一昨日は光太郎忌日・第69回連翹忌でした。光太郎智恵子ゆかりの日比谷松本楼さんにおいて関係の方々にお集まりいただき集いを開催いたしまして、その関連でご紹介すべき事項も残っているのですが、一旦離れます。
本日はテレビ放映関連で。
まず、終わってしまった話ですが一昨日の連翹忌当日、テレビ朝日さん系の「グッド!モーニング」内の「林修のことば検定」。視聴者向けのクイズ形式、リモコンのⓓボタンで解答受付というスタイルですが、光太郎が問題に取り上げられました。
当方は連翹忌の集いに持参する配付資料などを車に積み込んだりしている最中でしたので拝見出来ませんでしたが、ご覧になった方がスマホでテレビ画面を撮影、画像を送って下さいました。
詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の「智恵子は東京に空が無いといふ」をマクラに、光太郎が昭和20年(1945)、生まれ故郷の東京から岩手に移った理由についてでした。
常に緑ボタンの選択肢はダジャレです(笑)。
で、宮沢家との関わりに触れ、結局正解は赤の「疎開」。
さらに宮沢家も終戦5日前の空襲で焼け出され、戦後になって花巻郊外旧太田村の山小屋に移るのですが、そこで戦時中の翼賛活動を深く反省したというお話も。ありがたし。
ちなみに昨年の連翹忌の日にもこのコーナーで光太郎を取り上げて下さいました。
昨年はマニアックな問題だったためでしょう、スマホやパソコンで正解を調べようとした皆さんがこのブログサイトに殺到(笑)。
今年も通常の6倍くらいの閲覧数となりました。ありがたいところです(笑)。
さて、これとは別に明日放映の番組。
BSテレ東 2025年4月12日(土) 23:30~24:00
本日はテレビ放映関連で。
まず、終わってしまった話ですが一昨日の連翹忌当日、テレビ朝日さん系の「グッド!モーニング」内の「林修のことば検定」。視聴者向けのクイズ形式、リモコンのⓓボタンで解答受付というスタイルですが、光太郎が問題に取り上げられました。
当方は連翹忌の集いに持参する配付資料などを車に積み込んだりしている最中でしたので拝見出来ませんでしたが、ご覧になった方がスマホでテレビ画面を撮影、画像を送って下さいました。
詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の「智恵子は東京に空が無いといふ」をマクラに、光太郎が昭和20年(1945)、生まれ故郷の東京から岩手に移った理由についてでした。
常に緑ボタンの選択肢はダジャレです(笑)。
で、宮沢家との関わりに触れ、結局正解は赤の「疎開」。
さらに宮沢家も終戦5日前の空襲で焼け出され、戦後になって花巻郊外旧太田村の山小屋に移るのですが、そこで戦時中の翼賛活動を深く反省したというお話も。ありがたし。
ちなみに昨年の連翹忌の日にもこのコーナーで光太郎を取り上げて下さいました。
昨年はマニアックな問題だったためでしょう、スマホやパソコンで正解を調べようとした皆さんがこのブログサイトに殺到(笑)。
今年も通常の6倍くらいの閲覧数となりました。ありがたいところです(笑)。
さて、これとは別に明日放映の番組。
地上波テレビ東京 2025年4月5日(土) 22:00〜22:30
BSテレ東 2025年4月12日(土) 23:30~24:00
▼春の上野公園でアート旅!なぜ上野はアートの発信地となったのか?▼その秘密を400年前に誕生した巨大寺院から地下空間の巨大オブジェまで時代を象徴する作品を楽しみながら探っていく▼広重の浮世絵に描かれた情緒ある上野のお山。明治以降は公園に生まれ変わり日本の近代化の舞台となった▼日本初の動物園や音楽ホール、美術館が次々と誕生して上野は文字通り文化の中心となっていく▼そんな上野公園の華麗な美の歴史を俳優の本仮屋ユイカさんが辿る。
出演者 アートトラベラー:本仮屋ユイカ ナレーション:上野樹里
上野恩賜公園が舞台ということで、光太郎の父・光雲が主任となって制作された西郷隆盛像なども紹介されるかな、というところです。予告動画等には映っていませんでしたが……。
もう1件。

上野恩賜公園が舞台ということで、光太郎の父・光雲が主任となって制作された西郷隆盛像なども紹介されるかな、というところです。予告動画等には映っていませんでしたが……。
もう1件。
BSイレブン 2025年4月6日(日) 19:30〜20:00
戦後80年を経た今、私たち日本人は本当の意味で国際人となり得たのだろうか?『和魂洋才の系譜』の著者である比較文学研究の大家、平川祐弘氏が、日本と日本人に問う。
今回のゲストは、東京大学名誉教授で比較文化史家の平川祐弘氏。比較文学研究の大家である平川氏が翻訳を手掛けたダンテの『神曲』は、出版から半世紀以上の時を経た今でも、名訳として広く読み継がれている。また、森鴎外を通じて急激な近代化する明治期の日本の精神性を解き明かした『和魂洋才の系譜』は、トップエリートたちに多大な影響を与えてきた。敗戦から高度経済成長を成し遂げた昭和、“失われた30年"といわれながらも経済大国の地位を維持してきた平成、令和。時代が移り変わる中でも、戦後80年にわたって日本は、国際社会の一角で存在感を示してきた。しかし、私たち日本人は本当の意味で国際人となり得たのであろうか?平川氏の問いかけは、日本の将来に向けて鋭く問いかける。
出演者 【司会者】牛島信(弁護士・作家) 田村あゆち(フリーキャスター)
【ゲスト】平川祐弘(東京大学名誉教授 比較文化史家)
平川祐弘氏がご出演、御著『和魂洋才の系譜 内と外からの明治日本』(昭和46年=1971)を中心に語られるとのこと。同書は番組説明にあるように森鷗外がメインの書物ですが、光太郎や与謝野晶子、徳富蘇峰らにも触れられています。ちらっとでも光太郎の話題になってほしいものです。
ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
此間は折角来られたのに大したお構ひも出来ず失礼しました、それでも此処の様子を見てもらつて本望でした、まだ今後何処へゆくか分りませんが当分はここにゐるつもり、後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも知れません、
孟彦は光太郎実弟。光雲四男でしたが藤岡家に養子に出ました。植物学を修め、戦前から兵庫県農業試験場に勤務していましたが、この時期には茨城県の鯉淵学園に勤務。現在の鯉淵学園農業栄養専門学校さんです。
秋に光太郎が再上京するということで、それなら鯉淵学園で講演を一席頼まれてくれないか、というわけで、花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れたようです。そこで11月に講演が実現しました。その筆録は翌年1月発行の『農業茨城』第5巻第1号に「芸術と農業」の題で掲載され、筑摩書房刊『高村光太郎全集』第19巻に収録されています。平川祐弘氏がご出演、御著『和魂洋才の系譜 内と外からの明治日本』(昭和46年=1971)を中心に語られるとのこと。同書は番組説明にあるように森鷗外がメインの書物ですが、光太郎や与謝野晶子、徳富蘇峰らにも触れられています。ちらっとでも光太郎の話題になってほしいものです。
ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
此間は折角来られたのに大したお構ひも出来ず失礼しました、それでも此処の様子を見てもらつて本望でした、まだ今後何処へゆくか分りませんが当分はここにゐるつもり、後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも知れません、
昭和27年(1952)8月13日 藤岡孟彦宛書簡より 光太郎70歳
孟彦は光太郎実弟。光雲四男でしたが藤岡家に養子に出ました。植物学を修め、戦前から兵庫県農業試験場に勤務していましたが、この時期には茨城県の鯉淵学園に勤務。現在の鯉淵学園農業栄養専門学校さんです。

「当分はここにゐるつもり」は、「乙女の像」が完成したらまた太田村に戻ることを意味します。「後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも」は、どの程度本気だったのか……というところです。