昨日は神奈川県と都内をうろうろしておりました。

まずは神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺さん。こちらでは、光太郎の父・光雲の手になる秘仏・三面大黒天立像の特別御開帳が行われています。
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元々の予定では、4月22日(火)の信州安曇野碌山美術館さんでの「第115回碌山忌」に参列後、途中で仮眠し、翌日に中央道から圏央道、さらに東名、新東名と進んで大山寺さんに参拝するつもりでしたが、安曇野で愛車のナビが故障、その際には断念しまして、リベンジです。

昨日は公共交通機関を使って行って参りました。新宿から小田急線で伊勢原駅まで。そこから路線バスで大山ケーブル駅バス停。
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あちこちにポスターが。いやが上にも期待が高まります。しかし、バス停からケーブルカーの駅までがけっこうきつい上りで約15分。
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平日にもかかわらず、ほぼ満員でした。ほとんどの方は終点まで行き、さらに大山自体に登るトレッキングが目的という感じでしたが。当方は途中の大山寺駅で下車。新緑の参道を歩きました。
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駅からは5分ほどで到着。
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右上画像に「五月十八日」とあるのは、その日に開山1270年の記念法会が行われるためです。

さっそく拝観料400円也をお納めして、内陣へ。問題の三面大黒天像、撮影禁止とのことで画像が出せませんが、700円也でいただいた御朱印に描かれていました。
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持物(じぶつ)や衣の紋様など、細部はかなり実物と異なるのですが、まぁ、こんな感じです。

同じ光雲作の三面大黒天像は、信州善光寺さんの仁王門にも納められていまして、持物やポージング等は同じでした。ただ、いろいろ違いもあって興味深く拝見しました。

まず、サイズ。信州善光寺さんの方は七尺五寸とかなりの大きさですが、こちらはおそらくその3分の1と思われます。なぜに3分の1かというと、信州善光寺さんの方も雛形がそのサイズで、そこから星取り法で3倍に拡大、寄木造りで作られているためです。

それから信州善光寺さんの方は、本体、雛形とも彩色が施されていますが、こちらは白木造り。てっきりこちらも彩色仏と予想していましたが、これは外れました。

さらにお顔の感じもかなり異なっていました。信州善光寺さんの方は荒ぶる神である三面大黒天の属性が生かされ、強面(こわもて)の感じですが、こちらは全体にふっくらしたお顔立ちで、どちらかというと通常の大黒天像に近いと思いました。信州善光寺さんの方は、二尊の金剛力士と三宝荒神と共に門を守る役割ですから、邪悪な者を通さないようにということでいかついお顔をなさっているのでしょうし、こちらはそうした役割ではないので柔和なお顔なのかなと思いました。

ちなみに三面大黒天、両サイドのお顔は向かって左が毘沙門天、右が弁財天のお顔です。なぜそのようなお姿かというと、今回の特別御開帳に合わせてアップされた大山寺さんのフェイスブック記事に動画で紹介されていました。
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いろいろ笑えますが、おおむねそういうことで(笑)。

参拝を終えて、帰途に。往路では背後でしたし、気が急いていたので気づきませんでしたが、ケーブルカーの大山寺駅附近から相模湾が遠望できました。
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特別ご開帳は6月1日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

昨日九尺―四尺―六尺の台の模型を四分一に造つてもらつて雛形像をのせてみました。堂々たる台のブロツクに彫像の方が少々負けるやうな感じがします。最後の決定前に一度ごらんを願ひます。

昭和28年(1953)4月3日 谷口吉郎宛書簡より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作に関わります。谷口は像を含む現地の設置場所一帯の公園を設計した建築家です。「九尺―四尺―六尺の台」は像の台座で、これも谷口が担当しました。このあたりのバランスも光太郎と谷口、知恵を出し合って考えていたようです。

ちなみに台座に使われてたのは岩手産の折壁石です。翌年の除幕の頃は正しく「岩手産」と報道されていましたが、のちに谷口が「福島産」とあちこちに書いてしまい、それが元で「福島産」と誤って紹介されるのが定着してしまいました。
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