昨日は鎌倉に行っておりました。過日ご紹介した鎌倉覚園寺さんでの「後醍醐院法躰御木像 特別開帳」拝観のためです。ご朱印マニアの妻も連れて行きました。

webで予約をしましたが、受付が13:30~13:40の10分間。遅れてはいけませんし、妻は覚園寺さんをはじめ近くの二階堂地区、鶴ヶ岡八幡宮さんを除く雪ノ下地区などの寺社には参拝したことがないというので、そのあたりも廻ろうと早めに行きました。

こちらが覚園寺さん。当方も初めてでした。
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特別開帳拝観の前に御朱印を頂き、撮影全面禁止・有料部分の拝観。
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繁華街からは離れた場所で、静かな雰囲気の古刹。かつて本堂の役割だった的な茅葺きの大きな薬師堂が大迫力でした。こちらのご本尊で一丈(約1.8メートル)はあろうかという薬師如来様、左右の日光・月光菩薩さま、さらに宮毘羅大将以下の十二神将さま。実にエモいお姿でした。

さて、特別開帳拝観。こちらは現在の本堂にあたる愛染堂で。
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ご本尊の愛染明王様が修復のためお留守になり、光背と蓮華座はそのまま残っている形で、ぽっかりと空いた空間が寂しい、というわけで、そこに秘仏的な扱いで伝えられてきた光太郎の父・光雲作の後醍醐天皇像を御厨子ごと据え、ご本尊のお留守を護っていただこう、というコンセプトだそうです。

後醍醐天皇像を愛染明王様の代わりに、というのにはちゃんと理由がありました。愛染明王像は基本的に右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ったお姿で表されます(六臂なので右手・左手というと正確には語弊がありますが)。そして後醍醐天皇が愛染明王様を篤く信仰されていたということで、絶対ではないのですが、絵画にしても彫刻にしても、後醍醐天皇像も右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ったお姿で表されることが多く、こちらの像もそうなっているのです。
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まったく違う像を愛染明王様の光背と蓮華座に据えるのはお門違いですが、そういうことならそれもありだな、と判断されたとのこと。なるほど、と思いました。

で、光雲作の後醍醐天皇像。7寸ほどの小さなお像でしたが、実に精緻なものでした。他に光雲作の後醍醐天皇像は当方、寡聞にして存じません。しかし、やはり光雲作で多くの類例がある聖徳太子像大聖(孔子)像などと似た感じでした。
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ただ、量産されたこれらとは異なり、衣の模様の部分には金箔による截金(きりかね)が施され、特注品だったと思われます。

意外だったのは、制作年。聖徳太子像、大聖(孔子)像などは大正から昭和にかけてのものが多いのですが、こちらの後醍醐天皇像は明治26年(1893)の作とのこと。ちなみにこの年は、シカゴ万博に出品された「老猿」(国指定重要文化財)が作られた年です。
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それから、覚園寺さんのオーダーメイドではなく、昭和に入ってから、同寺が後醍醐天皇ゆかりのお寺でもあるということで、寄進を受けたというお話でした。像自体には光雲の銘は入って居らず(天皇像ということで遠慮した?)、光雲自筆の保証書的な書状が添えられ、コピーを拝見しましたが、斎戒沐浴の上、精魂込めて作りました、的な内容でした。今回の特別開帳のフライヤーにその書状から文字が採られていました。これには気づきませんでした。
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像本体は撮影禁止でしたが、特別開帳を申し込んだ参拝者には、画像が印刷されたポストカード大のカードがいただけます。そのまま画像を出さないでくれ、ということなので、モザイクを掛けました。
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右上はご開帳期間だけの限定御朱印です。

というわけで、実に有意義な参拝でした。

ついでというと何ですが、他に巡った御朱印スポット。行程順に。

荏柄天神さん。
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境内の「絵筆塚」。河童の漫画家・清水昆氏オマージュで、「フクちゃん」の横山隆一氏らの手で建立されました。ブロンズのプレートには「ドラえもん」の藤子・F・不二雄氏、「ゴルゴ13」のさいとうたかを氏、そして現在朝ドラで注目を集めているやなせたかし氏らのイラスト。
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一旦、中心街に戻って鶴ヶ岡八幡宮さん。
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段葛の通りで昼食を摂り、鳩サブレを買って(笑)、ふたたび東の方へ。

鎌倉宮さん。
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覚園寺さんはこの奥です。

特別開帳は来年1月まで。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

青森へ行つた帰りに山へまゐるつもりでしたが、青森でいろいろな会に出るので疲れるでせうから、今度は帰途山へ寄らずに直ぐ東京にかへり、一旦休んでから又あらためて十一月に山へまゐることにいたしますので、その時お目にかかるのをたのしみに思ひます。


昭和28年(1953)10月11日 駿河重次郎宛書簡より 光太郎71歳

駿河重次郎は、前年まで光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋の土地を提供してくれた、村の長老格の一人。「青森」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式で、10月21日でした。

最初はその帰途に太田村に寄るつもりでしたが、予定を変更、11月に太田村に帰ることにしました。
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