過日の第69回連翹忌の折にゲットしました。

高村光太郎と尾崎喜八

発行日 : 2025年4月2日
著者等 : 北川太一 著  石黒敦彦 編  山室眞二 装丁
版 元 : 蒼史社
定 価 : 2,500円+税

北川太一氏が尾崎喜八研究会の「尾崎喜八研究」誌に書かれた尾崎喜八と高村光太郎についての文章を集めた第一部と、シンジュサン工房から刊行されたツマキ文庫の『配達された「五月のウナ電」』(二〇〇四年)全文、それを捕捉する尾崎喜八の高村光太郎と星見表についての短文「光太郎向学」を加えた第二部によって構成した。……「書物はそれ自身の運命を持つ」 この一冊が、北川さんの「高村光太郎ノート」シリーズ(蒼史社および文治堂書店)とともに、未来に向けて読み継がれていくことを願っている。
(「はじめに」より)

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目次
 はじめに
 第一部 高村光太郎と尾崎喜八005
  島津謙太郎のこと
  尾崎さんと高村さん―『聖母子像』をめぐって
   一 砂川の土蔵
   二 聖母子像
   三 三月二十日
   四 みいちゃん
   五 『私たちの本』
  愛と創作 その詩と真実
   Ⅰ 雑誌『エゴ』
   Ⅱ 「愛と創作」
   Ⅲ 「ジャン・クリストフ」
   Ⅳ 「出会い」の時
  ロランと光太郎をめぐる人々
   Ⅰ アトリエにて
   Ⅱ 音楽への誘い
   Ⅲ ロダンとベルリオーズ
   Ⅳ 誌への出発高田博厚
   Ⅴ 最初の詩集
   Ⅵ 結婚前後
   Ⅶ ロランと光太郎をめぐる人々
  各章の主要事項解説 石黒敦彦
 第二部 配達された「五月のウナ電」
  配達された「五月のウナ電」
  五月のウナ電 北川太一
  解説 北川太一
  制作覚書 山室眞二
  捕捉『光太郎向学』 尾崎喜八
  北川太一略歴


尾崎喜八は、当会の祖・草野心平と並んで、光太郎と最も深く交流のあった詩人と言えるでしょう。心平とはまた違う方向からのアプローチで光太郎と親しくなり、目次からも概観できますが「ロマン・ロラン」や「音楽」が二人を結びつけるキーワードでした。さらに尾崎の妻・實子(みいちゃん)は、光太郎の親友だった水野葉舟の息女で、幼い頃から光太郎にかわいがられていました。尾崎と實子の長女の故・栄子さんは智恵子に抱っこされたこともありますし、のちに智恵子が心を病んでから手がける「紙絵」を、まだ健康だった頃の智恵子に作ってもらってもいます。折り紙を折りたたんで切り込みを入れ、拡げて出来るシンメトリーのタイプです。そうした家族ぐるみの交流は、心平との間にはあまりありませんでした。
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左上画像は戦前の本郷区駒込林町光太郎アトリエ兼住居前。左から栄子さん、光太郎、尾崎、實子。右上画像は尾崎夫妻の結婚記念に光太郎から贈られたミケランジェロ模刻の「聖母子像」です。

永らく連翹忌の運営その他、光太郎顕彰活動に当たられた北川太一先生は尾崎一家とも親しく、尾崎の歿後に立ち上げられた「尾崎喜八研究会」にご協力。機関誌『尾崎喜八研究』などに玉稿を度々寄せられました。そのあたりが本書の「第一部」です。

「第二部」は、光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)がらみ。北川先生が解説を書かれ、染織家の志村ふくみ氏、版画や装丁を手がけられている山室眞二氏が組んで小さな本を作られ、それに関わります。

今年が北川先生生誕100年ということで、栄子さん令息の石黒敦彦氏が、それらを一冊にまとめて刊行されたというわけです。まだ斜め読みですが、久々に先生の文章をまとめて読める幸せに心躍らせております。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

薬サルフオルありがたくお受けとりしました。今までは売薬のモスキトンなど使つてゐましたが、この薬は上等のやうです。丁度今はツナギなどといふ兇猛なアブが出てゐるので大助かりです。

昭和27年(1952)8月18日 森荘已池宛書簡より 光太郎70歳

「サルフオル」は合成抗菌薬のサルファ剤。9月13日の日記に「左ももに田虫様のもの出来いたむ、サルフアをつける」の記述があります。「モスキトン」は虫除け、虫刺されの薬として販売されていた商標名です。
無題