光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの取り組みです。
まずは(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・。実際に光太郎が調理した献立や使った食材を参考に、メニュー考案にあたられているのがさんです。
今月分のメニューは「ホッケの塩焼き」「豚肉のすき焼き風煮」「切り干し大根の煮物」「じゃがいもとコーンのバター炒め」「蕗味噌」「卵焼き」「おにぎり」「筍ご飯」「よもぎ入り白玉団子」。
白玉にヨモギを入れたのは「なるほど」という感じでした。また、「ホッケの塩焼き」。光太郎は肉が大好物でしたが、昭和27年(1952)に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京して入った中野のアトリエで、大家の中西夫人に頼んだ買い物メモなどにもホッケやブリなどの切り身を依頼する内容が残っています。
同じくやつかの森さんが、こちらは調理まで担当されている花巻市東和地区の「」さんでの月に一度の「こうたろうカフェ」。連翹忌の集いを開催する間際でバタバタしており紹介出来ませんでしたが、今年初の出店だったという先月分は3月25日(火)だったそうです。
右下画像、智恵子の故郷・二本松市の智恵子の生家/智恵子記念館さんで開催される高村智恵子生誕祭 の一環としての、共に当会プロデュースによる、コンサート「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」(4月27日(日))、花卷南高校家庭クラブさんのお手を煩わせた「智恵子のエプロン」復刻展示のフライヤーを貼って下さっていて恐縮いたしました。
こちらのメニューは「鶏むねローストのなぞソース」「たまご巾着」「バッケ風味のピザ」「春ワカメの3色和え」「イカ風味大根」「生麩のすまし汁」「きざみのせご飯」「お新香」「干柿のミルフィーユ」「コーヒー」。これで1,000円は首都圏だと考えられない価格ですね。ちなみに道の駅の「光太郎ランチ」も800円だか900円だかのお手頃価格です。
まずは(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・。実際に光太郎が調理した献立や使った食材を参考に、メニュー考案にあたられているのがさんです。
今月分のメニューは「ホッケの塩焼き」「豚肉のすき焼き風煮」「切り干し大根の煮物」「じゃがいもとコーンのバター炒め」「蕗味噌」「卵焼き」「おにぎり」「筍ご飯」「よもぎ入り白玉団子」。
白玉にヨモギを入れたのは「なるほど」という感じでした。また、「ホッケの塩焼き」。光太郎は肉が大好物でしたが、昭和27年(1952)に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京して入った中野のアトリエで、大家の中西夫人に頼んだ買い物メモなどにもホッケやブリなどの切り身を依頼する内容が残っています。
同じくやつかの森さんが、こちらは調理まで担当されている花巻市東和地区の「」さんでの月に一度の「こうたろうカフェ」。連翹忌の集いを開催する間際でバタバタしており紹介出来ませんでしたが、今年初の出店だったという先月分は3月25日(火)だったそうです。
右下画像、智恵子の故郷・二本松市の智恵子の生家/智恵子記念館さんで開催される高村智恵子生誕祭 の一環としての、共に当会プロデュースによる、コンサート「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」(4月27日(日))、花卷南高校家庭クラブさんのお手を煩わせた「智恵子のエプロン」復刻展示のフライヤーを貼って下さっていて恐縮いたしました。
こちらのメニューは「鶏むねローストのなぞソース」「たまご巾着」「バッケ風味のピザ」「春ワカメの3色和え」「イカ風味大根」「生麩のすまし汁」「きざみのせご飯」「お新香」「干柿のミルフィーユ」「コーヒー」。これで1,000円は首都圏だと考えられない価格ですね。ちなみに道の駅の「光太郎ランチ」も800円だか900円だかのお手頃価格です。
「なぞソース」はタマネギ、ニンジンがベースとなっているとのこと。「バッケ」はふきのとう。すまし汁に使われているお椀はメンバーの方のお宅に代々伝えられている塗り物だそうで、なるほど、こういうところにも工夫がされているのかと感心いたしました。
今月分は30日(水)に出店だそうです。既に30人ほどの予約が入っているとのこと。しかし、このブログが若干ネタ切れ気味でして(笑)、また日を改めましてご紹介いたします。

再上京後、外食や寿司の出前を取ることも増えましたが、基本的には自炊でした。
7年間暮らした花巻郊外旧太田村とは異なり、少し歩けば桃園町の商店街で、一通りの買い物は出来ました。そこで七輪なども入手していました。
足腰が弱り、外出がほぼ不可能になっても先述の通り、大家の中西夫人や家政婦さんに頼んで食材を買ってきてもらい、調理は自分でという生活が最晩年まで続きます。
今月分は30日(水)に出店だそうです。既に30人ほどの予約が入っているとのこと。しかし、このブログが若干ネタ切れ気味でして(笑)、また日を改めましてご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】
東京の空気は悪いですが、健康はまづ大丈夫らしく、このアトリエで自炊を始めました、
昭和27年(1952)10月29日
宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳
宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳
再上京後、外食や寿司の出前を取ることも増えましたが、基本的には自炊でした。
7年間暮らした花巻郊外旧太田村とは異なり、少し歩けば桃園町の商店街で、一通りの買い物は出来ました。そこで七輪なども入手していました。
足腰が弱り、外出がほぼ不可能になっても先述の通り、大家の中西夫人や家政婦さんに頼んで食材を買ってきてもらい、調理は自分でという生活が最晩年まで続きます。