横浜の神奈川近代文学館さんで先月から開催されている特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」の公式図録です。

大岡信 言葉を生きる、言葉を生かす

発行日 : 2025年3月20日
著者等 : 県立神奈川近代文学館/公益財団法人神奈川文学振興会編
版 元 : 港の人
定 価 : 2,420円(税込)

特別展「大岡信 言葉を生きる、言葉を生かす」県立神奈川近代文学館[2025年3月20日―5月18日]公式図録。「折々のうた」をはじめ、詩歌の魅力を伝えた大岡信。おおらかな感性の詩人・大岡信の生涯をおいながら、詩人が紡いだ豊かな言葉の世界に迫る。大岡家ほかから文学館に寄贈された、大岡が遺した書、詩稿ノート、創作メモなど貴重な資料を多数収録。

装丁 須山悠里
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目次
 巻頭詩 神話は今日の中にしかない 大岡 信
 寄稿 日本詩歌の豊穣――『折々のうた』の射程 三浦雅士
 序章 舞い、あらわす
 第一章 生まれ、生きる
  軍国の田におんまれなすつた
  「鬼の詞」(ことば)/わがうた ここにはじまる――
 第二章 出で、立つ
  感受性の祝祭――批評家から詩人へ
  クローズアップ 詩友・谷川俊太郎
  大岡かね子=深瀬サキとともに
  クローズアップ 「春のために」
 第三章 和し、合す
  戯曲、シナリオ
  連句の可能性
  「櫂」連詩、国際連詩へ
  故郷・静岡での継続的連詩の試み
  SPOT 大岡信ってどんなひと
 第四章 うつし、つなぐ
  古典探究
  アンソロジー「折々のうた」
  詩歌の面白さ
 終章 伝え、結ぶ
 詩篇・評論
  初秋午前五時白い器の前にたたずみ谷川俊太郎を思つてうたふ述懐の唄  大岡 信
  微醺をおびて  谷川俊太郎
  大岡信 架橋する精神  宇佐美圭司
 寄稿 大岡信の背中、そしてこれから
  『あなたに語る日本文学史』を読む  五味文彦
  連詩の楽しみ、苦しみ  高橋順子
  大岡信の外国での活動――六〇、七〇年代、そして私の回想  越智淳子
  大岡信と「しずおか連詩」  野村喜和夫
  共鳴が始まる  蜂飼耳
  「折々のうた」に思うこと  永田 紅
  断片と波動 大岡信の歌仙  長谷川 櫂
 大岡信略年譜
 主な出品資料
 執筆者一覧
 出品・協力者一覧

最近流行りの公式図録でありながら一般書店等にも流通させているタイプです。

『毎日新聞』さんに書評が出ました。

渡邊十絲子・評 『大岡信 言葉を生きる、言葉を生かす』=県立神奈川近代文学館、公益財団法人神奈川文学振興会編(港の人・2420円) 鋭敏な感覚と熟成した「出会い」

 もっとも多くの日本人に知られた大岡信の仕事は、朝日新聞連載のコラム「折々のうた」であろう。毎日、詩歌ひとつを紹介するというのは、口で言うほどかんたんなことではない。
 まず、膨大な詩歌作品をあらかじめ知っている必要がある。新しい出会いはもちろんあるにしても、詩歌との出会いは瞬間になされるものではなく、時間をかけて熟成されてはじめて「出会った」といえる状態になることが多いからだ。また、引用は二行、解説は一八〇字という制約のなかで詩歌の魅力を伝えるのは至難のわざである。しかし大岡は、途中休載期間をはさみながら、足かけ二九年にわたりこの難業をなしとげた。
 この本は、県立神奈川近代文学館の特別展「大岡信展」(五月一八日まで)の公式図録として編まれたものだ(独立した書籍として一般書店で入手できる)。巻頭に置かれた三浦雅士氏の寄稿「日本詩歌の豊穣(ほうじょう)――『折々のうた』の射程」を読んで大岡の仕事を改めて振り返り、その大きさを実感した。大岡の詩も『折々のうた』も批評も書もひとつの地平のうちに描き出したこの寄稿に心を揺さぶられたので、今回ぜひともこの本を紹介したいと思った。
  のちに岩波新書としてまとめられた『折々のうた』巻頭第一首は、志貴皇子(しきのみこ)「石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも」。出発にふさわしい清新な歌だ。しかしじつは、新聞連載の第一回は高村光太郎の「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」という歌だった。厳しい冬のさなか、当時は「男子一生の大事業」に近かった洋行に際し、船中で作られた歌だという。それがコラム連載初回の一月二五日という季節とも、詩歌の大海原に漕(こ)ぎ出す大岡の武者震いとも、ぴたりと合っていた。しかしあえて「さ蕨の萌え出づる春」にとりかえたのは、詞華集は春夏秋冬の順序で進むものという約束事が尊重されたのと、<少なくとも日本語においては、季節がなかば身体の事柄としてあること>(三浦氏)のためである。それが誰であれ、出発する身体は春を生きているのだ。日本人の身体に深くしみこんだ「季節を生きる、季節として生きる」作法を、大岡は個人の事情に優先させたのである。 
 身体感覚の共有と同期。その鋭い感覚が、たとえば「ぬばたまの」という意味のわからない枕詞(まくらことば)をとらえにかかり、『ぬばたまの夜、天の掃除機せまつてくる』(大岡の詩集タイトル)に結実させる。説明的な言語のレベルでは意味がわからないと言うしかなくても、身体感覚が「ぬ」という暗く不穏な音と「夜」の体感とをとりもつことによって、大岡はこの単語を自分の手から読者へと手渡せる。わからない言葉を、わからないままに使えるのである。巻頭寄稿は、このあたりの機微を明らかにした評論である。 わたしは詩を、言語では説明できないものに言語をもって接近する試みだと思っている。とりわけ日本の現代詩はその方向に先鋭化してきた。そのなかで大岡が武器とした鋭敏な身体感覚は、非言語と無名性に支えられたものである。自分という閉じた存在をひらいて、大いなる存在に溶け込んでいく勇気。それは自分を信じる心と表裏一体のものなのだと思う。

「第四章 うつし、つなぐ」中の「アンソロジー「折々のうた」」の部分に着目されています。昭和54年(1979)1月に『朝日新聞』さんで始まった連載は、書評にある通り、光太郎短歌「海にして……」が記念すべき第一回でした。

展示でも図録でもその第一回については大きく取り上げられています。大岡氏の生原稿、当該短歌を光太郎が揮毫した色紙など。
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当方、展示は3月26日(水)に拝見に伺いました。その際、既に受付等で販売されていたのかどうか、気づきませんでした。図録と言ってもよくあるA4サイズ等の大判ではなく、先述の通り一般書店等にも流通させているタイプでA5判です。うっかり見逃していたかも知れません。『毎日新聞』さんに書評が出て、「えっ? 出てたのか」と、慌てて取り寄せた次第です。

展示は5月18日(日)まで。ぜひ足をお運びの上、図録もお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生もまづ健康よろしく、仕事の方も順調に運びまして、もう小型の石膏型を二本作りました。次に中型のを作るところ。暮も正月もない次第です。


昭和27年(1952)12月19日 宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の試作制作にかかり切りで、この年は暮れて行きました。以前から常々「70になったら本当の仕事をする」とうそぶいていた通りになった感じです。