2ヶ月経ってしまいましたが、新刊です。著者はお世話になっている藤井明氏。小平市平櫛田中彫刻美術館さんの学芸員です。

明治・大正・昭和 メダル全史

発行日 : 2024年10月25日
著 者 : 藤井明
版 元 : 国書刊行会
定 価 : 12,000円+税

はじめての日本メダル大図鑑!
手のひらに載せれば心地よい金属の重みと質感を湛える、美しき世界――
明治初めに誕生し、大正に一大ブームを迎えるメダル。
オリンピック、高校野球、箱根駅伝、内国博覧会、皇室のご即位・ご成婚、従軍記章、創立記念、あるいはグリコのおまけ……
多種多様のメダルが製造され、なかには畑正吉、日名子実三、朝倉文夫、あるいは岡本太郎など美術家が関わりユニークで芸術性の高いものもある。
賞牌、勲章、記章、コインの類義語としてこれまであいまいにされてきた存在を、約280点のメダルと豊富な資料により、日本の近代化とともに歩んだ歴史と美術的価値を与えて詳らかにする、初のメダル集成。
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目次
 [プロローグ]メダルとは何か
 ようこそメダルの世界へ/メダルの名称
 i章 メダル事始
  1. 日本メダル前史
  2. メダルのはじまり
  3. 徽章業の誕生と発展
  §コラム1 西洋のメダル
 ii章 活用されゆくメダル
  1. 博覧会のメダル——文明開化のかがやき
  2. 皇室の祝賀
  3. 学校のメダル——「皆さん勉強なさい メダルを上げます」
  4 .会社・店舗のメダル
  5. 啓発のメダル
  §コラム2 初期デザインと様式
 iii章 メダルブームの到来
  1. 航空のメダル——大空に賭けた夢のかけら
  2. スポーツのメダル——ああ栄冠は君に輝く
  3. 活気づく徽章業
  4 .コレクターの出現
  5. 子どもたちの憧れ
  6. メダル事件簿
  §コラム3 オリンピックのメダル
 iv章 彫刻家とメダル
  1. メダルと彫刻
  2. 岩村透と畑正吉
  3. 日名子実三と構造社
  4. その他の作家たち
  5. 肖像メダル
  §コラム4 ノーベル賞のメダル
 v章 戦争とメダル
  1. 戦時下のメダル
  2.「桃太郎さがし」とメダル
  3. 戦時下の徽章業
  4. 今日のメダル
  §コラム5 メダルコレクターの素顔
 [エピローグ]ふたたびメダルとは何か
 注/主要参考文献/掲載図版一覧

表紙画像と目次、さらには紹介文でおおよそお判りかと存じますが、とにかく「メダル」です。250ページ超、ほぼオールカラーで、これでもかこれでもか、と、各種のメダルの図版が次々に。それぞれに解説も。紹介文に依ればその数約280点。さらに表裏双方の画像が掲載されていたり、メダルそのもの以外の関連する画像も豊富に収録されたりしています。

しかし、そもそも「メダル」っていったい何だ? ということになります。そのあたり、「プロローグ」で述べられていますが、「勲章」や「賞牌」といった、似たものとの線引きが曖昧ですね。さらに「貨幣」も絡んできたり……。そこで、勝手な想像ですが、約280点の紹介を通し、いわば帰納法的に「こういうものだ」とするという意図もあるのかな、と思いました。

さて、我らが光太郎の制作したメダルも4点、紹介されています。
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掲載順に並べましたが、左上が岩波書店の岩波茂雄に依頼されて造った同社の社章「種蒔く人」(昭和8年=1933頃)。右上は「園田孝吉像」(大正4年=1915)。左下に「嘉納治五郎像」(昭和9年=1934))、右下で「大町桂月像」(昭和28年=1953)。

「種蒔く人」は、岩波書店の岩波茂雄に依頼されて造った同社の社章。ただし不採用となりました。岩波が嫌っていた軍国主義っぽいと言う理由でした。しかし、「ボツになった」という事実も忘れられつつあるようで、現在の岩波書店さんでは社章は光太郎に作って貰った的な受け止め方でいます。そのあたり、くわしくはこちら

「園田孝吉像」。園田は十五銀行の頭取。同時に大きな胸像も制作されました。光太郎がアメリカ留学中に知り合った同行行員の熊井運祐、佐藤五百巌の斡旋で作られました。胸像の方は、信州安曇野の碌山美術館さんで展示されることがあります。

「嘉納治五郎像」は、「メダル」と言っていいのかどうか、当方としては疑問が残ります。縦長の長辺が20センチ超で、一般的な「メダル」よりかなり大きいので。ちなみに存命人物の肖像をやや苦手としていた、光太郎の父・光雲の代作です。画像はおそらく髙村家に遺された原型を元に、新たにブロンズで鋳造したもの。当方、制作当時のものを入手しましたが、ブロンズではなく石膏着色と思われます。ブロンズと比べ、恐ろしく軽いので。抜きが甘く、あまりいい出来ではありません。
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同様の光雲の代作として、「徳富蘇峰胸像」(昭和7年=1932)があります。こちらも入手しまして、先月、中野区のなかのZEROさんで開催された「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」に出品いたしました。
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こちらはきちんとブロンズで、重量があります。頒布は翌昭和8年(1933)、その際の趣意書もついていました。光太郎が代作したものなのに、光雲が如何に素晴らしいかといった記述に溢れ、こうしたインチキがまかり通っていたのですね(現代でも似たようなケースがありそうですが)。サイズ的には「嘉納治五郎像」とほぼ同じ。これも「メダル」と言っていいのかどうか……と感じます。

閑話休題。最後は「大町桂月像」。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に配付されたもので、光太郎生涯最後の完成作です。上の画像は原型。鋳造されたメダルは十和田湖畔の観光交流センターぷらっとさんに展示されています。
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『明治・大正・昭和 メダル全史』。他に、名のある彫刻家、工芸家、画家等が原型を制作したメダルも多数。畑正吉、日名子実三、齋藤素巌、陽咸二、藤井浩祐、朝倉文夫、荻原守衛、戸張孤雁、藤井達吉、岡田三郎助、北村西望、小杉未醒(放菴)、香取正彦、武石弘三郎などなど。

しかし、それらより圧倒的に多いのは、名も無き職人さん達の作。かえってそちらの作品群の方が、当時の世相や世の中の需要などを如実に反映しているようにも見えました。

なかなか高価なものですが、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

三十日から三日まで山形へゆき、酒の御馳走になつてきました、蔵王山麓が美しくみえました、 ここではもう冬です、


昭和25年(1950)11月8日 草野心平宛書簡より 光太郎68歳

山形では県総合美術展覧会の批評、講演会を二回行いました。このうち、山形市教育会館で開催された方を、渡辺えりさんの御両親が聴かれたそうです。