市民講座情報2件、ご紹介します。

まず、埼玉から彫刻関連。

文化芸術講座(高坂彫刻プロムナード)

期 日 : 2025年6月24日(火)
会 場 : 平野市民活動センター 埼玉県東松山市大字東平567-1
時 間 : 午前10:30~12:00
料 金 : 無料
講 師 : 東松山市文化芸術推進室長 熊澤篤司


高坂駅西口の「高坂彫刻プロムナード」を彩る様々な彫刻の作者である高田博厚氏と東松山市の関係についてご紹介します。なぜ、高田博厚の作品が東松山市に集まるのか?彫刻家・高村光太郎とも関係がある?
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早世した荻原守衛を除き、光太郎が唯一と言っていいくらい高い評価を与えた同時代の彫刻家・高田博厚。光太郎の影響で彫刻家を志し、光太郎等の援助で渡仏しました。何度も書きましたが、同市の元教育長だった故・田口弘氏が戦時中から光太郎と交流があり、昭和40年(1965)の連翹忌の集いで高田と出会って意気投合、光太郎胸像を含むプロムナードの建設につながりました。他にも同市では高田の顕彰活動さまざまに取り組んでいます。そんなこんなのお話が為されるのでしょう。

対象が同市在住・在勤・在学の人に限られていて、少し残念です。同様の講座が先月にもありましたが、その際もそうでしたが。

もう1件、都内で開催のものです。

活字をはみだすもの(第25回)◆高村光太郎「独居自炊」の思想 ―宮崎稔宛書簡から

期 日 : 2025年6月28日(土)
会 場 : 八木書店古書部三階催事場 千代田区神田神保町1-1-7
時 間 : 15:00~16:00
料 金 : 無料

◆講師 大木志門 先生
大戦中に多数の戦争協力詩を著した彫刻家で詩人の高村光太郎は、空襲によるアトリエ焼失後に岩手県花巻郊外の山小屋にこもり、独居自炊の生活を7年間にわたって継続した。その暮らしは厳しい自然と地域の人々との交流の中で営まれ、そこから新しくいくつもの詩が生まれ出ていった。光太郎自身により自己流謫とも表現されたその生活の様子と、戦中の自己と戦後日本の姿を見据えた詩人の晩年を、夥しく残された取手の詩人・宮崎稔宛の書簡からたどってみたい。

〔講師紹介〕東海大学教授、1974年生。自然主義文学・私小説を中心に研究。主な著書・編著に『徳田秋聲と「文学」』(鼎書房、2021)、『高村光太郎作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』(田畑書店、2025)、『石川啄木作品アンソロジー エッセンシャル啄木』(同、2024)、『島崎藤村短篇集』(岩波文庫、2022)など。
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他に3つの講座があり、ラインナップは以下の通り。

◆病気と文人 ―書簡から見る病んだ作家たち 尾崎紅葉、内田百閒、子母澤寛、斎藤茂吉、森田草平
 講師 中澤 弥 先生 6月21日(土) 13:00~14:00
◆1枚のハガキが証してくれたこと ―大阪毎日新聞社と菊池寛、芥川龍之介の一断面
 講師 庄司達也 先生 6月21日(土) 15:00~16:00
◆信子がくれた聖書  ―田村三治宛書簡にみる国木田独歩の青春
 講師 河野龍也 先生 6月28日(土) 13:00~14:00

それぞれ10名程の定員で、光太郎の回は既に満席だそうですが(当方も申し込みました)、これからキャンセル等もあるかも知れませんし、記録のためにもご紹介しておきます。

市民講座と言えば、実は明日、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市での講師を仰せつかっています。クローズドのイベントなので告知しませんでした。同市のボランティアの方々対象です。
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そういうわけで、今日、花巻に旅立ちます。

こうした光太郎関連の講座等、途切れることなく続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

染井墓地にある墓に彫つてある智光童女といふのはお言葉通り姉梅子で、七月とある由ですが、それは間違で、一月が正しいのです。小生の生れる前に既に死んでゐました。


昭和29年(1954)4月19日 北川太一宛書簡より 光太郎72歳

当会顧問であらせられた北川太一先生。この頃から光太郎の生涯をしっかり記録に残すことを考えられ、年譜の作成や光太郎への聞き書きに取り組まれていました。その一環で、染井霊園の髙村家墓所に眠る人々の調査等も行われたようです。

光太郎の直ぐ上の姉・うめ(梅子)は光太郎が生まれた明治16年(1883)、数え5歳で病没しました。非常に利発な子供だったとのこと。書簡の方が勘違いだったようで、やはり7月が命日です。