またしても年またぎのご紹介となりますが……。
発行日 : 2024年12月27日発売
版 元 : 芸術新聞社
定 価 : 2,700円(税込)
特集 昭和100年記念 時代の書
1926年に改元され、日本史上最長の元号となった昭和。2025年は昭和100年に当たります。今号は激動の時代、昭和を振り返るとともに昭和書道史を概観します。昭和の書壇で活躍した作家の名品を主要な展覧会の歴史・書道団体成立の系図など、便利な資料とともにお届けします。書を通じて、昭和という時代を回顧してみましょう。
★インタビュー 昭和の書文化と書壇を語る 談/西嶋慎一
視点 私の見た書の昭和
★「読む」から「見る」へ 書が美術へ接近した時代 談/菅原教夫
★激動と秩序の共存していた昭和は身近にいつも書があった 文/比田井和子
★周囲一メートルの昭和 文/桐山正寿
・衝突と賛否両論が多様性を育んだ 談/松原清
鑑賞 昭和を生きた書人、書と言葉 選/井口尚樹
比田井天来 川谷尚亭 中村不折 吉田苞竹 会津八一 鈴木翠軒 高村光太郎
比田井南谷 川村驥山 津金寉仙 上田桑鳩 大澤雅休 井上有一 尾上柴舟 西川寧
辻本史邑 豊道春海 上條信山 松本芳翠 安東聖空 深山龍洞 赤羽雲庭 手島右卿
木村知石 青木香流 日比野五鳳 松井如流 森田竹華 金子鷗亭 森田子龍 村上三島
西谷卯木 殿村藍田 小坂奇石 柳田泰雲 宇野雪村 桑田笹舟 今井凌雪 青山杉雨
河井荃廬 石井雙石 中村蘭台二世 山田正平
比田井南谷 川村驥山 津金寉仙 上田桑鳩 大澤雅休 井上有一 尾上柴舟 西川寧
辻本史邑 豊道春海 上條信山 松本芳翠 安東聖空 深山龍洞 赤羽雲庭 手島右卿
木村知石 青木香流 日比野五鳳 松井如流 森田竹華 金子鷗亭 森田子龍 村上三島
西谷卯木 殿村藍田 小坂奇石 柳田泰雲 宇野雪村 桑田笹舟 今井凌雪 青山杉雨
河井荃廬 石井雙石 中村蘭台二世 山田正平
コラム 昭和の書家のしごと 固形墨の題字
コラム 昭和の書家のしごと 筆墨店の看板文字
資料室 近現代書の人脈
資料室 近現代書 団体の成立と変遷
資料室 墨展覧会リバイバル
第36回毎日書道展/第1回読売書法展/ 第1回サンケイ国際書展
芸術新聞社さん発行の隔月刊書道雑誌『墨』。新春っぽい表紙です。特集が「昭和100年記念 時代の書」。
その中で元同誌編集長の井口尚樹氏が選んだ「鑑賞 昭和を生きた書人、書と言葉」。光太郎を含む昭和を代表する書の達人たちをその作品と共に紹介しています。その数43名。大半が職業的書家ですが、それ以外が4人。すなわち中村不折、会津八一、尾上柴舟、そして光太郎。ここに光太郎を含めて下さったのは誇らしいところです。
光太郎の作品としては、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で揮毫された色紙「うつくしきもの満つ」。さらに書論「書について」(昭和14年=1939)の一節を取り上げて下さっています。
「うつくしきもの満つ」、光太郎が好んで揮毫した文言です。中には「満つ」を変体仮名的に片仮名で「ミつ」としたものもあります。以前にも書きましたがこの「ミつ」を「三つ」と誤読し、「三つのうち、一つ目が○○、二つ目で××、そして三つ目は……」という噴飯ものの解釈がまかり通っている部分があります。噴飯ものと笑って済ませられるうちはいいのですが、さもそれが定説だと言わんばかりにSNS等でたくさん横行してくると、義憤も感じますね。
閑話休題。『墨』誌、これまでにも光太郎特集を3回組んで下さいました(昭和52年=1977 第8号、昭和60年=1985 第53号、平成12年=2000 第142号)し、般若心経特集の号(平成2年=1990 第83号)などでも光太郎書を取り上げて下さっています。当会顧問であらせられた北川太一先生、その盟友・吉本隆明氏などの玉稿も載り、それぞれ光太郎書を知る上で保存版といっていい濃密な内容です。
古書市場で入手可、ぜひお買い求めを。それから最新号も。
【折々のことば・光太郎】

その中で元同誌編集長の井口尚樹氏が選んだ「鑑賞 昭和を生きた書人、書と言葉」。光太郎を含む昭和を代表する書の達人たちをその作品と共に紹介しています。その数43名。大半が職業的書家ですが、それ以外が4人。すなわち中村不折、会津八一、尾上柴舟、そして光太郎。ここに光太郎を含めて下さったのは誇らしいところです。
光太郎の作品としては、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で揮毫された色紙「うつくしきもの満つ」。さらに書論「書について」(昭和14年=1939)の一節を取り上げて下さっています。
「うつくしきもの満つ」、光太郎が好んで揮毫した文言です。中には「満つ」を変体仮名的に片仮名で「ミつ」としたものもあります。以前にも書きましたがこの「ミつ」を「三つ」と誤読し、「三つのうち、一つ目が○○、二つ目で××、そして三つ目は……」という噴飯ものの解釈がまかり通っている部分があります。噴飯ものと笑って済ませられるうちはいいのですが、さもそれが定説だと言わんばかりにSNS等でたくさん横行してくると、義憤も感じますね。
閑話休題。『墨』誌、これまでにも光太郎特集を3回組んで下さいました(昭和52年=1977 第8号、昭和60年=1985 第53号、平成12年=2000 第142号)し、般若心経特集の号(平成2年=1990 第83号)などでも光太郎書を取り上げて下さっています。当会顧問であらせられた北川太一先生、その盟友・吉本隆明氏などの玉稿も載り、それぞれ光太郎書を知る上で保存版といっていい濃密な内容です。
古書市場で入手可、ぜひお買い求めを。それから最新号も。
【折々のことば・光太郎】
先日は雪の中をはるばるおいで下され、御難儀の事恐縮に存じました。山の事とて何のお構ひも出来ず失礼いたしました、ゼンマイ、ワラビの頃又おいであらば中々風情ある事と存じます、
八重樫は花巻温泉の旅館・松雲閣の仲居。たびたび宿泊客を太田村の光太郎山小屋に案内しました。
この年2月21日の日記には、「「せんてつ」の鈴木氏松雲閣の女中八重樫さんと同道来訪」の記述があります。この際の八重樫の体験談及びこの書簡について、佐藤隆房編『高村光太郎 山居七年』(昭和37年=1962 筑摩書房)に詳しく記されています。「鈴木氏」は鈴木肆郎。当時、仙台鉄道局刊行の雑誌『せんてつ』の編輯に当たっていました。
このようにたびたび来訪者を案内してくれることに対し、申し訳なく思ったのでしょうか、光太郎は書を礼代わりに贈りました。これも好んで揮毫した今様体(七五調四句)の「観自在こそ……」を書いたものでした。
昭和26年(1951)2月26日 八重樫マサ宛書簡より 光太郎69歳
八重樫は花巻温泉の旅館・松雲閣の仲居。たびたび宿泊客を太田村の光太郎山小屋に案内しました。
この年2月21日の日記には、「「せんてつ」の鈴木氏松雲閣の女中八重樫さんと同道来訪」の記述があります。この際の八重樫の体験談及びこの書簡について、佐藤隆房編『高村光太郎 山居七年』(昭和37年=1962 筑摩書房)に詳しく記されています。「鈴木氏」は鈴木肆郎。当時、仙台鉄道局刊行の雑誌『せんてつ』の編輯に当たっていました。
このようにたびたび来訪者を案内してくれることに対し、申し訳なく思ったのでしょうか、光太郎は書を礼代わりに贈りました。これも好んで揮毫した今様体(七五調四句)の「観自在こそ……」を書いたものでした。