当会の祖・草野心平メインですが、心平の故郷・福島県いわき市さんの『広報いわき』に光太郎の名。今月ももう終わりですが、今月号です。少し前に気づいたものの紹介する機を失っていました。
001
002
表紙をめくってすぐの2ページにわたって「特集1 草野心平を知る」。

今更感がないでもありませんが、住民の世代は交代していくわけで、定期的に(不定期でも、ですが)こういった形で紹介することが「語り継いでいくこと」につながり、特に昭和63年(1988)に亡くなった心平を直接ご存じでない若い世代の皆さんに読んでいただきたい記事です。

光太郎の名は2ページ目に。その項だけ活字にします。

 作品の魅力
 心平の詩は「●」が一つだけ書かれた「冬眠」や、一行を「る」で埋めた「生殖 Ⅰ」など、蛙を描いた詩が有名です。心平は、蛙の方が人間より長い間地球に生存し続けていることなどに共感し、蛙の詩を作り続けました。
 その他にも、天や富士山、石、海などを主題とした作品もあり、その根底にある「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感によって生み出された作品は、生命力にあふれています。さらに、絵画や記号のような文字使いや、蛙の鳴き声を表現した「ケルルン クック」などの独創的な擬音(オノマトペ)、そして独自の言語「蛙語」は、唯一無二の世界観を作り出しています。
 心平は、宮沢賢治らを発掘・紹介するとともに、高村光太郎や萩原朔太郎、中原中也などと親交を深めながら多くの詩人を育てました。それらが渾然一体となって心平の魅力を生み出していると言えるでしょう。 
 また、市内17の小中学校をはじめ、全国各地で100以上の校歌を作詞し、世代を超え歌い継がれています。

従来の「詩」という概念をぶちこわそうというレベルまで行った独特の作品群も大きな魅力を放っていますが(一世代前の光太郎は、明治末から大正初めに『道程』所収の詩などでそれまでの気取った「文語定型詩」の概念を突き抜けた「口語自由詩」を確立し、光太郎に心酔した心平はさらにそれを進めて「詩」という上位概念すら無視した作品を書きました)、もう一つの心平の大きな業績はそのプロデュース能力に負うところが大きいと思います。

すなわち、宮沢賢治などの才能ある詩人の発掘、光太郎ら先輩を含め発表の場の提供など。

今年の冬から開催される花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示で『宮沢賢治全集』をメインに取り上げることが決まっています。特に最初の全集である文圃堂版(昭和9年=1934~昭和10年=1935)、そしてそれを引き継いだ十字屋書店版(昭和14年=1939~昭和19年=1944)。さらに戦後の日本読書組合版や筑摩書房版についても。
003
それら全てに光太郎が関わっていますし、他のキーマンとして、賢治実弟の清六、賢治の親友だった藤原嘉藤治、谷川俊太郎氏の父君・谷川徹三、横光利一、中島健蔵など。
日本文学全集38
そして心平も。004

そうした関係もあり、このところ、昨年刊行された瀬川正子氏編『賢治さんの人格・芸術を世界へ 藤原かとうじが残したもの』(先日、花巻で頂いてきました)や、手許にある心平の評伝等数冊を読み返しているところです。

『賢治さんの……』には、世の中の常識の枠組みからもはみ出してぶっ飛んでいた心平の姿が語られ、「おいおい」と云うところも少なからずありますが(笑)。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示で『宮沢賢治全集』をメインに取り上げる件、また近くなりましたら詳細をお伝えいたします。

閑話休題、心平について、いわき市民の皆さん、それ以外も、しっかりと語り継いで行っていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

静坐してゐれば何ともないですが、動いたり、歩いたりすると息がくるしくなります。外出の用事は中西夫人に皆お願ひしてゐます


昭和29年(1954)5月11日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

宿痾の肺結核は確実に身体を蝕み、そろそろほとんど外出不可能になっていきます。そのため、それまで自分でやっていた日々の買い物なども、貸しアトリエの大家・中西富江に頼むようになります。中西家には、光太郎が富江や、のちに雇った家政婦さんに託した膨大な買い物メモや金銭出納メモが現存しています。メモは時に図入りで、当時の光太郎の需要や嗜好もわかり、貴重なものです。
005 006