先ほど、午後になってから、一昨日に発生した停電が復旧しました。暑い中、復旧作業に従事された方々、お疲れ様でした。しかしまぁ、実に54時間ほど停電が続いたわけで、こちらとしてもそれなりに大変でした。当たり前のように電気が使える事のありがたみを再確認させられました。
さて、熊本から企画展情報です。
会 場 : 熊本市現代美術館 熊本県熊本市中央区上通町2番3号
時 間 : 10:00~20:00(展覧会入場は19:30まで)
料 金 : 一般 1,000(800)円 シニア(65歳以上) 800(600)円
学生(高校生以上) 500(400)円 中学生以下 無料
他
というわけで、光太郎の代表作「手」(大正7年=1918)と、「鯰」(大正15年=1926)が出ます。
「手」は、新しく鋳造された同型のものが全国に散らばっていますが、こちらは台座の木彫部分を光太郎が彫り、大正期に鋳造されたと判明している3点のうちの1点です。「鯰」も、鯰をモチーフにした木彫は数点現存しますが、それぞれ微妙に形が異なり、1点ものの扱いです。
他に、荻原守衛をはじめ、光太郎と交流のあった作家の作がずらり。
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
限りなくさびしけれども われは 過ぎこし道をすてて まことにこよなき力の道をすてて 未だ知らざる土をふみ かなしくも進むなり
この詩は初め、大正元年(1912)10月の『第一回ヒユウザン会展覧会目録』に、「さびしきみち」として全文かな書きで掲載され、のち、詩集『道程』(大正3年=1914)にその形が踏襲されました(若干の異同がありましたが)。詩集『道程』に収められる前、大正元年(1912)の11月に、雑誌『朱欒』に「寂しき道」として通常の漢字仮名交じりの形が発表され、上記はそこから採りました。
さて、熊本から企画展情報です。
2019年度国立美術館巡回展 東京国立近代美術館所蔵品展 きっかけは「彫刻」。―近代から現代までの日本の彫刻と立体造形
期 日 : 2019年9月21日(土)~11月24日(日)会 場 : 熊本市現代美術館 熊本県熊本市中央区上通町2番3号
時 間 : 10:00~20:00(展覧会入場は19:30まで)
料 金 : 一般 1,000(800)円 シニア(65歳以上) 800(600)円
学生(高校生以上) 500(400)円 中学生以下 無料
( )内は前売 20名以上の団体 各種障害者手帳(身体障害者手帳、療育手帳、
精神障害者保健福祉手帳、被爆者健康手帳等)
休館日 : 火曜日(ただし10月22日(火祝)は開館し、翌日休館)精神障害者保健福祉手帳、被爆者健康手帳等)
本展は、「彫刻」という概念が誕生した明治期から、ロダンの影響、大正期から昭和初期の多様な展開、そして戦後の現代美術からたちあがった立体造形、さらには近代日本彫刻史を踏まえ発展していった現代彫刻までを、東京国立近代美術館のコレクションより、それぞれの時代を象徴する代表作から通観するものです。
ロダンに多大な影響を受けた高村光太郎や荻原守衛、中原悌二郎をはじめ、木彫の世界を広げた平櫛田中や橋本平八、第二次大戦後の現代美術で存在を示した舟越保武、向井良吉、三木富雄から1980 年代の表現までを通観し、近代日本に新しく発生した「彫刻」という概念が、各時代を代表する作家達にどのような刺激を与え創造を促したのか、作家達はキャリアを通じて「彫刻」をどのように解釈し、何に重きを置き立体として制作したのかを探ります。
熊本県下では、近代日本彫刻をテーマにした大規模な企画展は初めての開催です。本展が、教科書やメディアを通じて知っていた「あの名品」の本当の魅力を紹介する機会となれば幸いです。
出品作家
竹内久一、 山崎朝雲、 米原雲海、 平櫛田中、 荻原守衛、 戸張孤雁、 朝倉文夫、 高村光太郎、 藤川勇造、 北村西望、 石井鶴三、 佐藤朝山、 中原悌二郎、 荻島安二、 橋本平八、 斎藤義重、 柳原義達、 佐藤忠良、 舟越保武、 向井良吉、 村岡三郎、 吉村益信、 若林奮、 赤瀬川原平、 三木富雄、 菅木志雄、 遠藤利克
関連行事
きっかけは「彫刻」。展 東京国立近代美術館学芸員による特別講演会
2019年9月21日(土) 14:00-15:30 参加費無料
講師 大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
講師 大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
他
というわけで、光太郎の代表作「手」(大正7年=1918)と、「鯰」(大正15年=1926)が出ます。
「手」は、新しく鋳造された同型のものが全国に散らばっていますが、こちらは台座の木彫部分を光太郎が彫り、大正期に鋳造されたと判明している3点のうちの1点です。「鯰」も、鯰をモチーフにした木彫は数点現存しますが、それぞれ微妙に形が異なり、1点ものの扱いです。
他に、荻原守衛をはじめ、光太郎と交流のあった作家の作がずらり。
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
限りなくさびしけれども われは 過ぎこし道をすてて まことにこよなき力の道をすてて 未だ知らざる土をふみ かなしくも進むなり
詩「寂しき道」より 大正元年(1912) 光太郎30歳
この詩は初め、大正元年(1912)10月の『第一回ヒユウザン会展覧会目録』に、「さびしきみち」として全文かな書きで掲載され、のち、詩集『道程』(大正3年=1914)にその形が踏襲されました(若干の異同がありましたが)。詩集『道程』に収められる前、大正元年(1912)の11月に、雑誌『朱欒』に「寂しき道」として通常の漢字仮名交じりの形が発表され、上記はそこから採りました。