先週末からの2泊3日の行程を終え、昨日、千葉の自宅兼事務所に帰投しました。2回に分けてレポートいたします。
メインの目的は高村智恵子生家/智恵子記念館さんで開催中の「高村智恵子生誕祭」の一環として、当会主催で行ったコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」。4月27日(日)、午前の部と午後の部と、2回公演でした。これまで当方は、毎年4月2日の日比谷松本楼さんでの連翹忌の集いを除いて、各地のイベントに呼ばれて出向くばかりでしたが、今回はこの手のイベントとしては初の当会プロデュース。慣れないプロデューサー業で、各方面に助けられながら、何とか盛会のうちに終わらせることが出来ました。
出演は朗読で仙台ご在住の荒井真澄さん、音楽演奏で電子楽器・テルミンの大西ようこさん(神奈川にお住まい)、そして都内から箏曲の元井美智子さん。
以前にも書きましたが、それぞれがまず単独、あるいは他の方とのコラボで「智恵子抄」系の公演をなさり、知遇を得させていただきました。で、連翹忌の集いにご参加いただくようになり、そこでお三方が意気投合。これまでもお三方中のお二人が組まれての公演が、光太郎がらみでないものも含め、複数回ありました。「それならいっそ3人でやってみませんか、この時期なら通常立ち入り禁止にしている智恵子生家の座敷でやらせていただけると二本松市教委さんからご返答いただいてますし」とお声がけしたところ、皆さん「ぜひやりたい」とのことで。
ネックは入場無料で行うため、ギャラをお出しできないこと。皆さんにとってのメリットは「智恵子生家の座敷で公演ができる」ということだけで、それぞれ遠方にお住まいですし、いわばハイリスクローリターン。それでもお三方とも「ここでやれるなら夢のようです」とおっしゃってくださり、実現しました。
4月26日(土)、まず荒井さんと大西さんがいらっしゃり、ざっと会場設営と場当たり。
「長沼セン」は、智恵子の母です。右上の画像で左端がセン。昭和2年(1927)、光太郎智恵子夫妻と訪れた箱根大湧谷でのショットです。こんなところに記名してあるとはまったく存じませんでした。
そして4月27日(日)、コンサート当日。元井さんも合流し、リハーサル。
ぼんぼり的な丸いのは、地元の上川崎和紙で作られたもので、ここの備品をお借りしました。
満を持して11:00、午前の部の開演。
午前中でお客さんがいらっしゃるかと心配でしたが、蓋を開けてみれば座敷はいっぱいでした。ありがたし。
隣接する智恵子記念館で展示中の智恵子のエプロンを復元して下さった花巻南高校家庭クラブ/文芸部さんの生徒さん、先生方も駆けつけて下さいました。終演後には「エプロン展示中ですのでご覧下さい」と宣伝しつつ、生徒さんたちに立っていただいてご紹介させていただきました。事前打ち合わせ無しの無茶ぶりでしたが(笑)。
荒井さんが「智恵子抄」所収の詩を13篇、さらにエッセイ「智恵子の半生」から抜粋で朗読。大西さんと元井さんが日本古謡「さくら」やドビュッシー「月の光」などを合奏。箏の演奏を間近で見られる機会もそうそうありませんし、ましてや不思議な電子楽器テルミンは見るのも聴くのも初めて、というお客さんがけっこういらっしゃいまして、ビジュアル的にも見ていて飽きない感じになりました。
荒井さんの朗読も、一人何役も演じ分けられたり耳に心地よい美声だったり。しかし、決して幸福一辺倒でなかった光太郎智恵子(特に智恵子)の生涯を追う構成なわけで、聴いていて切なくなるのはどうしようもありませんでした。いつものことですが。
そしてやはりこの「場」。かつてここに智恵子やその家族が居て、たまには光太郎も来て、それぞれが生きて呼吸して家族の歴史を刻んだ場所なんだと思うと、感無量でした。
現在、二本松での「高村智恵子生誕祭」、そして信州安曇野碌山美術館さんでも「特別展示 智恵子の紙絵」ということで、実物が展示されています。
メインの目的は高村智恵子生家/智恵子記念館さんで開催中の「高村智恵子生誕祭」の一環として、当会主催で行ったコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」。4月27日(日)、午前の部と午後の部と、2回公演でした。これまで当方は、毎年4月2日の日比谷松本楼さんでの連翹忌の集いを除いて、各地のイベントに呼ばれて出向くばかりでしたが、今回はこの手のイベントとしては初の当会プロデュース。慣れないプロデューサー業で、各方面に助けられながら、何とか盛会のうちに終わらせることが出来ました。
出演は朗読で仙台ご在住の荒井真澄さん、音楽演奏で電子楽器・テルミンの大西ようこさん(神奈川にお住まい)、そして都内から箏曲の元井美智子さん。
以前にも書きましたが、それぞれがまず単独、あるいは他の方とのコラボで「智恵子抄」系の公演をなさり、知遇を得させていただきました。で、連翹忌の集いにご参加いただくようになり、そこでお三方が意気投合。これまでもお三方中のお二人が組まれての公演が、光太郎がらみでないものも含め、複数回ありました。「それならいっそ3人でやってみませんか、この時期なら通常立ち入り禁止にしている智恵子生家の座敷でやらせていただけると二本松市教委さんからご返答いただいてますし」とお声がけしたところ、皆さん「ぜひやりたい」とのことで。
ネックは入場無料で行うため、ギャラをお出しできないこと。皆さんにとってのメリットは「智恵子生家の座敷で公演ができる」ということだけで、それぞれ遠方にお住まいですし、いわばハイリスクローリターン。それでもお三方とも「ここでやれるなら夢のようです」とおっしゃってくださり、実現しました。
4月26日(土)、まず荒井さんと大西さんがいらっしゃり、ざっと会場設営と場当たり。
「長沼セン」は、智恵子の母です。右上の画像で左端がセン。昭和2年(1927)、光太郎智恵子夫妻と訪れた箱根大湧谷でのショットです。こんなところに記名してあるとはまったく存じませんでした。
そして4月27日(日)、コンサート当日。元井さんも合流し、リハーサル。
ぼんぼり的な丸いのは、地元の上川崎和紙で作られたもので、ここの備品をお借りしました。
満を持して11:00、午前の部の開演。
午前中でお客さんがいらっしゃるかと心配でしたが、蓋を開けてみれば座敷はいっぱいでした。ありがたし。
隣接する智恵子記念館で展示中の智恵子のエプロンを復元して下さった花巻南高校家庭クラブ/文芸部さんの生徒さん、先生方も駆けつけて下さいました。終演後には「エプロン展示中ですのでご覧下さい」と宣伝しつつ、生徒さんたちに立っていただいてご紹介させていただきました。事前打ち合わせ無しの無茶ぶりでしたが(笑)。
荒井さんが「智恵子抄」所収の詩を13篇、さらにエッセイ「智恵子の半生」から抜粋で朗読。大西さんと元井さんが日本古謡「さくら」やドビュッシー「月の光」などを合奏。箏の演奏を間近で見られる機会もそうそうありませんし、ましてや不思議な電子楽器テルミンは見るのも聴くのも初めて、というお客さんがけっこういらっしゃいまして、ビジュアル的にも見ていて飽きない感じになりました。
荒井さんの朗読も、一人何役も演じ分けられたり耳に心地よい美声だったり。しかし、決して幸福一辺倒でなかった光太郎智恵子(特に智恵子)の生涯を追う構成なわけで、聴いていて切なくなるのはどうしようもありませんでした。いつものことですが。
そしてやはりこの「場」。かつてここに智恵子やその家族が居て、たまには光太郎も来て、それぞれが生きて呼吸して家族の歴史を刻んだ場所なんだと思うと、感無量でした。
約60分で午前の部が終わり、昼食。さらに14:00から午後の部。内容的には同一でした。
意外でしたが、午後の部の方がお客さんが少なく、まぁそれでも盛会裡に終えることが出来ました。
何人か、聴かれた方の感想を伺いましたが、皆さん口を揃えて絶賛して下さいました。中にはこのブログのコメント欄にも書かれていますが、地元の方が「大変素晴らしく過去最高の「智恵子抄」だと思いました。テルミンの音色、古式豊かな雅な琴の音との智恵子抄は初めてでした。ずーと続けて欲しいなと思いました」とのことで。
プロデューサー冥利に尽きます。それを言えば、連翹忌の集いの一つの目標として、光太郎の顕彰以外にこのように人の輪を拡げることがありまして(そしてさらに光太郎顕彰に繋げるということになりますが)、それがまた少し果たせたことを嬉しく存じます。
何人か、聴かれた方の感想を伺いましたが、皆さん口を揃えて絶賛して下さいました。中にはこのブログのコメント欄にも書かれていますが、地元の方が「大変素晴らしく過去最高の「智恵子抄」だと思いました。テルミンの音色、古式豊かな雅な琴の音との智恵子抄は初めてでした。ずーと続けて欲しいなと思いました」とのことで。
プロデューサー冥利に尽きます。それを言えば、連翹忌の集いの一つの目標として、光太郎の顕彰以外にこのように人の輪を拡げることがありまして(そしてさらに光太郎顕彰に繋げるということになりますが)、それがまた少し果たせたことを嬉しく存じます。
元井さんが8分余りの動画を上げて下さっています。
地元紙『福島民友』さん、『福島民報』さんが取材に来て下さいました。この手のイベントの記事は速報性が求められないので、数日後に出ることが多く、現時点ではまだ記事が読めていません。出ましたらまたご紹介します。
仙台に本社を置く東北6県をカバーする『河北新報』さんは以下の記事。取材にはいらっしゃいませんでしたが、事前にこちらで流しておいた情報に基づいて、4月26日(土)に掲載して下さいました。
【折々のことば・光太郎】
おてがみ感謝、仕事に没頭してゐたため、ハガキを書くのを、おろそかにしてゐて失礼しました。中央公論社の催に異存ございません。御多忙中上京との事恐縮に存じます。

真壁は山形在住の詩人。戦時中、智恵子紙絵千数百枚の約3分の1を光太郎が真壁の元に疎開させていました。
その中から作品を選び、中央公論社画廊で「高村智恵子紙絵展覧会」が2月2日~12日の日程で開催されました。昭和26年(1951)6月に資生堂ギャラリーで行われて以来、都内では2度目の開催でした。
地元紙『福島民友』さん、『福島民報』さんが取材に来て下さいました。この手のイベントの記事は速報性が求められないので、数日後に出ることが多く、現時点ではまだ記事が読めていません。出ましたらまたご紹介します。
仙台に本社を置く東北6県をカバーする『河北新報』さんは以下の記事。取材にはいらっしゃいませんでしたが、事前にこちらで流しておいた情報に基づいて、4月26日(土)に掲載して下さいました。
詩人、彫刻家の高村光太郎の妻で、洋画家智恵子(1886~1938年)が生まれた5月20日に合わせた催し「高村智恵子 生誕祭」が、福島県二本松市の「市智恵子の生家・記念館」で開かれている。5月25日までの期間中、智恵子がデザインしたエプロンを再現した作品の展示などがある。
エプロンは、光太郎が戦時中に疎開した岩手県花巻市の花巻南高家庭クラブの生徒が復元した。当時の女性向け雑誌に掲載されるなど注目を集めたという。
記念館では、智恵子が病に伏していた時に作った「紙絵」10点など、普段は公開されていない資料が5月11日まで特別に展示される。生家では智恵子の居室だった2階が土日祝日を中心に公開する。
4月27日には生家で、詩集「智恵子抄」の朗読公演がある。午前11時と午後2時の2回で予約不要、参加費無料。光太郎の活動を伝える「高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会」が企画した。
午前9時~午後4時半。水曜日休館(祝日の場合は翌日)。入場料は高校生以上410円、小中学生210円。連絡先は記念館0243(22)6151。
エプロンの展示を含め、「高村智恵子生誕祭」は5月25日(日)まで。他にもさまざまなコンテンツが用意されています。ぜひ足をお運びください。【折々のことば・光太郎】
おてがみ感謝、仕事に没頭してゐたため、ハガキを書くのを、おろそかにしてゐて失礼しました。中央公論社の催に異存ございません。御多忙中上京との事恐縮に存じます。

昭和28年(1953)1月15日
真壁仁宛書簡より 光太郎71歳
真壁仁宛書簡より 光太郎71歳
真壁は山形在住の詩人。戦時中、智恵子紙絵千数百枚の約3分の1を光太郎が真壁の元に疎開させていました。
その中から作品を選び、中央公論社画廊で「高村智恵子紙絵展覧会」が2月2日~12日の日程で開催されました。昭和26年(1951)6月に資生堂ギャラリーで行われて以来、都内では2度目の開催でした。