昨日のこのブログでは、一昨日、昨日と滞在しておりました光太郎第二の故郷・岩手花巻のレポートを途中まで致しておりましたが、一旦中断し、その後向かいました世田谷での観劇レポートを。そちらの公演が今日までですので、これを見て行ってみようという方が一人でもいらっしゃれば、と思いまして。
燦燦たる午餐さんの第二回公演「凌霄花の家」。ハコは小田急線千歳船橋駅近くのAPOCシアターさん。キャパ20名ちょいくらいの小劇場でした。しかし天井は高く狭苦しい感じではなく、奈落(?)に降りる階段なども劇中で効果的に活用されていました。
登場人物は三人(劇中劇的に、他の人物の役どころを演じる役回りも設定されていましたが)。それぞれ熱の籠もった演技でした。
まず令和の現代を生きる若い女性・遙佳(中嶋真由佳さん)。彼女がさまざまな鬱屈を抱え、鬱蒼とした森の中を歩いている中で、凌霄花(ノウゼンカズラ)に包まれたあばら屋を見つけ、屋内に。そこで見つけた古い絵や日記、手紙などに見入っていると、一人の男(石倉来輝さん)が現れ、「この家のゆかりの者」的な自己紹介。そしてかつてこの家であったことを語り出す、という流れです。この手法、能の定石ですね。実はその語っている人物の正体は……という所まで含めて。
男の語る昔語りは、この家(実はアトリエ)で100年ほど前にあった画家夫婦、孝治(石倉さん)と夕子(畑中咲菜さん)の話。この画家夫婦というのが、光太郎智恵子をモチーフとしています。ただ、孝治は彫刻家ではなく画家。彫刻家とするより画家の方が描きやすそうですし、一般の理解も得られるかなとは思いました。評論や翻訳なども書いているという設定は、光太郎そのままです。しかし、詩を書いているという設定にはなっていませんでした。後述しますが、史実の光太郎が書いていた詩も含め、孝治の絵がその役割を担っている感じの描き方でした。
光太郎の「緑色の太陽」を彷彿とさせる評論を読んだ、自身も絵を描いている夕子が孝治のアトリエを訪れ、意気投合、双方の両親の反対を押し切って、結婚。この辺りも光太郎智恵子の史実に近い設定です。また、あまり強調されませんでしたが、孝治の父は、光太郎の父・光雲同様、斯界の権威ということになっていました。
当初は売れない画家だった孝治は、特に夕子をモデルに描いた絵が徐々に世の中に認められていき、夕子も細々と雑誌の挿絵や絵葉書を描いて……という二人の生活。史実だと光太郎は智恵子をモデルとした彫刻も複数作り、発表もしましたが、その数は多くありませんでした。
しかし、のちに『智恵子抄』に収められる詩群に智恵子を謳い、それによって智恵子のイメージが世に広まった部分はありました。そう考えると、劇中での孝治の智恵子を描いて好評を博した絵は、『智恵子抄』の詩群と置き換えられるように思いました。
細々と夕子に舞い込む仕事の依頼は、「絵にも描かれた孝治の妻」という形容詞がついてのものだったり、孝治の絵と違う服装でいると世間から違和感を感じられたり、と、このあたりはさもありなん、でした。ただし史実では、智恵子は主に母校の日本女子大学校の関係で挿絵や絵葉書などの依頼を受けていましたが、結婚後はそれもほぼ無くなっています。結婚後、智恵子が対外的に行っていたのは雑誌への文章等の寄稿。これも「新進芸術家・光太郎の妻」ということで依頼されていたのかも知れない、と、これは当方、そこまでは深く考えていませんでしたので、目から鱗でした。
『智恵子抄』オマージュは劇中に色々ちりばめられていて、例えば詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)関連のエピソード。
この詩に関しては、光太郎の散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)に、次のように語られています。
このあたり、劇中ではかなり効果的に使われていました。孝治は夕子をモデルにした絵を「彼女の内面の美を引き出すんだ」と意気込み、実際、ある程度成功したり、古着屋のエピソードは「質屋」と置き換えられていましたが、夕子が対応して自分の着物を「もう着ない柄だから」と言って換金したり、と。「スエタアとヅボン」も。
しかし、そうやって「描かれた自分」と「実際の自分」とのギャップ、孝治や世間による自らの「聖女化」(それとて悪意は無いわけですし)、自身の絵は「孝治の妻が描いた絵」としてしか見られないことなどに耐えられなくなった夕子は壊れ始め……というあたりで終わります。それ以降を語るにはしのびない、あとは想像に任せる、という感じでしょうか。
というわけで、光太郎智恵子をモチーフとしながらも、一般的な話に落とし込み、よりリアリティが増しているように感じました。
会場では製本された台本(月森葵氏著)の販売も行われていまして、一部購入してきました。100ページ近くで1,000円也。お買い得です。公演は今日の昼の部まで。台本は主宰の「燦燦たる午餐」さんに申し込めば入手可能かも知れません。
スタッフ・キャストなど関係の方々の今後のさらなるご活躍、さらに出来れば再演を祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
検印紙は捺印しかけてありますが明三十日は小生山形市へ行かねばならなくなり、三日に帰つてきますから、帰つたらすぐ全部捺印して速達で送ります、
「検印紙」は澤田の龍星閣から翌月刊行された詩文集『智恵子抄その後』のためのもの。この年1月に発表した同題の連作詩を根幹とします。
その「あとがき」の最後にはこうあります。
「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。「智恵子抄その後」の奥底に何があるか、書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にもよく分からない。おそらくこれを読む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。
智恵子が歿して既に12年、この年は13回忌でした。それだけ経っても智恵子の姿はありありと光太郎の中に残っていたわけで……。
燦燦たる午餐さんの第二回公演「凌霄花の家」。ハコは小田急線千歳船橋駅近くのAPOCシアターさん。キャパ20名ちょいくらいの小劇場でした。しかし天井は高く狭苦しい感じではなく、奈落(?)に降りる階段なども劇中で効果的に活用されていました。
登場人物は三人(劇中劇的に、他の人物の役どころを演じる役回りも設定されていましたが)。それぞれ熱の籠もった演技でした。
まず令和の現代を生きる若い女性・遙佳(中嶋真由佳さん)。彼女がさまざまな鬱屈を抱え、鬱蒼とした森の中を歩いている中で、凌霄花(ノウゼンカズラ)に包まれたあばら屋を見つけ、屋内に。そこで見つけた古い絵や日記、手紙などに見入っていると、一人の男(石倉来輝さん)が現れ、「この家のゆかりの者」的な自己紹介。そしてかつてこの家であったことを語り出す、という流れです。この手法、能の定石ですね。実はその語っている人物の正体は……という所まで含めて。
男の語る昔語りは、この家(実はアトリエ)で100年ほど前にあった画家夫婦、孝治(石倉さん)と夕子(畑中咲菜さん)の話。この画家夫婦というのが、光太郎智恵子をモチーフとしています。ただ、孝治は彫刻家ではなく画家。彫刻家とするより画家の方が描きやすそうですし、一般の理解も得られるかなとは思いました。評論や翻訳なども書いているという設定は、光太郎そのままです。しかし、詩を書いているという設定にはなっていませんでした。後述しますが、史実の光太郎が書いていた詩も含め、孝治の絵がその役割を担っている感じの描き方でした。
光太郎の「緑色の太陽」を彷彿とさせる評論を読んだ、自身も絵を描いている夕子が孝治のアトリエを訪れ、意気投合、双方の両親の反対を押し切って、結婚。この辺りも光太郎智恵子の史実に近い設定です。また、あまり強調されませんでしたが、孝治の父は、光太郎の父・光雲同様、斯界の権威ということになっていました。
当初は売れない画家だった孝治は、特に夕子をモデルに描いた絵が徐々に世の中に認められていき、夕子も細々と雑誌の挿絵や絵葉書を描いて……という二人の生活。史実だと光太郎は智恵子をモデルとした彫刻も複数作り、発表もしましたが、その数は多くありませんでした。
しかし、のちに『智恵子抄』に収められる詩群に智恵子を謳い、それによって智恵子のイメージが世に広まった部分はありました。そう考えると、劇中での孝治の智恵子を描いて好評を博した絵は、『智恵子抄』の詩群と置き換えられるように思いました。
細々と夕子に舞い込む仕事の依頼は、「絵にも描かれた孝治の妻」という形容詞がついてのものだったり、孝治の絵と違う服装でいると世間から違和感を感じられたり、と、このあたりはさもありなん、でした。ただし史実では、智恵子は主に母校の日本女子大学校の関係で挿絵や絵葉書などの依頼を受けていましたが、結婚後はそれもほぼ無くなっています。結婚後、智恵子が対外的に行っていたのは雑誌への文章等の寄稿。これも「新進芸術家・光太郎の妻」ということで依頼されていたのかも知れない、と、これは当方、そこまでは深く考えていませんでしたので、目から鱗でした。
『智恵子抄』オマージュは劇中に色々ちりばめられていて、例えば詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)関連のエピソード。
あなたはだんだんきれいになる
をんなが附属品をだんだん棄てると
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
この詩に関しては、光太郎の散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)に、次のように語られています。
彼女は裕福な豪家に育つたのであるが、或はその為か、金銭には実に淡泊で、貧乏の恐ろしさを知らなかつた。私が金に困つて古着屋を呼んで洋服を売つて居ても平気で見てゐたし、勝手元の引出に金が無ければ買物に出かけないだけであつた。いよいよ食べられなくなつたらといふやうな話も時々出たが、だがどんな事があつてもやるだけの仕事をやつてしまはなければねといふと、さう、あなたの彫刻が中途で無くなるやうな事があつてはならないと度々言つた。私達は定収入といふものが無いので、金のある時は割にあり、無くなると明日からばつたり無くなつた。金は無くなると何処を探しても無い。二十四年間に私が彼女に着物を作つてやつたのは二三度くらゐのものであつたらう。彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、つひに無装飾になり、家の内ではスエタアとヅボンで通すやうになつた。しかも其が甚だ美しい調和を持つてゐた。「あなたはだんだんきれいになる」といふ詩の中で、
をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
と私が書いたのも其の頃である。
このあたり、劇中ではかなり効果的に使われていました。孝治は夕子をモデルにした絵を「彼女の内面の美を引き出すんだ」と意気込み、実際、ある程度成功したり、古着屋のエピソードは「質屋」と置き換えられていましたが、夕子が対応して自分の着物を「もう着ない柄だから」と言って換金したり、と。「スエタアとヅボン」も。
しかし、そうやって「描かれた自分」と「実際の自分」とのギャップ、孝治や世間による自らの「聖女化」(それとて悪意は無いわけですし)、自身の絵は「孝治の妻が描いた絵」としてしか見られないことなどに耐えられなくなった夕子は壊れ始め……というあたりで終わります。それ以降を語るにはしのびない、あとは想像に任せる、という感じでしょうか。
というわけで、光太郎智恵子をモチーフとしながらも、一般的な話に落とし込み、よりリアリティが増しているように感じました。
会場では製本された台本(月森葵氏著)の販売も行われていまして、一部購入してきました。100ページ近くで1,000円也。お買い得です。公演は今日の昼の部まで。台本は主宰の「燦燦たる午餐」さんに申し込めば入手可能かも知れません。
スタッフ・キャストなど関係の方々の今後のさらなるご活躍、さらに出来れば再演を祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
検印紙は捺印しかけてありますが明三十日は小生山形市へ行かねばならなくなり、三日に帰つてきますから、帰つたらすぐ全部捺印して速達で送ります、
昭和25年(1950)10月29日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳
「検印紙」は澤田の龍星閣から翌月刊行された詩文集『智恵子抄その後』のためのもの。この年1月に発表した同題の連作詩を根幹とします。
その「あとがき」の最後にはこうあります。
「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。「智恵子抄その後」の奥底に何があるか、書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にもよく分からない。おそらくこれを読む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。
智恵子が歿して既に12年、この年は13回忌でした。それだけ経っても智恵子の姿はありありと光太郎の中に残っていたわけで……。








