から復活のようです。岩魚の塩焼きはきっと入っていると信じています(笑)。
皆様方も是非どうぞ。
別件ですが、本日、午後1時半より中野区の産業文化振興センターに於いて「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」を開催いたします。『東京新聞』さんが、昨日、記事にして下さいました。
【折々のことば・光太郎】
小生の居ない山口(の小)屋を訪問したいろいろの人から時々たよりをもらひますが、小屋も無事、畑も出来て居り、梅の花も咲き、桃もきれいといふことで、皆重次郎翁のお手入れのおかげとありがたく存じてゐます。来年は汽車に乗れるやうに健康回復次第、山口に行つてみたいと思ひます。時々東京に居ても山口の美しい山林にあこがれます、
駿河重次郎は、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村山口地区の山小屋の土地を提供してくれた村の顔役。光太郎上京後も小屋の管理を手抜かり無く行ってくれていました。
細かなところでは色々異なりますが、光太郎にとっての太田村と、心平にとっての川内村は、似たような意味合いがあったのかも知れません。
この天山文庫の前庭で行われる祭りには生前の心平もよく足を運んでは村人たちと交流、心平没後には心平を偲ぶ意味合いが加わり、さらに東日本大震災による福島第一原発の事故で余儀なくされた全村避難の解除後は、震災からの復興を確認するという目的も加わっています。

内容的には地元の皆さんによる郷土芸能の披露、心平詩の朗読、それから心平が主宰していた詩誌『歴程』同人の皆さんも心平詩の朗読等にあたられるはずです。
コロナ禍前には特産の岩魚の塩焼きなどが入ったお弁当が饗され、舌鼓を打たせていただいておりましたが、近年はそれが無く、若干寂しいなと思っていたところ、今年から復活のようです。岩魚の塩焼きはきっと入っていると信じています(笑)。
皆様方も是非どうぞ。
別件ですが、本日、午後1時半より中野区の産業文化振興センターに於いて「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」を開催いたします。『東京新聞』さんが、昨日、記事にして下さいました。
洋画家の中西利雄(1900〜48年)が東京都中野区内に建てたアトリエを知ってもらおうと、アトリエゆかりの文人による作品の朗読会が6日午後1時半から、区内で開かれる。詩人で彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)をはじめとする6人の詩や小説の世界が楽しめる。
アトリエは、大正から昭和にかけて活躍し「水彩画の巨匠」と呼ばれた中西が建設。完成した48年に死去したため、貸しアトリエとして使われた。
アトリエは、大正から昭和にかけて活躍し「水彩画の巨匠」と呼ばれた中西が建設。完成した48年に死去したため、貸しアトリエとして使われた。
高村は晩年に暮らし、十和田湖畔にある代表作「乙女の像」の塑像などを制作。没後は家族ぐるみの交流があった、詩人で随筆家の尾崎喜八(1892〜1974年)が、編集室として使ったという。中西の息子が2023年に亡くなった後は保存活用の在り方が問われており、存続の危機にある。
朗読会は有志による「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」(俳優・劇作家の渡辺えり代表)が主催。朗読家や詩人らが高村や尾崎のほか、詩人で小説家の佐藤春夫、詩人で書家の草野心平、小説家の太宰治、詩人で童話作家の宮沢賢治による小説や詩など15作品ほどを読み上げる。フルートやギターの演奏もある。
同会の曽我貢誠(こうせい)事務局長(72)は、「アトリエでは高村を起点に、文人たちがつながり合っていた。そんな建物が中野区にあることを知ってほしい」と呼びかける。
「高村光太郎終焉(しゅうえん)の地 中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」は、区産業振興センター(中野2)で。入場無料。定員80人。問い合わせは保存する会=sogakousei@mva.biglobe.ne.jp=へ。
予約を受け付けていましたが、まだ空席があるようです。このまま予約なしでいらしていただいて結構です。よろしくお願い申し上げます。【折々のことば・光太郎】
小生の居ない山口(の小)屋を訪問したいろいろの人から時々たよりをもらひますが、小屋も無事、畑も出来て居り、梅の花も咲き、桃もきれいといふことで、皆重次郎翁のお手入れのおかげとありがたく存じてゐます。来年は汽車に乗れるやうに健康回復次第、山口に行つてみたいと思ひます。時々東京に居ても山口の美しい山林にあこがれます、
昭和29年(1954)11月3日 駿河重次郎宛書簡より 光太郎72歳
駿河重次郎は、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村山口地区の山小屋の土地を提供してくれた村の顔役。光太郎上京後も小屋の管理を手抜かり無く行ってくれていました。
細かなところでは色々異なりますが、光太郎にとっての太田村と、心平にとっての川内村は、似たような意味合いがあったのかも知れません。






