企画展示情報を2件。
まずは新潟から、今日開幕です。
館蔵コレクションより、木彫やブロンズの名品と、彫金や鋳造の金工作品を一堂に展示いたします。
両方ともフライヤーに画像が出ていますが、光太郎の父・光雲作の木彫「ちゃぼ」(明治22年=1889)と「狆」(昭和4年=1929)が出されます。「ちゃぼ」は同館で昨年開催された「新春特別展 新春工芸名品展」でも展示されました。
もう1件、和歌山県から。
他に、佐藤家では光太郎作と伝わっていたという蟬の木彫も含まれていましたが、同館学芸員氏より問い合わせがあり、画像で確認したところどう見ても他の作家の作でした。
それはさておき、それぞれぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
東京のアトリエの借用料を貴方で負擔して下さるといふ事を知りました、予期してゐなかつた事ですが、大助かりなので、御好意忝く、ありがたくお受けする事にいたしました、
津島文治は太宰治の実兄にして、青森県知事。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため借り受けることになった中野の中西利雄アトリエ関係です。当然と言えば当然ですが、家賃は青森で負担するとのこと。
まずは新潟から、今日開幕です。
期 日 : 2025年4月7日(月)~6月21日(土)
会 場 : 敦井美術館 新潟市中央区東⼤通1-2-23 北陸ビル1F
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 日曜・祝日
料 金 : 一般500円(400円) 大高生300円(250円) 中小生200円(150円)
( )内団体割引・20名以上 土曜日は小・中学生無料
( )内団体割引・20名以上 土曜日は小・中学生無料
館蔵コレクションより、木彫やブロンズの名品と、彫金や鋳造の金工作品を一堂に展示いたします。
両方ともフライヤーに画像が出ていますが、光太郎の父・光雲作の木彫「ちゃぼ」(明治22年=1889)と「狆」(昭和4年=1929)が出されます。「ちゃぼ」は同館で昨年開催された「新春特別展 新春工芸名品展」でも展示されました。
もう1件、和歌山県から。
期 日 : 2025年4月12日(土)~6月29日(日)
会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日(祝日の場合は翌日)
料 金 : 一般600(480)円、大学生330(290)円 ()内は20名以上の団体料金
高校生以下、65歳以上無料
高校生以下、65歳以上無料
佐藤春夫旧蔵の美術作品を中心に、春夫と美術の関わりを紹介
和歌山県新宮市に生まれた佐藤春夫(1892〜1964)は、明治から昭和にかけて、詩や小説の創作を中心に、文学の世界で大きな足跡を残しました。同時に春夫は、「二十のころの希望は文学と美術との二つに分かれていた」と回想しており、その若き日に抱いた美術へのあこがれを、生涯持ち続けることになります。
昨年度、当館は春夫が所蔵していた美術作品、61件148点の寄贈を受けました。本展はそれを記念し、春夫ゆかりの美術作品を多くの方にご覧いただく機会として開催します。
春夫は新宮で育った少年のころ、詩書画に関心の高い父の影響を受けつつ、大石誠之助や西村伊作らがもたらした新しい思想や文化にもふれます。さらに同地を訪れた石井柏亭ら一流の美術家や文化人との交流を通して、文学とともに美術への関心を深めました。上京後には自身の肖像画制作を通して高村光太郎と親交を結ぶなか、自らも絵筆をとって絵画の制作を始め、設立されたばかりの二科展では連続入選を果たします。
自著の装幀や挿画は美術家と共同で仕事をする機会を生み出し、それが若い美術家の支援にもつながりました。なかでも大正から昭和の戦前期にかけて、木版画で特異な幻想の世界を描き出した谷中安規(たになか・やすのり)とは特別な交流が生まれ、春夫の手元には多くの作品が残されました。本展では詩情あふれる木版画を手がけた川上澄生の作品、また里見弴、武者小路実篤とシリーズを分け合ったゴヤの連作版画集〈ロス・カプリーチョス〉など、春夫が愛蔵した版画も数多くご紹介します。
佐藤春夫の文学に関心を持つ方はもちろん、多くの方に文豪の知られざる美術コレクションからその美術との関わりについて理解を深めていただくことで、改めて春夫の作品世界を知り、楽しんでいただく契機にもなればと考えています。
同館に以前から寄託されている光太郎油彩画「佐藤春夫像」(大正3年=1914)が出ます。こちらはことあるごとに出品されていますし、他館への貸し出し等も積極的に行って下さっています。ありがたし。
元々は光雲が頼まれた大倉夫妻の木彫肖像のためのエスキスでしたが、光太郎自身がテラコッタにし、さらに光太郎没後に実弟・豊周がブロンズに鋳造、当会顧問であらせられた北川太一先生や、花巻の佐藤隆房医師らに贈られた物と同一です。大理石の台座がついています。
それから、告知文にある新たに寄贈を受けた「春夫が所蔵していた美術作品、61件148点」中に、光太郎ブロンズの「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)が含まれていました。これも出品されると思われます。
元々は光雲が頼まれた大倉夫妻の木彫肖像のためのエスキスでしたが、光太郎自身がテラコッタにし、さらに光太郎没後に実弟・豊周がブロンズに鋳造、当会顧問であらせられた北川太一先生や、花巻の佐藤隆房医師らに贈られた物と同一です。大理石の台座がついています。
他に、佐藤家では光太郎作と伝わっていたという蟬の木彫も含まれていましたが、同館学芸員氏より問い合わせがあり、画像で確認したところどう見ても他の作家の作でした。
それはさておき、それぞれぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
東京のアトリエの借用料を貴方で負擔して下さるといふ事を知りました、予期してゐなかつた事ですが、大助かりなので、御好意忝く、ありがたくお受けする事にいたしました、
昭和27年(1952)9月2日 津島文治宛書簡より 光太郎70歳
津島文治は太宰治の実兄にして、青森県知事。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため借り受けることになった中野の中西利雄アトリエ関係です。当然と言えば当然ですが、家賃は青森で負担するとのこと。