昨日は都内に出、美術館を三館、ハシゴして参りました(うち一館はミュージアムショップだけでしたが)。2回に分けてレポートいたします。
まずは東京駅丸の内口の東京ステーションギャラリーさん。こちらでは、大正末のヒユウザン会(のちフユウザン会)などで光太郎と親しかった、岸田劉生の大規模な展覧会「没後90年記念 岸田劉生展」が開催中です。
これまでにも、あちこちの美術館さんなどで劉生作品は一点、二点と拝見して参りましたが、劉生展としてまとめて観るのは実は初めてでした。
初期の頃の水彩画に始まり、光太郎が開いた日本初の画廊・琅玕洞での初の個展出品作、光太郎らと結成したヒユウザン会(のちフユウザン会)や生活社の展覧会に出品した絵などが続きます。
その中には、光太郎・劉生共通の仲間であった斎藤与里、木村荘八、バーナード・リーチ、武者小路実篤、椿貞雄らの肖像も。何だかある種の同窓会みたいだと思いました(笑)。ちなみに劉生は光太郎の肖像画も描いたという記録があるのですが、当方、寡聞にして画像でも見たことがありません。現存が確認できていない作品なのでしょうか。ご存じの方はご教示いただけると幸いです。
その後、有名な「代々木附近」などを含む草土社時代等の作品などなど。
それから、恥ずかしながら、当方、劉生が本格的に日本画にも取り組んでいたというのを存じませんでした。日本画でありながらいかにも劉生らしい作品群、興味深く拝見しました。
展示の最後には、おそらく劉生旧蔵のアルバムや写真も。以前にもご紹介した、光太郎と共に写っている雑誌『白樺』十周年記念の会で撮影されたものもありました。
拝観後、ミュージアムショップで下記の図録を購入。
300ページ超の厚冊です。それだけに2,500円也と高価ですが、充実の内容です。特に、京都市美術館さんの学芸員であらせられる山田諭氏による「岸田劉生活動記録」という項が、100ページ近くあり、舌を巻く詳細さでした。のちほど熟読させていただきます。
同展、東京ステーションギャラリーさんでは10月20日(日)まで。その後、11月2日(土)~12月22日(日)で山口県立美術館さん、来年1月8日(水)3月1日(日)に名古屋市美術館さんを巡回します。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
今の嵐と戦つた君達は 此から又恐ろしい颱風と戦はねばならない 君達は疲れてゐる 君達は力を出し切つた 此の暫くのまに眠りたまへ 心を落ちつけてやすやすと眠りたまへ
詩「無為の白日」初出形より 大正6年(1917) 光太郎35歳
「君達」は船員です。台風に遭遇し波に揉まれた船が台風の目に入り、ぱたりと風が止み、嘘のような晴天になったというシチュエーションです。
いつのことを謳ったのかよくわからない詩なのですが、ことによると、明治39年(1906)、留学のため横浜からカナダのバンクーバーまで太平洋を横断した時のことかもしれません。
このブログでも触れてきましたが、台風15号による千葉大停電、当方自宅兼事務所周辺は3日目に復旧しましたが、同じ市内でもまだの所があります。停電以外にも暴風による被害もそこそこありました。
裏山の神社。桜の古木が根こそぎ倒れています。
これを書いている現在はまったく爽やかな秋晴れなのですが、何だか今夜も熱帯低気圧が直撃するそうで、弱り目にたたり目ですが、何とかなるでしょう。