11月23日(土)、都内荒川区荒川ふるさと文化館さんで企画展示「鋳造のまち日暮里—銅像の近代—」、上野の東京都美術館さんで「第46回東京書作展」をそれぞれ拝観後、東京ドーム近くの文京シビックセンターさんで「第67回高村光太郎研究会」に参加。いったん千葉の田舎にある自宅兼事務所に戻りました。
翌11月24日(日)は、杉並区の荻窪小劇場さんへ。都内で一泊しても良かったのですが、宿泊するより往復の公共交通機関運賃の方が安いという判断で、両日とも日帰りにしました。11月9日(土)~11月18日(月)までは中野区のなかのZEROさんで開催された「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」に毎日スタッフとして詰めておりまして、その間、鎌倉にも足を延ばしたりと、計算するのも恐ろしいほど交通費を使いましたが、世の中にお金を回すことに貢献しているかなと、変に自分に言い訳をしております(笑)。ちなみに片道2時間超です。
で、荻窪小劇場さん。
こちらでは「劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄」を観覧。
ちなみに平成29年(2017)には同じ会場にDangerous Boxさんという劇団の二本立て公演「門ノ月~Aida~/智恵子抄」を拝見に伺いました。もう7年も経つか、という感じでしたが。
今回の「智恵子抄」、基本、一人芝居です。演じられたのは茶山千恵子さん。富山県ご在住、地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。連翹忌の集いにも昨年、今年と、続けてご参加くださいました。
本編の前に、智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをした宮崎春子による「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)の朗読。こちらは4日間の公演で3人の方が日替わりで務められ、この日は一柳みるさんでした。
そして茶山さんによる一人芝居。
「智恵子抄」系の一人芝居というと、野田秀樹氏脚本の「売り言葉」が平成14年(2002)以来、様々な劇団や個人の方々が繰り返し取り上げてらっしゃいまして、当方も先月、平体まひろさんによる公演を拝見して参りました。そちらは光太郎智恵子の関係性をかなりアイロニカルに捉え、「智恵子を潰した光太郎」「モラハラから逃げることをせず自縄自縛に陥った智恵子」的な描き方でした。そこで、いろいろ考えさせられるものの、あまり後味のいいものではありません。
今回のものはそうした視点ではなく、心を病んだ智恵子の悲劇性はクローズアップされるものの、あくまでそれは仕方がなかった的なまとめ方でした。紙絵に関しても、言葉を失った智恵子から光太郎へのラブレターといった捉え方。そして全編「美しく」という流れの中で。
どちらを好むかは、人それぞれでしょう。
終演後、茶山さんと一柳さん。
茶山さん、ステンドグラスの制作などもなさっているそうで、大道具的に配置されていたこちらも茶山さんのご自作とのことです。
翌11月24日(日)は、杉並区の荻窪小劇場さんへ。都内で一泊しても良かったのですが、宿泊するより往復の公共交通機関運賃の方が安いという判断で、両日とも日帰りにしました。11月9日(土)~11月18日(月)までは中野区のなかのZEROさんで開催された「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」に毎日スタッフとして詰めておりまして、その間、鎌倉にも足を延ばしたりと、計算するのも恐ろしいほど交通費を使いましたが、世の中にお金を回すことに貢献しているかなと、変に自分に言い訳をしております(笑)。ちなみに片道2時間超です。
で、荻窪小劇場さん。
こちらでは「劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄」を観覧。
ちなみに平成29年(2017)には同じ会場にDangerous Boxさんという劇団の二本立て公演「門ノ月~Aida~/智恵子抄」を拝見に伺いました。もう7年も経つか、という感じでしたが。
今回の「智恵子抄」、基本、一人芝居です。演じられたのは茶山千恵子さん。富山県ご在住、地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。連翹忌の集いにも昨年、今年と、続けてご参加くださいました。
本編の前に、智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをした宮崎春子による「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)の朗読。こちらは4日間の公演で3人の方が日替わりで務められ、この日は一柳みるさんでした。
そして茶山さんによる一人芝居。
「智恵子抄」系の一人芝居というと、野田秀樹氏脚本の「売り言葉」が平成14年(2002)以来、様々な劇団や個人の方々が繰り返し取り上げてらっしゃいまして、当方も先月、平体まひろさんによる公演を拝見して参りました。そちらは光太郎智恵子の関係性をかなりアイロニカルに捉え、「智恵子を潰した光太郎」「モラハラから逃げることをせず自縄自縛に陥った智恵子」的な描き方でした。そこで、いろいろ考えさせられるものの、あまり後味のいいものではありません。
今回のものはそうした視点ではなく、心を病んだ智恵子の悲劇性はクローズアップされるものの、あくまでそれは仕方がなかった的なまとめ方でした。紙絵に関しても、言葉を失った智恵子から光太郎へのラブレターといった捉え方。そして全編「美しく」という流れの中で。
どちらを好むかは、人それぞれでしょう。
終演後、茶山さんと一柳さん。
茶山さん、ステンドグラスの制作などもなさっているそうで、大道具的に配置されていたこちらも茶山さんのご自作とのことです。
言わずもがなですが、智恵子による『青鞜』創刊号の表紙絵(明治44年=1911)がモチーフです。
その後、客席で懇親会。
要請により、光太郎智恵子、さらには宮沢賢治についても語らせていただきました。
茶山さん、智恵子没後の光太郎を描く続篇も構想なさっているとのこと。期待したいところです。
以上、長々書きましたが、2日間の都内レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
今年もまた子供さん達の劇を見せて下さつて、たのしい一日を過ごしました、今年は部落の少年少女ばかりでなく、開拓の方からも人が集まり、皆どんなによろこんであの日をたのしんだか知れないと思ひます、劇の選定もいいし、演出が巧みなのでどれも面白く、子供達の自由な動きですべて生き生きとしてゐました、賢治独特の味ひもよく生きてゐました、子供達の技倆もたしかに年々上達してゐるやうです、それに今年は音楽まではいつたので尚更愉快でした、
「子供さん達の劇」は、花巻賢治子供の会による児童劇。5月、6月頃には光太郎が隠棲していた花巻郊外旧太田村で、秋には花巻町中心街で、それぞれ賢治の童話などを演目として公演を行い、光太郎はそれを楽しみにしていました。
その後、客席で懇親会。
要請により、光太郎智恵子、さらには宮沢賢治についても語らせていただきました。
茶山さん、智恵子没後の光太郎を描く続篇も構想なさっているとのこと。期待したいところです。
以上、長々書きましたが、2日間の都内レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
今年もまた子供さん達の劇を見せて下さつて、たのしい一日を過ごしました、今年は部落の少年少女ばかりでなく、開拓の方からも人が集まり、皆どんなによろこんであの日をたのしんだか知れないと思ひます、劇の選定もいいし、演出が巧みなのでどれも面白く、子供達の自由な動きですべて生き生きとしてゐました、賢治独特の味ひもよく生きてゐました、子供達の技倆もたしかに年々上達してゐるやうです、それに今年は音楽まではいつたので尚更愉快でした、
昭和25年(1950)7月2日 照井登久子宛書簡より 光太郎68歳
「子供さん達の劇」は、花巻賢治子供の会による児童劇。5月、6月頃には光太郎が隠棲していた花巻郊外旧太田村で、秋には花巻町中心街で、それぞれ賢治の童話などを演目として公演を行い、光太郎はそれを楽しみにしていました。