このところ、光太郎の父・光雲、その師・高村東雲の彫刻を見て歩く機会を多くとっています。一昨日は千葉県野田市へ。昨年12月にもお邪魔し、キッコーマンさん敷地内の琴平神社さんで、東雲の手になるという胴羽目彫刻などを拝見して参りました。同じ野田市内の大師山報恩寺さんにも東雲作の弘法大師像がおわすという情報を得ていましたので、その足で伺ったのですが、その際は本堂の改修工事の関係で拝観出来ず。そこでリベンジです。
報恩寺さん、埼玉県境に近い中野台地区に鎮座する古刹です。ただ、現在地に移ったのは維新後、本堂は昭和3年(1928)落慶だそうです。
蠟梅が見事でした。春が近いのを実感しました。
本堂の扁額。周囲の細工が精緻ですね。
賽銭箱。銅板が貼り付けてあるようです。珍しいタイプではないかと。
お約束の阿吽の獅子も実にいい感じ。いやが上にも期待が高まります。
さて、寺務所で訪いを入れ、本堂に入れていただきました。
御本尊の弘法大師像。こちらが東雲の作で、幕末の御像です。
残念ながら須弥壇までの距離が遠く、間近で拝観することは叶いませんでしたし、黒いお姿で画像も鮮明に撮れませんでしたが、見事な造作であることは見て取れました。御目は玉眼のようです。
看経座(御本尊にお経をあげる場所)には、もう一尊、大師像。こちらも東雲作。前立本尊のような感じです。
こちらは目の前で拝観出来ました。
僧形ということで、同じく東雲作の鎌倉建長寺さんにおわす五百羅漢像を彷彿とさせられました。こちらは東雲がこの地にやってきて彫ったという寺伝があるそうです。
本堂の欄間は名工・石川信光の作。石川は柴又帝釈天さんの胴羽目なども手がけています。東京美術学校での光雲の同僚にして、牙彫も手がけた石川光明の同族です。
一部、弟子の作も入っているとのことで、そちらはやはり少し簡易な感じです。
本堂脇の玄関的なところには、何と木村武山の絵。
外へ出て、境内を散策。
本堂外側の濡れ縁や漆喰の壁などを、昨年、補修したそうです。蔀戸などは元のままだとのこと。
小さな祠というか、お堂というか、そちらの胴羽目も素晴らしゅうございました。
もしかすると、やはり石川一派、東雲一門などの手かな、とも思いました。
梵鐘は光雲三男にして光太郎実弟・豊周と繋がりのあった香取正彦の作。香取は梵鐘の鋳造で人間国宝に認定されています。
飛天があしらわれ、実にありがたみが増していますね。
手水舎の龍もただ者ではありませんでした。
失礼ながら、有名な大寺院でなくとも、このように素晴らしいお宝が見られるのだと改めて感じました。維持管理等、なかなかに大変かとは存じますが。
皆様もぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
澤田さんの小屋は今半分ほど出来ました。これが出来ると小さな彫刻が作れるでせう。
「澤田さんの小屋」は、澤田伊四郎の龍星閣が費用を負担して普請中の増築部分(左の白い壁部分)です。
ただ、結局、この増築部分が竣工しても、ここできちんとした作品としての彫刻を作ることはありませんでした。
報恩寺さん、埼玉県境に近い中野台地区に鎮座する古刹です。ただ、現在地に移ったのは維新後、本堂は昭和3年(1928)落慶だそうです。
蠟梅が見事でした。春が近いのを実感しました。
本堂の扁額。周囲の細工が精緻ですね。
賽銭箱。銅板が貼り付けてあるようです。珍しいタイプではないかと。
お約束の阿吽の獅子も実にいい感じ。いやが上にも期待が高まります。
さて、寺務所で訪いを入れ、本堂に入れていただきました。
御本尊の弘法大師像。こちらが東雲の作で、幕末の御像です。
残念ながら須弥壇までの距離が遠く、間近で拝観することは叶いませんでしたし、黒いお姿で画像も鮮明に撮れませんでしたが、見事な造作であることは見て取れました。御目は玉眼のようです。
看経座(御本尊にお経をあげる場所)には、もう一尊、大師像。こちらも東雲作。前立本尊のような感じです。
こちらは目の前で拝観出来ました。
僧形ということで、同じく東雲作の鎌倉建長寺さんにおわす五百羅漢像を彷彿とさせられました。こちらは東雲がこの地にやってきて彫ったという寺伝があるそうです。
本堂の欄間は名工・石川信光の作。石川は柴又帝釈天さんの胴羽目なども手がけています。東京美術学校での光雲の同僚にして、牙彫も手がけた石川光明の同族です。
一部、弟子の作も入っているとのことで、そちらはやはり少し簡易な感じです。
本堂脇の玄関的なところには、何と木村武山の絵。
外へ出て、境内を散策。
本堂外側の濡れ縁や漆喰の壁などを、昨年、補修したそうです。蔀戸などは元のままだとのこと。
小さな祠というか、お堂というか、そちらの胴羽目も素晴らしゅうございました。
もしかすると、やはり石川一派、東雲一門などの手かな、とも思いました。
梵鐘は光雲三男にして光太郎実弟・豊周と繋がりのあった香取正彦の作。香取は梵鐘の鋳造で人間国宝に認定されています。
飛天があしらわれ、実にありがたみが増していますね。
手水舎の龍もただ者ではありませんでした。
失礼ながら、有名な大寺院でなくとも、このように素晴らしいお宝が見られるのだと改めて感じました。維持管理等、なかなかに大変かとは存じますが。
皆様もぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
澤田さんの小屋は今半分ほど出来ました。これが出来ると小さな彫刻が作れるでせう。
昭和26年(1951)5月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎69歳
「澤田さんの小屋」は、澤田伊四郎の龍星閣が費用を負担して普請中の増築部分(左の白い壁部分)です。
