毎年恒例、今年一年を振り返ります。
と、その前に、昨年のこの項で漏れていた件から。
2023年10月7日(土)~2024年3月31日(日)
世田谷区の世田谷文学館さんで「コレクション展 衣裳は語る──映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」が開催され、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」の衣裳デザイン原画が展示されました。
と、その前に、昨年のこの項で漏れていた件から。
2023年10月7日(土)~2024年3月31日(日)
世田谷区の世田谷文学館さんで「コレクション展 衣裳は語る──映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」が開催され、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」の衣裳デザイン原画が展示されました。
2023年11月15日(水)
沢本ひろみ氏著の歌集『燃える花』が文芸社さんから刊行されました。「智恵子抄」オマージュの短歌群を含みます。
沢本ひろみ氏著の歌集『燃える花』が文芸社さんから刊行されました。「智恵子抄」オマージュの短歌群を含みます。
2023年11月17日(金)~2024年2月12日(月・祝)
長野市の北野美術館さんで所蔵品展「冬の精華-語り来る入魂の作品たち-」が開催されました。光太郎の父・光雲作の木彫仁王像一対が出品されました。
2023年11月30日(木)
青土社さんから小田原のどか氏著『モニュメント原論 思想的課題としての彫刻』が刊行されました。「3.彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎からの回路をひらく」などの項で光太郎に触れられています。
2023年12月5日(火)
大塚信一氏著の評伝『津田青楓 近代日本を生き抜いた画家』が作品社さんから刊行されました。随所で光太郎に言及されています。
これより純粋に今年です。
1月1日(月)
青土社さんから小田原のどか氏著『モニュメント原論 思想的課題としての彫刻』が刊行されました。「3.彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎からの回路をひらく」などの項で光太郎に触れられています。
2023年12月5日(火)
大塚信一氏著の評伝『津田青楓 近代日本を生き抜いた画家』が作品社さんから刊行されました。随所で光太郎に言及されています。
2023年12月27日(水)
俳人・小津夜景氏著のエッセイ集『ロゴスと巻貝』がアノニマ・スタジオさんから刊行されました。「『智恵子抄』の影と光」という項を含みます。
俳人・小津夜景氏著のエッセイ集『ロゴスと巻貝』がアノニマ・スタジオさんから刊行されました。「『智恵子抄』の影と光」という項を含みます。
これより純粋に今年です。
清流出版さん発行の『月刊清流』2024年2月号に、安芸正宏氏による「『智恵子抄』と智恵子」という記事が載りました。
1月4日(木)~3月3日(日)
千代田区の皇居三の丸尚蔵館さんで「開館記念展 皇室のみやび 第2期 近代皇室を彩る技と美」が開催されました。光雲作木彫「猿置物」が出品されました。
1月5日(金)~3月9日(土)
新潟市の敦井美術館さんで「新春特別展 新春工芸名品展」が開催され、光雲作の木彫「ちゃぼ」が展示されました。
1月12日(金)
『東京新聞』さんに「高村光太郎ゆかりのアトリエ@中野 残したい 代表作「乙女の像」塑像も制作」という記事が載りました。
1月20日(土)~2月18日(日)
1月12日(金)
『東京新聞』さんに「高村光太郎ゆかりのアトリエ@中野 残したい 代表作「乙女の像」塑像も制作」という記事が載りました。
1月20日(土)~2月18日(日)
岩手県花巻市の花巻新渡戸記念館さん、萬鉄五郎記念美術館さん、高村光太郎記念館さんの3館が連携し、統一テーマによる同一時期の企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」が開催されました。高村光太郎記念館さんでは「光太郎からの手紙」でした。
1月22日(月)
彩図社さんから同社文芸部さん編『大作家でも口はすべる 文豪の本音・失言・暴言集』が刊行され、「高村光太郎、酔ったせいか森鷗外を怒らせる」という項が含まれました。
彩図社さんから同社文芸部さん編『大作家でも口はすべる 文豪の本音・失言・暴言集』が刊行され、「高村光太郎、酔ったせいか森鷗外を怒らせる」という項が含まれました。
2月3日(土)~3月24日(日)
札幌市の北海道立文学館さんで、特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」が開催され、光太郎第一詩集『道程』(大正3年=1914)の通常版と「異本」と、二種類が出展されました。
2月17日(土)
中野区の新井区民活動センターさんで「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」の最初の会合が持たれました。
2月21日(水)
まだ安心は出来ませんが、コロナ禍も今や昔、さまざまなイベントもあり、胸をなで下ろした年明けからの3ヶ月でした。しかし抜けも多いかと思われます。「こんなこともあったよ」という情報がありましたらご教示下さい。
明日は4~6月をご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
新潮社から文庫詩集が届きまして早速貴下の文章をよみました、まことに深く小生のものをよんで下さつてゐて、よみながらいろいろの事に自分でも気づきました、雑然としてゐた自己批判が整理されたやうに思ひました、大変おもひやりのある御意見には心があたためられ、今後の進み方に勇気が持てるやうに感じました、
「文庫詩集」は現在も版を重ねている新潮文庫版『高村光太郎詩集』。昭和43年(1968)に改版となり、それまでの版に載っていた伊藤の解説は書き改められました。
札幌市の北海道立文学館さんで、特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」が開催され、光太郎第一詩集『道程』(大正3年=1914)の通常版と「異本」と、二種類が出展されました。
2月17日(土)
中野区の新井区民活動センターさんで「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」の最初の会合が持たれました。

2月21日(水)~2月25日(日)
台東区の東京都美術館さんで「出張!江戸東京博物館」が開催され、光雲が主任となって制作された「西郷隆盛像」を描いた錦絵が展示されました。
2月23日(金)
台東区の東京都美術館さんで「出張!江戸東京博物館」が開催され、光雲が主任となって制作された「西郷隆盛像」を描いた錦絵が展示されました。
2月23日(金)
岩手県花巻市の喫茶店ココ・タベルバ・ラパンさんで「VALENTINE CONCERT 朗読と音楽で楽しむお茶時間 高村光太郎『智恵子抄』より」が開催されました。
2月29日(木)
栃木県を中心とした同人詩誌『馴鹿』第80号記念号が刊行されました。「特集Ⅱ・「心に残るフレーズ」」の中で、吹木文音氏が光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)から象徴的なリフレイン『わたしもうぢき駄目になる』について書かれています。
2月29日(木)
栃木県を中心とした同人詩誌『馴鹿』第80号記念号が刊行されました。「特集Ⅱ・「心に残るフレーズ」」の中で、吹木文音氏が光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)から象徴的なリフレイン『わたしもうぢき駄目になる』について書かれています。
3月1日(金)~3月10日(日)
渋谷区のデザイン&ギャラリー装丁夜話さんで「星センセイと一郎くんと珈琲」という個展が開かれました。山口一郎氏による「レモン哀歌」オマージュの作品が出展され、さらにそれを元にしたポストカードブックが発行・販売されました。
渋谷区のデザイン&ギャラリー装丁夜話さんで「星センセイと一郎くんと珈琲」という個展が開かれました。山口一郎氏による「レモン哀歌」オマージュの作品が出展され、さらにそれを元にしたポストカードブックが発行・販売されました。
稲賀繁美氏著・末木文美士氏/中島隆博氏責任編集『日本の近代思想を読みなおす3 美/藝術』が東京大学出版会さんから刊行されました。「高村光雲『高村光雲懐古譚』」「高村光太郎「ポール・セザンヌ」『印象派の思想と藝術』/「触覚の世界」」という項を含みます。
3月15日(金)~3月17日(日)
3月15日(金)~3月17日(日)
千代田区の東京交通会館展示会場に於いて「ABAJ 国際 2024稀覯本フェア」が開催され、萩原朔太郎追悼の光太郎草稿が展示されました。
3月17日(日)
台東区の秋葉原コンシールシアターさんで朗読劇「天野まり単独公演 ソレを、私は恋と呼ぶ。/智恵子抄」が開催されました。
台東区の秋葉原コンシールシアターさんで朗読劇「天野まり単独公演 ソレを、私は恋と呼ぶ。/智恵子抄」が開催されました。
3月20日(水)
3月23日(土)
台東区の一般社団法人落語協会さんで「彌生・初演の会 =お楽しみ宿題三題噺=」が開催されました。『光雲懐古談』に題を採った鈴々舎馬桜師匠による「名人傳」が初演されました。
3月25日(月)
福島県郡山市のNHKカルチャー郡山教室さんで「澤正宏先生の春の講座 与謝野晶子と高村光太郎」が開催されました。
同日、生活の友社さんから『月刊 アートコレクターズ』№181 2024年4月号が発行されました。元神奈川県理知近代美術館長・水沢勉氏の連載「色と形は呼び交わす」の第13回「盛田亜耶 被膜の虚実」で、智恵子紙絵が紹介されました。
同日、生活の友社さんから『月刊 アートコレクターズ』№181 2024年4月号が発行されました。元神奈川県理知近代美術館長・水沢勉氏の連載「色と形は呼び交わす」の第13回「盛田亜耶 被膜の虚実」で、智恵子紙絵が紹介されました。
まだ安心は出来ませんが、コロナ禍も今や昔、さまざまなイベントもあり、胸をなで下ろした年明けからの3ヶ月でした。しかし抜けも多いかと思われます。「こんなこともあったよ」という情報がありましたらご教示下さい。
明日は4~6月をご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
新潮社から文庫詩集が届きまして早速貴下の文章をよみました、まことに深く小生のものをよんで下さつてゐて、よみながらいろいろの事に自分でも気づきました、雑然としてゐた自己批判が整理されたやうに思ひました、大変おもひやりのある御意見には心があたためられ、今後の進み方に勇気が持てるやうに感じました、
昭和25年(1950)11月30日 伊藤信吉宛書簡より 光太郎68歳
「文庫詩集」は現在も版を重ねている新潮文庫版『高村光太郎詩集』。昭和43年(1968)に改版となり、それまでの版に載っていた伊藤の解説は書き改められました。