過日、光太郎の父・光雲作の木彫が出ている栃木の那須野が原博物館さんの「開館20周年記念特別展 松方正義と那須野が原」をご紹介しましたが、同様に光雲の木彫が出ている企画展示がもう1件開催中でした。
期 日 : 2024年11月18日(月)~12月13日(金)
会 場 : 東北大学附属図書館 宮城県仙台市青葉区川内27-1
時 間 : 10:00~16:00
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料
東北大学では、附属図書館所蔵の貴重資料であるデルゲ版チベット大蔵経のデジタル画像化事業を継続して行なっております。今回は本学デジタルアーカイブToUDAの公開を記念し、このチベット大蔵経に加え、文学研究科所蔵の河口慧海がチベットから日本に持ち帰った仏教美術や工芸品などの名品を紹介する展覧会を開催いたします。
公式サイトにそうした記述や出品目録がありませんで気がつきませんでしたが、X(旧ツイッター)の東北大学総合学術博物館さんの投稿で、光雲木彫が出ていることをつかみました。
画像を拡大させていただきます。
僧侶にしてチベット仏教学者だった河口慧海旧蔵、というか光雲に依頼して作ってもらった釈迦如来座像(大正11年=1922)。
慧海は、光雲・光太郎父子の住まいがあった本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)に近い本郷弥生町や根津などで暮らしていた時期があり、光雲は慧海の求めで仏像を複数彫り、光太郎は戦時中に慧海の坐像制作にかかりました。ただし光太郎作の坐像は完成したのかしなかったのか、いずれにしても戦災で焼失したと考えられています。
その慧海旧蔵の光雲作品、散逸してしまった感じなのでしょうか、あちこちで異なるものが収蔵/展示されています。
京都/堺・新着情報(その2)。
河口慧海生誕150年記念事業「慧海と堺展」。
仙台市博物館 特集展示「福島美術館の優品」。
都内レポート その3 東京国立博物館「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」。
今回展示されているものは、東北大学総合学術博物館さんで収蔵しているものだそうです。
他にも慧海がチベットから持ち帰った品々なども展示されていますし、さらにもう一人、慧海と同じくチベットに足を運んだ多田等観がらみの展示も為されている由。等観は戦後、光太郎が隠棲していた花巻郊外旧太田村の隣村・旧湯口村の円万寺観音堂で堂守を務めていた時期があり、光太郎の知遇を得てお互いに行き来していました。
khb東日本放送さんのローカルニュース。
【折々のことば・光太郎】
大変な御苦労であつたことと身につまされて思ひます、しかしこれで「草の葉」も日本に初めて正しく伝へられるわけで貴下に対する感謝の念は絶大です。
長沼は英文学者。アメリカのウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』翻訳を上下二巻で刊行しました。
ホイットマンの訳にはかつて光太郎も取り組み、大正10年(1921)には『自選日記』訳を刊行するなど、ホイットマンのファンでした。
公式サイトにそうした記述や出品目録がありませんで気がつきませんでしたが、X(旧ツイッター)の東北大学総合学術博物館さんの投稿で、光雲木彫が出ていることをつかみました。
画像を拡大させていただきます。
僧侶にしてチベット仏教学者だった河口慧海旧蔵、というか光雲に依頼して作ってもらった釈迦如来座像(大正11年=1922)。
慧海は、光雲・光太郎父子の住まいがあった本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)に近い本郷弥生町や根津などで暮らしていた時期があり、光雲は慧海の求めで仏像を複数彫り、光太郎は戦時中に慧海の坐像制作にかかりました。ただし光太郎作の坐像は完成したのかしなかったのか、いずれにしても戦災で焼失したと考えられています。
その慧海旧蔵の光雲作品、散逸してしまった感じなのでしょうか、あちこちで異なるものが収蔵/展示されています。
京都/堺・新着情報(その2)。
河口慧海生誕150年記念事業「慧海と堺展」。
仙台市博物館 特集展示「福島美術館の優品」。
都内レポート その3 東京国立博物館「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」。
今回展示されているものは、東北大学総合学術博物館さんで収蔵しているものだそうです。
他にも慧海がチベットから持ち帰った品々なども展示されていますし、さらにもう一人、慧海と同じくチベットに足を運んだ多田等観がらみの展示も為されている由。等観は戦後、光太郎が隠棲していた花巻郊外旧太田村の隣村・旧湯口村の円万寺観音堂で堂守を務めていた時期があり、光太郎の知遇を得てお互いに行き来していました。
khb東日本放送さんのローカルニュース。
チベット仏教の経典や美術品を紹介する展示会が、東北大学附属図書館で開催されています。
チベット仏教は、インド仏教の教えを直接受け継いでいます。
東北大学文学研究科杉本欣久教授「資料、お経を持って帰るのは多大な熱意があったはずです。是非ご覧いただきながら感じ取っていただければ」
というわけで、ぜひ足をお運び下さい。展示会は12月13日まで、仙台市青葉区の東北大学附属図書館で開催されています。
【折々のことば・光太郎】
大変な御苦労であつたことと身につまされて思ひます、しかしこれで「草の葉」も日本に初めて正しく伝へられるわけで貴下に対する感謝の念は絶大です。
昭和25年(1950)8月28日 長沼重隆宛書簡より 光太郎68歳
長沼は英文学者。アメリカのウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』翻訳を上下二巻で刊行しました。
ホイットマンの訳にはかつて光太郎も取り組み、大正10年(1921)には『自選日記』訳を刊行するなど、ホイットマンのファンでした。