エッセイストにして、雑誌『暮しの手帖』元編集長であらせられ、これまでもあちこちで光太郎に触れて下さっている松浦弥太郎氏の新著です。

正直、親切、笑顔 僕が大切にしている125の言葉

発行日 : 2025年1月30日
著者等 : 松浦弥太郎
版 元 : 光文社
定 価 : 1,250円+税

「この本をあなたの大切な人に、プレゼントしてください」。エッセイスト松浦弥太郎さんが日々書きとめてきた、お守りのような言葉を一冊にまとめました。「弱いってことは強いってことなんだと思う。弱いとわかっている強さってある」「百冊の本を読むよりも、一冊の本を百回読みたい」など、苦しいときに、穏やかな呼吸を取り戻すために、紙の手触りを感じながらページを開いてほしい。紙の本を愛する人に贈る至福の一冊です。

目次
 はじめに
 正直
 親切
 笑顔

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直接光太郎と関わるわけではありませんが、タイトルが光太郎がらみです。「はじめに」から。

タイトルにした「正直、親切、笑顔」という言葉は、高村光太郎さんが花巻の小学校の生徒に贈った言葉からいただきました。この言葉は、僕の人生の出発点ともいえるものです。

正確にいうと「笑顔」は松浦氏が付け足されたもので、光太郎が贈った言葉は「正直親切」。昭和26年(1951)、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の太田小学校山口分教場が山口小学校に昇格した際、校訓として揮毫し、贈りました。

佐藤隆房編著『高村光太郎山居七年』より、同校初代校長・浅沼政規の証言から。

「子供たちの毎日の生活に大切な言葉を掲げ、朝夕それを仰いで、みながよい子になろうと励むようにしたいものだと考えますので、何か適当な言葉をお願いしたいと思って参りました。」
「それはいいことですね。みんなが合言葉のようにして心がけていくと自然よくなっていくでしょう。どんな言葉がよいかな。」
「太田の中学校で、先生に書いていただいたのを掲げてありますが、ああいうものでもいいのですが。」
(注・太田中学校校訓は「心はいつでも新しく 毎日何かしらを発見する」)
「そうですね。小学校だからむずかしい言葉では子供にはわからんでしょうからね。まあ考えておきましょう。」
 その後一ヶ月半ほどたち、いよいよ書いてみようということになったので浅沼校長さんは画仙紙を届けました。先生は
「『正直』と『親切』と二つ採ろうと思いますがどうでしょうか。どちらも子供の時からしつけていけばいいことですからね。」
「ありがとうございます。そうお願い致します。」
 何日かの後、先生がその書を学校に持参して下さいました。校長さんは厚く礼をのべ、花巻に出て、額に表具し、額を学校に掲げ生徒に合言葉となるよう指導しました。


そうして書かれたのが、下記の書。
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戦後ふうに左から右に書き、一年生の児童でも読めるようにと現代仮名遣いでルビも。旧仮名遣いでは「しやうぢきしんせつ」です。ただ、拗音を小さく書くというルールは未だ徹底されていなかった時期で、「しょう」ではなく「しよう」となっています。

そして光太郎、学芸会に招かれ、児童を前に語りました。再び『高村光太郎山居七年』から。

校訓のことですが、何か書こうと思っても何もない。太田中学校には書いてあげました。大きい人にはその意味もわかるのでよいですが、皆さんには何がいいかと考えました。結局平凡なことですが、『正直』というのを採りました。正直は人の行の根本になると思いますし、その時は損なようでも結局長い間では得になるものです。これに親切を加えました。そういうわけで、あの書をあげたのですが、学校の訓(おしえ)ともなり、又校章と相俟って将来よい校風が出来ますれば幸です。

残念ながら山口小学校は廃校となって元の太田小学校に統合、しかし跡地には光太郎に贈られた「正直親切」の語を刻んだモニュメントが建てられました。
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こうしたいきさつに感銘を受けた、光太郎と交流があり、埼玉県東松山市の教育長であらせられた故・田口弘氏は、昭和58年(1983)、市内に新たに開校した新宿小学校さん校庭に同じ文字を使った碑を建立。さらに光太郎母校の荒川区第一日暮里小学校さんでも、昭和60年(1985)、創立百周年記念にこの言葉を刻んだ碑を建立しました。同校では学校便りのタイトルも「正直親切」です。
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さて、松浦氏の御著書。光太郎に触れられているのは「はじめに」だけなのですが、「正直」「親切」「笑顔」の三章に分け、「なるほど」と思わせられる言葉が並んでいます。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

詩集“琉球”ありがたくいただきました。大変美しい本が出来てうれしい事です。表紙の紅形を飽かずながめました。紙もきれい、印刷もきれい、詩もきれいです。かういふきれいさがだんだん世の中に少くなつてゆくやうな気がします。

昭和26年(1951)10月15日 矢野克子宛書簡より 光太郎69歳

矢野克子は明治38年(1905)、沖縄生まれの詩人です。詩集『琉球』はこの年刊行された詩集で、表紙には伝統の琉球紅型(びんがた)のデザインを使っていました。
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