紹介すべき事項が山積しておりまして、雑誌や新聞に掲載された複数案件を。
まずは雑誌『月刊絵手紙』さん5月号。平成29年(2017)6月号から令和2年(2020)3月号まで「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されていて、その頃は定期購読していたのですが、連載が終了してから疎遠になっていました。現在は手紙文化研究家・中川越氏の「手紙のヒント あの人に学ぶ親愛の伝え方」という連載が為されていて、近現代の芸術家の手紙等が紹介されています。その中で5月号は光太郎の水彩素描2点を元に「高村光太郎――山のスケッチに対抗して街のスケッチ」というタイトルで書かれています。
素描は昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村山口地区を描いたものと、居住していた山小屋周辺の草花を描いたスケッチ帖から。
山口地区を描いたものの原画は花巻高村光太郎記念館さんに収蔵されており、時折、展示されています。
草花の方はチゴユリ。こちらも同館で複製スケッチと描かれた植物の写真とを並べて展示されたりもしました。
中川氏、昨秋、中野区のなかのZEROさんで開催され、当方もスタッフとして毎日詰めていたた「」にいらして下さり、いろいろお話をさせていただきました。今回以外にも同じ連載などで光太郎に触れて下さっているようで、バックナンバーを探してみます。
中野と言えば……ということで、『読売新聞』さんに6月12日(木)に載った記事。

当方も所属しています「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」主催で来月行われるイベントの予告記事です。
また追ってご案内いたしますが、女優の一色采子さん、今年の連翹忌の集いで朗読を披露していただいたフリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さんのコンビには朗読を、フルート奏者の吉川久子さんにはお仲間の方の朗読に乗せて演奏をお願いしてあります。また、詩人で朗読にも取り組まれている方々もそれとは別に。司会は当方です。
ついでですので、もう1件。
直接的には光太郎に関わりませんが、光太郎が終生敬愛していたロダンがらみで、時事通信さん配信記事。
まずは雑誌『月刊絵手紙』さん5月号。平成29年(2017)6月号から令和2年(2020)3月号まで「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されていて、その頃は定期購読していたのですが、連載が終了してから疎遠になっていました。現在は手紙文化研究家・中川越氏の「手紙のヒント あの人に学ぶ親愛の伝え方」という連載が為されていて、近現代の芸術家の手紙等が紹介されています。その中で5月号は光太郎の水彩素描2点を元に「高村光太郎――山のスケッチに対抗して街のスケッチ」というタイトルで書かれています。
素描は昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村山口地区を描いたものと、居住していた山小屋周辺の草花を描いたスケッチ帖から。
山口地区を描いたものの原画は花巻高村光太郎記念館さんに収蔵されており、時折、展示されています。

中川氏、昨秋、中野区のなかのZEROさんで開催され、当方もスタッフとして毎日詰めていたた「」にいらして下さり、いろいろお話をさせていただきました。今回以外にも同じ連載などで光太郎に触れて下さっているようで、バックナンバーを探してみます。
中野と言えば……ということで、『読売新聞』さんに6月12日(木)に載った記事。
詩人で彫刻家の高村光太郎が晩年を過ごした東京都中野区のアトリエにゆかりのある文人たちの作品を紹介する「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」が7月6日(日)に中野区産業振興センター大会議室(中野区中野2-13−4)で開かれる。
同区内の住宅街にある築80年近くの「中西アトリエ」は、水彩画の革命者と言われた洋画家の中西利雄(1900~48年)が終戦後間もなく建てたアトリエで、高村光太郎は56年4月に亡くなるまでの3年半をここで過ごし、青森県十和田湖畔に立つ代表作「乙女の像」の塑像を制作した。
朗読会では、高村をはじめ、創作活動を通じて交流のあった佐藤春夫や草野心平、太宰治などの詩人、小説家6人の作品を、13人の発表者が紹介する。
アトリエの保存活動を行っている有志の会の主催で入場は無料。定員は80人で、定員になり次第締め切る。申し込みと問い合わせは曽我貢誠さん(090・4422・1534)まで。メールは sogakousei@mva.biglobe.ne.jp

高村光太郎ゆかりのアトリエ(東京都中野区で)
当方も所属しています「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」主催で来月行われるイベントの予告記事です。
また追ってご案内いたしますが、女優の一色采子さん、今年の連翹忌の集いで朗読を披露していただいたフリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さんのコンビには朗読を、フルート奏者の吉川久子さんにはお仲間の方の朗読に乗せて演奏をお願いしてあります。また、詩人で朗読にも取り組まれている方々もそれとは別に。司会は当方です。
ついでですので、もう1件。
直接的には光太郎に関わりませんが、光太郎が終生敬愛していたロダンがらみで、時事通信さん配信記事。
【AFP=時事】フランス人彫刻家オーギュスト・ロダンの複製と思われていた大理石の像が本物と認定され、オークションで86万ユーロ(約1億4000万円)で落札された。主催者が9日、発表した。
オークション主催者のエメリック・ルイラック氏によると、この像は「Le Desepsoir(絶望)」と題されたロダンの1892年の作品で、1906年のオークションで落札された後、所在が分からなくなっていた。
ルイラック氏によると、週末に行われたオークションでのスタート価格は50万ユーロ(約8200万円)で、最終的には86万ユーロで落札された。
像は高さ28.5センチで、女性が片足を両手で持って座っている。
所有していた家族は長年、複製だと思い込み、ピアノの上の隅に置いていたという。

平成29年(2017)にも同じようなことが、ただしアメリカでありました。その際は大理石のナポレオン像で、今回のものより高額の「400万~1200万ドル」。おそらく大きさの違いもあるのではないかと思われます。
光太郎と同じく、ロダンを敬愛し、というか、弟子とも言える碌山荻原守衛にも「Le Desepsoir(デスペア)」と題する作品があります。光太郎は詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)に登場させています。
当然、ロダンからのインスパイア、ロダンへのオマージュがあったのでしょう。
ロダン作品に戻りますが、長年、ピアノの上に置いてあった……驚きですね。当方自宅兼事務所を隅々まで探してもそんな凄いものは置きっぱにはなっていないでしょう(笑)。
最後にもう1件、荻原守衛関連です。信州安曇野の碌山美術館さんから、館報の第45号が届きました。ありがたし。
昨年の第114回碌山忌の際の関連行事「井上涼トークセッション 表現とアイデンティティ☆」の、「びじゅチューン」でおなじみ井上涼氏と同館学芸員・濱田卓史氏による対談が文字起こしされています。光太郎にも触れられていました。
他には以下の目次の通り。
【折々のことば・光太郎】
創元社から「ヴエルハアラン詩集」を届けられました。思つたよりはきれいに出来ました。貴下のお骨折によるものとてありがたく存じました。これらの詩を夢中になつて訳してゐた青年の頃を思ひ出します。
「ヴエルハアラン詩集」は、光太郎が青年時代に翻訳し、さまざまな雑誌に発表したり、単行書として刊行された『天上の炎』から抜粋したりで編まれました。奥付は前年12月25日の発行となっています。編集に当たったのが真壁で、真壁は「あとがき」も執筆しています。


光太郎と同じく、ロダンを敬愛し、というか、弟子とも言える碌山荻原守衛にも「Le Desepsoir(デスペア)」と題する作品があります。光太郎は詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)に登場させています。

ロダン作品に戻りますが、長年、ピアノの上に置いてあった……驚きですね。当方自宅兼事務所を隅々まで探してもそんな凄いものは置きっぱにはなっていないでしょう(笑)。
最後にもう1件、荻原守衛関連です。信州安曇野の碌山美術館さんから、館報の第45号が届きました。ありがたし。
昨年の第114回碌山忌の際の関連行事「井上涼トークセッション 表現とアイデンティティ☆」の、「びじゅチューン」でおなじみ井上涼氏と同館学芸員・濱田卓史氏による対談が文字起こしされています。光太郎にも触れられていました。
他には以下の目次の通り。
同館サイトから全文が読めますが、紙媒体で手許に欲しいという方、同館までお問い合わせ下さい。
【折々のことば・光太郎】

創元社から「ヴエルハアラン詩集」を届けられました。思つたよりはきれいに出来ました。貴下のお骨折によるものとてありがたく存じました。これらの詩を夢中になつて訳してゐた青年の頃を思ひ出します。
昭和29年(1954)1月10日
真壁仁宛書簡より 光太郎72歳
真壁仁宛書簡より 光太郎72歳
「ヴエルハアラン詩集」は、光太郎が青年時代に翻訳し、さまざまな雑誌に発表したり、単行書として刊行された『天上の炎』から抜粋したりで編まれました。奥付は前年12月25日の発行となっています。編集に当たったのが真壁で、真壁は「あとがき」も執筆しています。