カルチャースクール系の講座情報、目黒学園カルチャースクールさん主催の詩の講座です。
期 日 : 2025年7月7日(月)、8月4日(月)、9月1日(月)
会 場 : 目黒学園カルチャースクール第1教室 品川区上大崎3-3-1 アトレ目黒2 2階
時 間 : 18:00~20:00
料 金 : 9,900円(税込)3ヶ月3回
講座の前半では、名詩を鑑賞します。中原中也、萩原朔太郎や、谷川俊太郎ら馴染みのある詩人の作品を対象にして、読む楽しさについて学びます。また、世界の名詩も取り上げ、日本の詩と比較しながら詩を味わい、ことばを用いて書くことの楽しさについて触れてゆきます。講座の後半では、受講生のみなさんの詩を鑑賞し、受講生同士や講師から講評を受けながら、詩を書くことの面白さを皆さんと一緒に分かち合います。ありのままの感性を大切にことばと向き合いましょう。初心者の方、学生の方も歓迎です。
講座の前半では、名詩を鑑賞します。中原中也、萩原朔太郎や、谷川俊太郎ら馴染みのある詩人の作品を対象にして、読む楽しさについて学びます。また、世界の名詩も取り上げ、日本の詩と比較しながら詩を味わい、ことばを用いて書くことの楽しさについて触れてゆきます。講座の後半では、受講生のみなさんの詩を鑑賞し、受講生同士や講師から講評を受けながら、詩を書くことの面白さを皆さんと一緒に分かち合います。ありのままの感性を大切にことばと向き合いましょう。初心者の方、学生の方も歓迎です。
7/7は 『高村光太郎詩集』を鑑賞します。8/4、9/1は後日、決定いたします。
7/7(月)に体験会を開催いたします。(18:00~20:00 受講料 1,210円) 『高村光太郎詩集』岩波文庫 https://www.iwanami.co.jp/book/b249180.html を各自ご用意ください。それ以降は1回分受講料で随時体験をお受けします。詳しくはお問い合わせください。
7/7(月)に体験会を開催いたします。(18:00~20:00 受講料 1,210円) 『高村光太郎詩集』岩波文庫 https://www.iwanami.co.jp/book/b249180.html を各自ご用意ください。それ以降は1回分受講料で随時体験をお受けします。詳しくはお問い合わせください。
講師 山﨑修平 詩人・文芸評論家、法政大学江戸東京研究センター客員研究員
岩波文庫の『高村光太郎詩集』をテキストにされるそうで。表紙に書かれた解説文は以下の通り。
世俗的なものとの妥協を排し,不断の情熱をたぎらせて人生の意味を追求し続けた光太郎の詩は,美しいもの,真実なものに対する善意と愛に満ちている.その歩みの中から九十三の詩篇を精選し,「道程」より・「道程」以後・「智恵子抄」より,の三部に編んだ.作者が生前自ら校閲した最後の詩集である. (解説 奥平英雄)
光太郎自身の「はしがき」も掲載されています。
知友、東京国立博物館技官、奥平英雄氏からのお話によつて、岩波文庫版としてこの選詩集は出す気になつた。詩篇の選択、編集、組方、校正まですべて奥平氏の厄介になつた。奥平氏によつて選ばれた詩篇の中から私は更に三四篇を削除したが、これは自己の旧作に対して、私のやうな気質の人間の誰でもが抱くであらう一種のはにかみと不満とによるものである。実をいふと、自分の旧作をよんでゐて感ずるものは、あれもこれも消してしまひたいやうな衝動である。しかし消しはじめたらきりがなく、結局一篇も採れなくなりさうなので、これくらゐですませた。
時代感覚を保存するために、今日の制限外漢字や旧やかなかな遣ひをそのままにして置いた。詩篇の選択を年代としておよそ「智恵子抄」あたりまでに限定したのは岩波文庫係の意見によるものであり、戦後の詩篇は一切編入されてゐない。尚この集詩篇の制作年代の決定は一々確実な記録によつたのですべて正しい。ただしこの年代は制作年代であつて発表年代ではない。
一九五四年十一月
編者は解説も書いている美術史家の奥平英雄。晩年の光太郎に親炙し、その任を引き受けた他、『晩年の高村光太郎』(昭和37年=1962 二玄社)、『忘れ得ぬ人々 一美術史家の回想』(平成5年=1993 瑠璃書房)など、貴重な光太郎回想を残しています。『晩年の……』の方は瑠璃書房版の特製本(昭和52年=1977)もあり、こちらは特別附録としてラジオ放送のための奥平と光太郎の対談「芸術と生活 高村光太郎・奥平英雄」(昭和28年=1953 12月27日録音)が収録されたカセットテープが付いています。
7月7日(月)の光太郎の回が体験入学会を兼ねた実施だそうで、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
医者のすすめに従ひ、今安静療法をやつてゐるため、胸像の完成はもすこしのびます、
牛越は石膏取り師、「胸像は」遺作となった「倉田雲平胸像」。結局、制作を中断したままになってしまいました。
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。
法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程修了。
同博士後期課程単位取得満期退学
法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程修了。
同博士後期課程単位取得満期退学
著書:詩集『ロックンロールは死んだらしいよ』、『ダンスする食う寝る』。
小説:『テーベックのきれいな香り』。
共著『吉田健一に就て』。
文学イベントのゲストスピーカーやパネリストとして多く登壇。
『週刊読書人』の文芸時評を担当するなど、文芸誌・新聞・専門誌での執筆経験をもつ。
『週刊読書人』の文芸時評を担当するなど、文芸誌・新聞・専門誌での執筆経験をもつ。
〈講師からのメッセージ〉
名詩を鑑賞し、そのエッセンスを丁寧に学びながら、詩を創作する喜びを分ち合いましょう。「詩はなんだか難しそう」、「詩なんて書いたこと無い」という方でも大丈夫です。受講生同士や講師からの、アットホームな雰囲気での講評によって、ありのままの感性を大切にことばと向き合う講座にしてゆきたいと思っています。一歩ずつ丁寧に進めていきます。ぜひ、ご一緒しましょう!

世俗的なものとの妥協を排し,不断の情熱をたぎらせて人生の意味を追求し続けた光太郎の詩は,美しいもの,真実なものに対する善意と愛に満ちている.その歩みの中から九十三の詩篇を精選し,「道程」より・「道程」以後・「智恵子抄」より,の三部に編んだ.作者が生前自ら校閲した最後の詩集である. (解説 奥平英雄)
光太郎自身の「はしがき」も掲載されています。
知友、東京国立博物館技官、奥平英雄氏からのお話によつて、岩波文庫版としてこの選詩集は出す気になつた。詩篇の選択、編集、組方、校正まですべて奥平氏の厄介になつた。奥平氏によつて選ばれた詩篇の中から私は更に三四篇を削除したが、これは自己の旧作に対して、私のやうな気質の人間の誰でもが抱くであらう一種のはにかみと不満とによるものである。実をいふと、自分の旧作をよんでゐて感ずるものは、あれもこれも消してしまひたいやうな衝動である。しかし消しはじめたらきりがなく、結局一篇も採れなくなりさうなので、これくらゐですませた。
時代感覚を保存するために、今日の制限外漢字や旧やかなかな遣ひをそのままにして置いた。詩篇の選択を年代としておよそ「智恵子抄」あたりまでに限定したのは岩波文庫係の意見によるものであり、戦後の詩篇は一切編入されてゐない。尚この集詩篇の制作年代の決定は一々確実な記録によつたのですべて正しい。ただしこの年代は制作年代であつて発表年代ではない。
一九五四年十一月
編者は解説も書いている美術史家の奥平英雄。晩年の光太郎に親炙し、その任を引き受けた他、『晩年の高村光太郎』(昭和37年=1962 二玄社)、『忘れ得ぬ人々 一美術史家の回想』(平成5年=1993 瑠璃書房)など、貴重な光太郎回想を残しています。『晩年の……』の方は瑠璃書房版の特製本(昭和52年=1977)もあり、こちらは特別附録としてラジオ放送のための奥平と光太郎の対談「芸術と生活 高村光太郎・奥平英雄」(昭和28年=1953 12月27日録音)が収録されたカセットテープが付いています。
7月7日(月)の光太郎の回が体験入学会を兼ねた実施だそうで、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
医者のすすめに従ひ、今安静療法をやつてゐるため、胸像の完成はもすこしのびます、
昭和29年(1954)6月14日 牛越誠夫宛書簡より 光太郎72歳
牛越は石膏取り師、「胸像は」遺作となった「倉田雲平胸像」。結局、制作を中断したままになってしまいました。